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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その39 井川駅に到着

2024年05月29日 | ゆるキャン△

 閑蔵駅を出た後は、大井川をはるか下に見下ろす崖面の上のカーブとトンネルの連続をゆっくりと走りました。上図のトンネルは、数えて58番目でしたので、井川駅に着くまでにあと3つあるな、と思いました。

 序盤で一度数え間違っていたため、それ以降は慎重に全てのトンネルをカウントしていましたが、本当に正しく数えられているかは、井川駅に着くまで全然自信が持てませんでした。

 

 途中で見えた大井川の水面です。それまではかなり下に見えていたのが、やや高い位置に見え始めました。が、井川線のほうはほぼ水平に走っているので、川の高さがどんどん上がってきているのだと分かりました。もうすぐ井川ダムだな、と思いました。

 

 井川地区はまだ紅葉のピークでした。鮮やかな朱色や黄色の景色が楽しめました。

 

 そしてパッと視界が開けて、青空の下にコンクリート造の堤体が見えました。

 

 井川ダム、正式名称は井川五郎ダムです。前回の巡礼訪問の時はダム湖の井川湖の水位が最低限でしたが、今回は満水状態で、ダムの向こうの湖面があおあおと広がって見えました。
 それから60番目のトンネルをくぐり、程なく61番目の短いトンネルをくぐりました。これでトンネルは61だ、なんとか数え間違えずにきたぞ、と安堵しました。

 

 61番目の短いトンネルを出たところが井川駅の構内でした。右手に駅舎が見えました。

 

 左へゆるやかにカーブしている線路をゆっくりと速度を落としながら進み、そしてゆるゆると停まりました。上図は停まった直後に撮ったものです。

 

 かくして11時12分、時刻表通りに終点の井川駅に着きました。右側のホームへと降りて、とりあえず先頭車輛のクハ600形を見に行きました。

 

 先頭車のクハ600形です。その停車位置はホーム全体の3分の2ぐらいの位置でした。列車は最後尾のDD20形機関車を含めて6輌編成でしたから、その6輌編成の停車位置を確かめたかったのでした。

 なぜかというと、今熱中しているNゲージの模型などを作る計画のなかに、井川駅のプランもあったからです。今回の旅に行く前に千頭駅を作りましたので、次は金谷駅か井川駅を、と思案していました。金谷駅は崖面に立地する懸造りの特殊な構造をしているために1/150スケールで再現するのにはちょっと難しそうな気がしたので、じゃあ井川駅を作ろう、と決めました。

 今回の大井川鐡道の旅にて、井川駅までの全線を乗ることにしたのは、終点の井川駅をNゲージの模型で再現製作するための取材見学の目的もありました。
 井川駅は、先に述べたようにホームがカーブしている駅で、二本の側線を持ち、かつては分岐線とそのホームがあっていま廃線小径になっている堂平までの線路へ繋がり、かつてはスイッチバック方式で資材運搬列車を運行していたといい、ダム建設用の専用鉄道であった関係で車道からトラックなどのホームへの出入りが可能、というちょっと変わった構造の駅なので、地図や写真だけでは全容を把握出来ないのです。

 以前に一度行った駅ですが、そのときはゆるキャンの聖地スポットへすぐに移動したため、井川駅そのものはあまりよく見ていませんでした。だから、Nゲージの模型で再現製作するための資料つまり写真や現地取材メモなどが必要でした。
 なので、今回は乗ってきた列車が折り返して千頭行きとして発車するまでの時間を、井川駅の内外の見学取材にあてることにしました。

 

 クハ600形の停車位置の先にはまだ線路とホームが続いていました。最長で10両編成が入れると聞いたことがありますので、上図のように線路が長く延びているのも納得出来ましたが、ホームの奥が一段高くなっていて、そのあたりにトラックが停まっていました。あの高いホームへは横の車道からトラックなどが出入り出来るようで、かつての貨物や資材列車のホームだったのかな、と思いました。

 

 ホームを進みながら、一度振り返りました。ホームは一番東側に設置され、本線から二本の側線が分かれていますが、西側の側線は使われていないようで、落ち葉に埋もれてほとんど見えない状態でした。線路は三本ともカーブしていますが、曲がる角度が微妙に異なっているように見えました。

 

 トラックの停まっている高いホームに上がってみました。上図右側の本線はポイントの奥で切れておしまいになっていますが、ポイントで繋がっている中央の側線はさらに向こうへ伸びていて、そのまま埋もれている左側の側線に合流し、その先で崖面にさえぎられて終わっていました。

 かつて、小型のDB1形機関車が列車を牽引していた頃は、上図の奥に小さな手押し式の転車台が設けてあって、それでDB1形機関車の向きを変えて列車の先頭へ繋ぎなおしていたそうです。その小さな手押し式の転車台が残っているかなと思いましたが、全然見えませんでした。やっぱり撤去されているんだな、と理解し、撮影しメモしました。

 

 横の車道からホームへ通じている道路です。車道への出入口付近に軽ワゴン車が停めてありました。

 

 現在の井川線は旅客鉄道なので、ホームも客車のサイズに合わせて低く造られていますが、井川ダム建設期間中は専用鉄道として資材や木材や建設機械などを運搬した列車が行き来していたそうなので、ここでトラックに積み込んだり、または下ろしたりしたのでしょう。

 だから井川駅の規模が大きいのも頷けました。側線が二本ありますから、列車を二編成まで待機させることが可能だったわけで、本線と合わせて最大で三編成を出入りさせることが出来たわけです。

 その状態をNゲージの模型で再現するとなると、かなり長いベースが必要になります。最低でも長さが110センチないとレイアウトが収まらない気がします。これはちょっと難しい、思い切ってわざと縮めるか、それとも三分の二ぐらいの範囲だけにするか、と考え迷いました。しかもホームと線路がカーブしていますから、弓なりのレイアウトのジオラマになります。方形のベースにおさめるには工夫が必要でしょう。

 ちなみに、井川ダムの建設中は井川駅の先のトンネルを出たところの分岐からも工事用側線が設けられ、現在の中部電力井川展示館の裏手まで線路が伸びていました。その軌道跡は、前回の井川地区へのゆるキャン聖地巡礼の際に見てきましたが、それもあわせると井川駅がかつてのダム建設用鉄道のターミナル的な役割を果たした重要な駅であったことがよく理解出来ます。  (続く)

 

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