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ゆるキャン△の聖地を行く24 その9  甲府城の山手渡櫓門と山手門

2022年11月14日 | ゆるキャン△

 甲府での待機時間を利用して駅北口の「よっちゃばれ」広場の東にある甲府城山手門跡に行きました。甲府駅によって南北に分断されている甲府城跡の、北側の遺構復元区域にあたります。山手門とこれに付属する山手渡櫓門が復元されています。上図は山手渡櫓門を城内側からみたところです。

 

 山手渡櫓門の案内板です。甲府城の山手門を固める櫓門で、平成19年に復元されました。

 

 山手渡櫓門をくぐって山手門側からみたところです。外側の山手門とあわせて右折れの枡形を形成しており、城の北口を固める重要な防御拠点であったことがうかがえます。外観は江戸初期の築城当時の姿を考証して復元されています。

 

 甲府城跡の櫓門は、本丸地区においては本丸の搦手門にあたる鉄門(くろがねもん)が平成25年に復元されていますが、規模はこちらの山手渡櫓門のほうが大きいです。かつて本丸の南側にあった大手門櫓の構えも、ここと似たような左折れの枡形であったそうです。

 

 山手門の案内板です。城の北口にあたる門です。

 

 山手門は遺構そのものは発掘調査でも検出出来ず、現存する絵図や明治期の測量図、古写真などから、低い石垣の上に土塀を設けた追手枡形の塀を持つ、高麗門の形式をとっていたものと推定され、その姿で平成19年に復元されました。

 

 内側から見ると、御覧のように高麗門の形式であることが分かります。高麗門は慶長の頃から城郭にて用いられ始めた門建築形式で、豊臣政権期後半より全国の城郭で多く建てられています。

 

 次に乗る列車の時刻が近づきましたので、駅へと引き返しました。その途中で、上図の城の案内板を見かけましたが、御覧のように天守閣の復元案とみられる図が大きく示されていました。

 

 甲府城の本丸にはいまも天守台が残ります。以前の巡礼時に二度登りましたが、そもそも天守閣が建っていたのかどうかに関しては、最近まで議論や検証が続いていて、とりあえずは確証が無いために否定的見解が出されたと聞きます。

 ですが、甲府市の観光促進および市街地活性化の観点からは色々と注目され、史跡整備事業においては復元も希望されていたそうです。平成29年に、山梨県教育委員会が2年間の調査結果をふまえて、天守閣の存在を示す直接的な資料は見当たらないと結論付けたことにより、地元の天守閣熱はおさまったと聞きます。この種の要望は甲府城に限らず、どこの城でも出ていますね・・・。  (続く)

 

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