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「威嚇無しの警官発砲は違法、神奈川県に約1千万賠償命じる」(5月27日、読売新聞)
パトカーに乗用車を衝突させる等して神奈川県警の警察官に発砲され、下半身不随になった横浜市の男性(31歳)が「発砲の必要性は無かった。」として国家賠償法に基づき、県に約8,080万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、横浜地裁で在った。
小林正裁判官(鶴岡稔彦裁判官代読)は「発砲前に威嚇射撃を行うべきで、適法な職務執行とは言えない。」と述べ、県に約1,150万円の賠償を命じた。
判決によると、2004年8月25日夕、横須賀署の巡査部長等のパトカーが、横須賀市内に停車中の男性に職務質問しようと近付いた所、男性は車を急発進させて逃走した。路地に追い詰められた男性は、車をパトカーに繰り返しぶつけて脱出を図った為、巡査部長は約1メートルの距離から男性の右肩を狙って発砲。右脇腹に命中して男性は下半身不随となった。男性は公務執行妨害と覚醒剤取締法違反等の罪で起訴され、2007年8月に東京高裁で懲役2年、執行猶予4年が確定した。
訴訟で県側は、「発砲前に何度も警告しており、止むを得ない措置だった。」と主張した。小林裁判官は、男性逮捕の必要性は認めたが、「拳銃で狙えた範囲は、男性の頭や胸等で、発砲には特に慎重で在るべきだった。先に威嚇射撃を行う必要が在った。」と指摘した。
同県警監察官室は「関係機関と協議して今後の対応を決める。」とコメントした。
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警察官の過剰対応(乃至は違法行為としか思えない対応)で犠牲者が出るも、警察が組織的に隠蔽工作を図る。過去にそんな出来事は、結構在った様に思う。だから警察側の主張をそのまま鵜呑みにする気持ちは無いが、あくまでもこの主張が事実という前提で言えば、逃亡を図ろうとした当該男性の行為は、警察官からすると命の危険性を感じるに充分だったと思う。「発砲前に何度も警告した。」というのも事実ならば、これが「適法な職務執行では無い。」とされた警察官が気の毒。
くどい様だが、あくまでも警察側の主張が事実とすれば、今回の当該男性の行為は威嚇射撃無しに発砲されても止むを得なかったと自分は考える。唯、「相手の行為がどのレベルだと、強攻措置を採るか?」というのは、人によって微妙にズレは在るだろう。例えば一昨年、佐賀県で知的障害を有する男性が複数の警察官に取り押さえられた際に死亡した件等は、「相手が知的障害者という事実」を当該警察官達は認識していなかったかもしれないし、又、「多数の人間に取り囲まれた事でパニック状態になってしまった男性が暴れたのを、『凶暴な人間に違いない。』と判断してしまった。」可能性も在るとはいえ、「取り押さえられた男性は、警察官によって数発殴られていた。」という目撃証言が事実“だとすれば”、警察側の遣り方に疑問を感じないでは無い。
それなりの強い権限が与えられている以上、警察官の行為が何でもかんでも許されるというのは危険。でも今回の様に、警察官の側に命の危険を感じさせる事態だったと思われるケースは、或る程度の強攻措置は止むを得ないとも考えるし、その判断基準が難しいのは確かか。
「威嚇無しの警官発砲は違法、神奈川県に約1千万賠償命じる」(5月27日、読売新聞)
パトカーに乗用車を衝突させる等して神奈川県警の警察官に発砲され、下半身不随になった横浜市の男性(31歳)が「発砲の必要性は無かった。」として国家賠償法に基づき、県に約8,080万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、横浜地裁で在った。
小林正裁判官(鶴岡稔彦裁判官代読)は「発砲前に威嚇射撃を行うべきで、適法な職務執行とは言えない。」と述べ、県に約1,150万円の賠償を命じた。
判決によると、2004年8月25日夕、横須賀署の巡査部長等のパトカーが、横須賀市内に停車中の男性に職務質問しようと近付いた所、男性は車を急発進させて逃走した。路地に追い詰められた男性は、車をパトカーに繰り返しぶつけて脱出を図った為、巡査部長は約1メートルの距離から男性の右肩を狙って発砲。右脇腹に命中して男性は下半身不随となった。男性は公務執行妨害と覚醒剤取締法違反等の罪で起訴され、2007年8月に東京高裁で懲役2年、執行猶予4年が確定した。
訴訟で県側は、「発砲前に何度も警告しており、止むを得ない措置だった。」と主張した。小林裁判官は、男性逮捕の必要性は認めたが、「拳銃で狙えた範囲は、男性の頭や胸等で、発砲には特に慎重で在るべきだった。先に威嚇射撃を行う必要が在った。」と指摘した。
同県警監察官室は「関係機関と協議して今後の対応を決める。」とコメントした。
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警察官の過剰対応(乃至は違法行為としか思えない対応)で犠牲者が出るも、警察が組織的に隠蔽工作を図る。過去にそんな出来事は、結構在った様に思う。だから警察側の主張をそのまま鵜呑みにする気持ちは無いが、あくまでもこの主張が事実という前提で言えば、逃亡を図ろうとした当該男性の行為は、警察官からすると命の危険性を感じるに充分だったと思う。「発砲前に何度も警告した。」というのも事実ならば、これが「適法な職務執行では無い。」とされた警察官が気の毒。
くどい様だが、あくまでも警察側の主張が事実とすれば、今回の当該男性の行為は威嚇射撃無しに発砲されても止むを得なかったと自分は考える。唯、「相手の行為がどのレベルだと、強攻措置を採るか?」というのは、人によって微妙にズレは在るだろう。例えば一昨年、佐賀県で知的障害を有する男性が複数の警察官に取り押さえられた際に死亡した件等は、「相手が知的障害者という事実」を当該警察官達は認識していなかったかもしれないし、又、「多数の人間に取り囲まれた事でパニック状態になってしまった男性が暴れたのを、『凶暴な人間に違いない。』と判断してしまった。」可能性も在るとはいえ、「取り押さえられた男性は、警察官によって数発殴られていた。」という目撃証言が事実“だとすれば”、警察側の遣り方に疑問を感じないでは無い。
それなりの強い権限が与えられている以上、警察官の行為が何でもかんでも許されるというのは危険。でも今回の様に、警察官の側に命の危険を感じさせる事態だったと思われるケースは、或る程度の強攻措置は止むを得ないとも考えるし、その判断基準が難しいのは確かか。
導入して間も無かったDNA鑑定。当時はかなりの確度と思われていた物が、時代を経てそうではなかった事が判る。加えて警察の暴走が在ったとしたら、冤罪の可能性はゼロで無くなる。刑事事件に限らず、例えば自身にとって好ましい情報源にばかり当たっていると、それが悉く正しく、それ以外は全て盲目的に誤りと判断してしまう危険性も在り、何事にも極力中立的な立場から考える様にしないと、非常に危険では在りますね。
一般的にフツーの人は警察・検察の言うことを全面的に信じちゃうことが多いみたいなんで。
福島党首(思いっきり名前出しちゃいましたが。)の発言には、疑問を感じる事が間々在ります。他者を厳しく責める以上は是々非々で行かないと、其処に論理の矛盾が出て、何の説得力も持ち得ない。辻本女史の話も週刊誌で読みましたが、これも論理破綻しているとしか思えないし、これでは多くの支持を得られないでしょうね。
唯、ネット上で彼女等をそれこそ親の仇の様に何でもかんでもバッシングしている連中にも、自分は疑問を感じています。何事もそうですが是々非々で論じないと説得力を持ち得ないし、それに結構その多くは自身の主張に論理破綻を来している物が目立つからです。
あ、そういえばこの党首の政党のお仲間が嘗て代表をつとめていた、世界を旅して回る平和な船が、海賊が怖いということでわが国の海上自衛隊に護っていただいたそうで「航海の安全が第一」とはご飯吹き出しまさーね。
馬鹿は隣の火事より怖いってことです。
2ヶ月前の記事「職務質問された経験在りますか?」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/e630d759d347dc713a831028b36b5e00)でも書きましたが、自分は幸い乍ら職務質問を受けた経験が在りません。でも世の中には受けた経験を持つ方が少なからず居られるのも確かな様で、経験談を伺うとかなり執拗に聞かれるみたいですね。
中には嫌がらせで職務質問をする警察官も居ないとは言えないし、一般人に比べたら強い権限を彼等は有している訳ですから、何でもかんでも許されるというのではまずいとも思っています。銃が殺傷能力の在る武器なのも事実ですし、その取扱いには充分配慮が為される必要も在るでしょう。
唯、これだけ凶悪犯罪が起こる御時世だと、警察官が犯罪抑止力として、そして自衛力としての銃を持つのは致し方無い様に感じています。「どんな相手でも、話せば判り合える。」といった理想社会なら話は別ですが、現実社会に於いては“或る程度の”厳しい縛りをした上での銃の使用を警察官に認めないと、素手でどうこうするには余りにも危険過ぎる世の中だと思うし。唯、そうなってしまうと「戦争抑止力としての核保有は在り。」という考え方にも同意しなければならないだろうし、難しい問題では在りますが。
先ずは反社会的集団から、銃器類を徹底的に押収して貰いたいです。
たとえ警官でも銃を持つことは銃を撃つことは
やはり問題でしょう。
警察の職務質問もしつこいですからね。僕も
逃げたくなりますし、逃げた人の気持ちも
わかりますよ。僕も何度も経験してますから。
何の罪もないのに、ただ、道を通るだけでも
呼び止められて何度もしつこくたずねますからね。現場で起こった現場で起こっている
知らない事件のことを何度も聞いて
くるんですからね。
パトカーを繰り返しぶつけて逃げた人の行為も問題ですが。
警官ももう少し常識をもってほしかった。
冷静な対処をしてほしかった。
でも、なんで、職務質問ってあるんですかね。
ふつうに交通安全のための交通整備をする
くらいで、いいんですよ。
警察の役目なんて。
それでなくても今の人たちは
忙しすぎてネコの手も借りたいくらいなのに。
ましてや警官が銃で撃つなんて
刑事ドラマじゃないんですから
一歩間違えれば殺されてるわけでしょう。
ひき逃げや殺人事件のような
凶悪行為とは違うでしょうし。
銃無しで犯人捕らえること
捕らえる能力って
どうして持ち合わせてないのでしょう。
こういうことが起こるくらいなら
また、今後それでもこういう銃がらみの
事件が起こるくらいなら
銃なんて日本で認めなくするように
するべきです。
警官でも銃を持つことは禁止にしてね。
そういう法律、法案を作るべきです。
銃を法律で認めなくすれば
撃たれた人が死んだり後遺症で悩んだり
することがなくなるはずなのですが。
学生時代、漢文の授業で「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず。」(http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-rikanikanmuriwotadasazu.htm)という故事成語を習いました。「李(すもも)の木の下で冠を被り直すと、他所の人からは手を伸ばして李を盗もうとしている様に見られるかもしれない。又、瓜畑の中で靴を履く仕草をすれば、腰を屈めて瓜を盗もうとしている様に見られるかもしれない。だから、紛らわしい事をしては駄目。」という意味ですが、他人様から後ろ指を指される様な真似は極力避けるに越した事は無いでしょうね。
でも例え素行が悪かったとしても、全く無関係な事件の容疑者に仕立て上げられるのは許されるべき事では無い。又、素行が悪くないケースでも、第三者の悪意から痴漢にでっち上げられて逮捕された人の話も過去に在りましたし、捜査に慎重を期して欲しいものです。
とある日本海側の町で土建屋をやっていたんですが、スーパーの強盗事件の際に容疑者にされかかったことがありました。
JC(青年会議所)での悪い飲み仲間たちと一緒にやったと疑われたようで、どうやら飲んでヤンチャをしてばかりの素行の悪い連中と、地元では眉をひそめられる存在だったようです。
後一歩で逮捕されるところで他の人が捕まって無罪放免になったようですけど、日頃マークされているとイロイロあるもんなんですね。
その人は改心したかどうかは良く知らないですけど、土建屋は潰しました。
何から何迄懐疑的になってしまうというのもどうかとは思いますが、やはり一般人とは異なる「権力」を有した対象には、或る程度の「注視の目」を向ける必要が在ると感じています。マヌケ様が書かれておられる様な隠蔽工作は過去に行われていたでしょうし、何よりも権力の側が「でっち上げた情報」によって、世論が一方向に一気に流れてしまう恐ろしさを懸念しますので。
それにしても「誤認逮捕ちゃ言え、組員やしな、どうせ屑やで。」という発言は初めて知りました。正直な気持ちを言えば、自分もそういった思いがゼロで無いとは言えず、恐らくは大なり小なりそういった思いを持つ人も少なくないのかもしれません。でも、この論理が「正」とされてしまうので在れば、「特定の人の思惑」が「法律」を乗り越えてしまうという事になり、これはやはり問題と言えましょう。どんな対象で在れ、厳然と存する法律の範囲内で裁く。その法律に不備を感じれば、きちんと国民が納得する形で改善する。そうで無ければ、何処ぞの無法国家と同一になってしまうでしょうし。
この判事の評価で言えば、もし仮に、警察官が引き殺されたとしても、警察が悪いといいそうですね。
また、客観的に、この警察官が犯人を止めなければ、より被害者が増えたであろう事は、想像に難くないのですが。
ま、私も、独断と偏見で、想像の範囲は狭いですが、自称・人権屋や基地外判事の想像の範囲も、そんなに広くはないようですね。
ところで、野球に詳しい、giants-55さんにこういう質問をするのは、お恥ずかしい限りですが。
でも、もし、giants-55さんが選ぶ、MVPの基準等ございましたら、ご意見、賜りたく、存じます。
http://blog.goo.ne.jp/f-mars2008/e/75e337731c622f877127ecfcc215ded2
恐らく警察官個々は一生懸命頑張っておられる方が多いと思うんです。でも「組織」としての警察は、臭い物には蓋をするという面が強い様に感じますね。
裁判員制度の対象事件は「一定の重大な犯罪で在り、例えば殺人罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪、危険運転致死罪等。」となっておりますので、今回の様な事件の判決は当該しないと思われますが、こういうケースで裁判員にもし選ばれたとしたら、その判断が割れる可能性は在るでしょうね。例えば人を何人も殺めた人間が、今回と全く同じケースで逃亡しようとして撃たれ、そして下半身不随になった場合、「撃たれても止む無いし。」と判断する人は恐らく多数を占めるだろうし、自分もそう考える可能性が高いのは否定出来ません。でも、あくまでも当該者の“行動”だけを考えれば、本来は警察官が撃った事に関しては同じ判断を下すのが筋と言えるでしょう。(「その前に凶悪犯罪を犯しているのだから、同列には考えられない。」という御意見も在るとは思いますが、警察官がその事実を認識していなければ同列には扱えないと考えます。)要は「純粋に法律で裁く。」のでは無く、「幾許かの感情が介在してしまう。」可能性は否めないし、その辺が難しさを感じます。
書いている当人(giants-55)が「何か曖昧な書き方だなあ。」と思っておりましたので、読まれる側によっては様々な受け取り方をされ兼ねない文章だと思いますし、玄倉川様が指摘されておられる様な受け取られ方も在るだろうなあとは感じました。失礼致しました。
今後とも何卒宜しく御願い致します。
とありますが、ここで「警察側の主張」といわれているのは事件の経過のことで、「威嚇射撃無しに発砲されても止むを得なかった」というのはその事件の経過に対する判断ですので、トートロジー(同語反復)とはいえないと思いますが。
事実かどうかという判断と、その事実に対する判断は区別されるべきだと思いますが。
当ブログではこれ迄にも何度か書いているのですが、「権力」に対しては或る程度懐疑的&厳しい目を向ける必要性が在ると思っています。「何から何迄権力に対して反対。」という思考は愚かしいと思っていますが、「法律」という盾が在ると言っても、権力の前に在っては我々一般国民なぞ所詮は蟷螂の斧。守られるべき最低限の権利を守る為には、自らが負うべき最低限の義務を負った上で、権力の暴走を食い止めるべく見守らなければ、気付いてみれば雁字搦めにされてしまって身動きが取れないなんて事態に為り兼ねません。政治家に対してどうしても厳しい意見を吐いてしまうのも、彼等が基本的に国民の生殺与奪権を握っているからで在り、又、警察の行為を案件案件できちんと判断していかなければいけないと考えるのも、嘗ての「警察国家」への回帰を懸念するが故。この辺は玄倉川様も全く同じ御考えだと思っております。
今回の記事、自分で書き乍らもまどろっこしさを感じる内容なのは感じていました。上でtak様宛のレスで書かせて貰いました様に、「どんな事柄にも言えるのですが、自身が当事者、乃至はその現場に居て一部始終を目撃していたならば明確に断言出来るでしょうけれども、あくまでも記事を根拠にした判断しか出来ない。ましてや今回のケースの様に、警察官&撃たれた側双方に身の危険を感じ得た“可能性”(実際問題、撃たれた男性は下半身不随となっている訳ですし。)が在ったケースでは、その判断に難しさが増します。」という考えが先ず第一に在り、その辺から「仮定」での物言いになってしまったからです。御指摘の通り、「充分な情報が無い内は、自己の判断を保留させて貰う。」と記した方がスッキリしますね。
小沢氏一郎氏は別に好きでも嫌いでも無いけれど、所謂「西松問題」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E#.E6.94.BF.E6.B2.BB.E8.B3.87.E9.87.91.E8.A6.8F.E6.AD.A3.E6.B3.95.E9.81.95.E5.8F.8D.E7.96.91.E6.83.91)に対する世の中の主張の中には、「え?」と感じてしまう物が少なからず在りました。“肌感覚”で言えば「スッキリしない遣り方だなあ。」とか「業者は何等かの見返りを期待して献金している訳だから、何となくグレーな感じはする。」というのは判るのですが、麻生首相の発言に代表される様に「小沢氏っは既に犯罪者。」的な物言いは、裁判で確定判決が下されていない以上、「それはおかしいんじゃないの?」という思いが在ったからです。そういう物言いが許されてしまうので在れば、最早「法律の存在意義」は雲散霧消してしまうと思いますし。
長文&乱文を御許し下さい。そして今後とも宜しく御願い致します。
どんな事柄にも言えるのですが、自身が当事者、乃至はその現場に居て一部始終を目撃していたならば明確に断言出来るでしょうけれども、あくまでも記事を根拠にした判断しか出来ない。ましてや今回のケースの様に、警察官&撃たれた側双方に身の危険を感じ得た“可能性”(実際問題、撃たれた男性は下半身不随となっている訳ですし。)が在ったケースでは、その判断に難しさが増します。
裁判で確定したという「事実」から言えば、公務執行妨害及び覚醒剤取締法の違反を犯した男性。その罪はきちんと償うべきだけれど、だからと言って「下半身不随になったのは自業自得。」と言うのも違うと思うし、だからこそtak様の書かれている「覚せい剤常用者とはいえ、半身不随はこれまた残酷。」というのもその通りだと思います。
まず、「それなりの強い権限が与えられている以上、警察官の行為が何でもかんでも許されるというのは危険。」というgiants-55さんのご意見に賛成です。2ちゃんねるあたりを見ると警官の発砲を煽ったり礼賛する意見ばかりで恐ろしくなります。警察権力、そして人を殺すことのできる実銃は本質的に危険なものです。そのあたりを国民がわきまえていないと自由も人権もない警察国家に近づきます。
ご意見に基本的に同意した上で、気になった点を申し上げます。
「あくまでも警察側の主張が事実とすれば、今回の当該男性の行為は威嚇射撃無しに発砲されても止むを得なかったと自分は考える。」という文はトートロジー(同語反復)ではないでしょうか。警察側はまさに「発砲は正当だった」と主張し、その主張に適合するような「事実」を並べているのですから。「警察側の主張が事実とすれば ~止むを得なかった」というのは「砂糖を混ぜると甘くなる」のと同じくらいあたりまえのことです。
裁判では原告側と被告側の主張が対立しますから、裁判官や国民が正確な判断をするためには「本当の事実=真実」を追及し、原告・被告それぞれの主張を批判的に検討する必要があります。どちらかの主張を簡単に鵜呑みにしてしまっては真実に近づくことはできません。
giants-55さんが信頼できる・十分な情報を元に批判的に検討を重ねて「警察側の主張は信頼できる、真実に近い(真実そのものである)」という結論を得たのであればよろしいのですが、残念ながら私にはそうは思えません。
giants-55さんは「警察官の行為が何でもかんでも許されるというのは危険。」とお考えなのですから、「十分な情報がないうちは判断を保留」でいいのではありませんか。「警察の主張が正しければ発砲は正当」というのは「原告の主張が正しければ発砲は不当」の裏返しに過ぎず、なんの重みもない言葉です。
拙ブログからトラックバックを送るつもりでしたが、受信されたかどうか確認できません。
アドレスは http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/6d3ccf7e16e9c8fdb4eaeab8f219e956 です。よろしければお読みください。
こんばんはです。^±^ノ
いつも、事件などの問題提起に考えさせられ、時に勉強になってます。
ありがとうございます。^±^
そうですね。結構難しい問題ですが、まず悪いことをしたという前提あってのことですよね。ましてや「パトを追突させた」事実あってのこと。致命傷でないならばやむをえないかなぁ。
かといって、警察すべてが正しいことばかりじゃないですね。
知的障害云々の件は警察が悪いし、最近のkとであればくさなぎさんの一件にいたっては、「完全にやりすぎ」でしたよね。