
様々な分野で、“一発屋”と称される人が存在する。「一時的には活躍したが、消えてしまった人。」といった嘲笑する様な意味合いで使われる事が多いけれど、「一発も当てられずに消えてしまう人が殆どの中、一発でも当てられたのは凄い事。」と自分は思う。
漫画家の中にも、一発屋と呼ばれる人は存在する。パッと思い浮かぶだけでも「アタックNo.1」の浦野千賀子さん、「ど根性ガエル」の吉沢やすみ氏、「アパッチ野球軍」の梅本さちお氏、「はだしのゲン」の中沢啓治氏、「エースをねらえ!」の山本鈴美香さん、「がきデカ」の山上たつひこ氏、「サーキットの狼」の池沢さとし(早人師)氏、「マカロニほうれん荘」の鴨川つばめ氏、「キャンディ・キャンディ」のいがらしゆみこさん、「ときめきトゥナイト」の池野恋さん等。一発当てた作品以外にも描いておられるが、超える作品は無かったと思う。手塚治虫氏等の様に、大ヒット作を幾つも生み出せたとは言えない。でも、彼等が一発を当てた作品は強く印象に残っているし、素晴らしい才能の持ち主だったのは確かだ。
吉沢氏や梅本氏と同時期、爆発的な人気を得たギャグ漫画が在った。1969年から1977年迄、「週刊少年ジャンプ」に連載された「トイレット博士」だ。一言で言えば、“下品極まり無い作品”で在る。下ネタのオンパレードで、特に“ウンコ”が良く登場した。
時代は変われども、子供は下ネタが大好き。親が顔を顰めるウンコやチンコという言葉を、喜んで使う物だ。当時の子供達も例外では無く、「トイレット博士」に登場するメタクソ団の連中が使う合言葉「マタンキ(逆から読むと・・・。)」や、「相手の肛門に両手を入れ、中で指にて『7』を表現すると、7年後の命の保障が無い。」という技の「七年殺し」を、学校で同級生と言い合ったり、遣り合ったりしたっけ。下品極まり無かったけれど、“非常にインパクトの在る作品”だったのは間違い無い。
「トイレット博士」を書いたのはとりいかずよし氏。彼も一発屋と呼ばれている。そんな彼の訃報が報じられた。2月9日に膵臓癌にて、75歳で亡くなられたと言う。「トイレット博士」は、自分が幼き頃に大ヒットした作品なので、75歳という年齢を知って「もっと上なのかと思った・・・。」という意外さが。
今回の訃報に触れ、「マタンキ」や「七年殺し」を言ったり、したりしていた“当時の子供達”は、何とも言えない心の疼きを感じている事だろう。
合掌。