少し前になるが、高校時代からの親友と久し振りに会った。以前は毎年の様に飲み会で顔を合わせていたのだが、コロナ流行以降は年賀状やメールの遣り取りは続いていたものの、実際に会うのは5年振り位。買い物で寄った店で偶然に・・・という状況だったが嬉しくて、結構な時間話し合う事に。
御互いの近況を話す中、「死」に関する話が少なからず出た。共にアラ還という年齢なので、親を含めて周りで亡くなった人は少なく無い。「昔から良く知っている近所の人達が、此処数年バタバタと亡くなってるんだよ。」と彼は寂しそうに語っていたけれど、其の気持ちは良く判る。
以前にも書いたと思うが、自分が「死」という物を初めて身近に感じたのは、中学の時だった。健康には自信を持っていた父が、病にて急死してしまった時だが、「人って、こんなに呆気無く亡くなってしっまうんだなあ。」と痛感。
高校生の時、風の便りで「中学の時の同級生だったM君が、海に遊びに行った際、溺れて亡くなったらしい。」というのを知った。「滅茶苦茶仲が良かった。」という訳では無いけれど、一緒に遊んだりはしていたので、「あんなに元気な彼が、海で溺死したのか・・・。」と唖然。そして成人になって以降では、「高校時代の同級生が2人、既に亡くなっている。」という話を耳にし、「未だ若いのに・・・。」と信じられない気持ちで一杯に。
又、会社の後輩が、海外出張中に滞在先のホテルで急死した際は、可成りのショックを受けた。アポの時間になっても待ち合わせ場所に彼が現れなかった為、不審に思った客がホテルに電話した所、部屋で亡くなっている彼をスタッフが発見したそうだ。死因は心筋梗塞。特に持病は無かった様だが、後になって「数ヵ月前から彼が、『ずっと風邪が治らない。』と言っていた。」という話を聞き、「風邪の症状がそんなに長期間続く事も無いだろうし、早めに病院で診断受けていたら・・・。」と悔しい思いが。何度か飲みに行く間柄だっただけに、何とも遣り切れ無かった。
祖父母や小学校時代の恩師の死というのもショックはショックだったけれど、同年代や年下の死は特に応える。「若いのに何故?」と、どうしても感じてしまうから。決して若くは無い此の年になっても、自身に付いて「其れなりに健康。」という思いが在るだけに、暫くはそう感じ続ける事だろう。