ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「権力の病室 大平総理最期の14日間」 Part1

2007年08月24日 | 政治関連
将棋板の様な角ばった顔に、何時も眠たそうな小さな目。動きの鈍い牛を思わせる風貌だ。演説や答弁では「アー」とか「ウー」を多用し、当時その口調が良く物真似されていたもの。嘗て「鈍牛」や「アーウー宰相」というニックネームの首相が居た。党内の政争に巻き込まれ、遂には提出された内閣不信任案が可決。我が国の憲政史上初の衆参同日選挙に追い込まれた。

1980年5月30日、第12回参議院選挙が告示された日に自民党の総裁として街頭演説に立った彼は、その後に体調不良を訴え、翌日未明虎の門病院に極秘入院する。しかし、直ぐにマスメディアに入院を嗅ぎ付けられ記者会見を求められる事に。「心筋梗塞の疑い在り。」という診断を受けるも、政治的な影響を考慮して「単なる過労で、数日間の休養を要する。」と発表される。そして入院から12日後の6月12日午前5時40分、「アーウー宰相」こと大平正芳首相は心筋梗塞で急死してしまう。

参院選挙の告示日、選挙カーの上で演説した大平元首相の姿が今でも忘れられない。普段は「アー」とか「ウー」を多用し、ゆったりとした口調で話す彼が、その日ばかりは口角泡を飛ばさんばりの勢いで、それも考えられない程の大きな身振り手振りを加えて演説していたからだ。「不本意な形で解散に追い込まれたので是が非でも選挙に勝ちたいのは判るが、それにしても尋常じゃないハッスルぶりじゃないか・・・。」だから翌日に彼が緊急入院した報道に触れた際は「やはり無理が祟っんだなあ。」と思ったが、よもやそれから2週間もしない内に亡くなるとは想像すらしていなかったので、本当にビックリしたものだった。

朝日新聞社政治部の首相官邸記者クラブの責任者として取材に当たっていた国正武重氏が当時の取材メモを基にし、一冊の本に仕上げたのが「権力の病室 大平総理最期の14日間」で在る。当時は明かせなかったオフレコ部分や、”あの時”に政治の裏側で何が起こっていたかが詳細に記されていて、非常に興味深い内容だった。

一寸した病気で病院行けば「癌説」が、2、3日姿を見せなければ「入院説」や「死亡説」が流されてしまうのが政治家。だからこそ、大平首相の病室に出入り出来た人物は医師以外、非常に限られていた。大平首相の女婿で在り、首席秘書官を務めていた森田一氏。「俺は大平正芳が総理大臣になる迄政界に居る。大平を総理にする為に政治家になったんだからな、俺は。」が口癖で、「伊東の趣味は大平。」と迄言われた伊東正義官房長官。(自分が好きな、数少ない政治家の一人だった。)そして田中六助幹事長。大平首相が心を許したこの3人が、政界関係者ではフリー・パスで出入り出来る人物だった様だ。

「過労」という発表に疑いを持ち、執拗に”真実”を突き止め様とするマスメディア。それに対して「当時から救急車を呼ぶと全部、新聞社に盗聴されていると聞かされていた。それで救急車は止めて、民間の入院用寝台車を呼んだんです。」(福川伸次秘書官)、「私は病院詰めの記者の方々に、総理の病状を出来るだけ軽く見せなければいかんものですから、本人の食欲が全然駄目な時でも御を持って来て、それを私が食べて、空になった食器を台所に下げていた。すると記者の人が台所へ確かめに行く。総理が御粥を食べたかどうかを見届ける訳です。そうして『森田秘書官の言っている事は本当だ。』と信じて貰ったんです。」(森田一首席秘書官)等々、首相側近達の情報漏洩防止対策は涙ぐましささえ感じる程。

真実を突き止めようとしていたのはマスメディアだけでは無い。自民党史上で最も深刻な派閥抗争と言われている「四十日抗争」で大平氏と対立する事となった福田赳夫前首相(当時)、三木武夫元首相等、政治家連中がその後の政局睨み、見舞いに託けて情報収集を図ろうとしている様が面白くも在り、醜くも在る。(入院中の大平首相が「どうして福田(赳夫)や三木(武夫)は、俺をいじめるのかな。」と嘆いていたという田中六助氏の証言も載っている。)

病状が重い事が外部に漏れると政争が激化し、延いては「政治の空白」を生み出してしまうという懸念が大平首相サイドには在った。それ故に側近達は担当の医師達に”嘘”を付かせる訳だが、「政治的判断」と「医師としての良識」の間で苦悩する医師達の姿もこの本からは垣間見える。「大平総理は頭迄おかしくなって、を垂らしている。」という出鱈目な噂が”反大平派”の議員から流されていたりする状況下で、少しでも軽い病状発表をしなければならなかったのはさぞ辛い物が在ったろう。

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