京都御苑の拾翠亭を辞して、地下鉄の丸太町駅から北大路駅に行き、北大路駅に隣接するバスターミナルから市バス206系統に乗って大徳寺前で降りました。それからU氏を先頭に大徳寺境内地の南側へ歩き、上図の中門への参道に至りました。昨年の11月20日に二人で特別公開塔頭巡りをした時と同じルートでした。
この日の大徳寺境内は人影もなく静まり返っていました。特別公開は伽藍域の北の総見院のみでしたから、南側の塔頭群のエリアには見学客が回ってこないようでした。
U氏が上機嫌で「春爛漫 龍も静まる 大徳寺」と呟いたので、「それは俳句なのかね」と聞くと、「ただの呟きだよ」と苦笑していました。
前回の訪問時に見学した塔頭のひとつ、黄梅院の門前にさしかかりました。天正十六年(1588)に小早川隆景が改修したとされる、国重要文化財の表門をちょいと見上げたU氏が「ちょっとのぞいていこう」と言いました。
で、表門から中をのぞいてみました。御覧の通り、昨年11月に見た見事な紅葉の範囲は長い冬を抜けて木々の若葉もまだ付き初めの頃でした。紅葉の時期には隠れて見えなかったところが殆ど見渡せて、なにか新鮮な感じがしました。
表門から拝観受付に至る土塀の通用口までの範囲は見学自由でしたので、そのまま中に進んで西側に並ぶ国重要文化財の建築群を眺めました。上図の石畳道の奥には本堂(方丈)の玄関の唐門が見えました。
唐門の右には、表門や鐘楼、客殿と同じく天正十七年(1589)に小早川隆景によって改築された建物である庫裏が見えました。昨年11月の拝観時には庫裏の内部も見ましたので、U氏もその記憶にひたっていたようで、しばらくじっと眺めた後にカメラを出して写真を撮っていました。
黄梅院を出て後は、広い境内地の中心伽藍の西を通り、上図の山門「金毛閣」を眺めたりしました。ですが、樹木がかなり茂っているので建物の全容がなかなか見えませんでした。
中心伽藍の北西に位置する総見院の門前に着きました。特別公開の案内板がありました。「おお、織田信長・・」とU氏が感動のつぶやきをもらしました。天正十一年(1583)に羽柴秀吉が建立した織田信長の菩提寺で、寺号も信長の戒名「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」に因みます。
総見院の表門である唐門です。その右手前に「信長公廟所」の標柱が立ちますが、U氏はそれを見て「織田信長・・」と再びつぶやきました。彼のなかでは、興味ある歴史人物ベスト5の5位であるそうですので、感慨深いものがあったのでしょう。 (続く)