自分がリアル・タイムで見て来たプロ野球の監督って、もう数え切れない程の人数になるが、そんな中から“最も印象に残る監督”を、各チーム毎に選んでみた。対象とするのは現存の12チーム(前身も含む。)と、消滅してしまった大阪近鉄バファローズの計13チーム。好き嫌い等は別にして、兎に角、「最も印象に残っている。」という観点“のみ”から選んだ物で在る。
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「最も印象に残る監督」
① ライオンズ:森祇晶氏(“ライオンズの黄金期”を作り上げたという点で、広岡達朗氏の存在も大きいが、広岡監督時代に参謀としてチームを支えたのも森氏なので、彼を選ぶ事に。)
② ホークス:杉浦忠氏(今の様に、強いホークスでは無かった時代。“苦労人”という見た目の彼が、弱い南海ホークスを何とか立て直そうとする姿が忘れられない。
③ ゴールデンイーグルス:星野仙一氏(大嫌いな人物では在ったが、同時に非常に印象に残る人物だったのも事実。ドラゴンズの監督として選ぶ事も考えたが、個人的にはもっと印象に残る方が存在するので、ゴールデンイーグルスの監督として選ぶ事にした。何と言っても、チームを日本一に導いたのは大きい。)
④ マリーンズ:金田正一氏。(彼以外に考えられない。何れだけ印象に残っているかは、先月の記事「“日本球界の大エース”逝く」を読んで貰いたい。
⑤ ファイターズ:大沢啓二氏(“大沢親分”の愛称でチームを率いていた彼は、金田氏同様、ファンに対するサーヴィス精神に溢れていた。
⑥ バファローズ:上田利治氏(熱血漢。「ええで、ええで。」の口癖と共に、1978年の日本シリーズで阪急ブレーブスの監督として行った猛抗議は忘れられない。)
⑦ 大阪近鉄バファローズ:仰木彬氏(彼が監督で無かったら、イチロー選手は大ブレーク出来なかかも知れない。彼も又、ファン・サーヴィスを常に考えている人だった。)
⑧ ジャイアンツ:藤田元司氏(13年前の記事「藤田さん、楽しい思い出を有難うございました!」で詳しく書いたけれど、ジャイアンツ・ファンとして“最も楽しい時期”が、彼の監督時代だった。意外性の在る試合が多かった長嶋茂雄監督時代も良かったが、藤田監督時代のジャイアンツは、総合的な魅力度が高かった。)
⑨ ベイスターズ:近藤貞雄氏(彼も、ファン・サーヴィスに心を砕いた人だった。アイデア・マンでも在り、横浜大洋ホエールズ時代の監督だった頃、彼が考え出した「スーパーカートリオ」等は、とても魅力的だった。
⑩ タイガース:吉田義男氏(“バックスクリーン3連発”が炸裂し、タイガースが日本一に輝いた1985年時の監督。ジャイアンツ・ファンの自分だが、当時のタイガースは実に輝いていた。)
⑪ カープ:古葉竹識氏(“御荷物チーム”と呼ばれたカープを、“常勝軍団”に変えた名将。)
⑫ ドラゴンズ:与那嶺要氏(13年前の記事「『燃えよドラゴンズ!』 ~あの選手達の今~ Part1、Part2&Part3」で書いた様に、幼少期を愛知県で過ごした自分。当時からジャイアンツ・ファンでは在ったが、1974年のリーグ優勝時に板東英二氏が歌った「燃えよドラゴンズ!」が大ヒットを記録した事で、ドラゴンズにも親近感を持っていた。優勝時の監督という事で、与那嶺氏の印象が強く残っている。
⑬ スワローズ:野村克也氏(弱かったスワローズを、“ID野球”で強くした。)
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