拾翠亭の北にある東屋の「四阿」へ行きました。この種の小建築が好きなU氏が「あれに絶対入ろう」と三度ぐらい話していたからです。庭園の休憩所にあたる施設ですが、実際に見学者も休憩利用出来ます。
「四阿」の内部はこんな感じです。三方に壁を作り、二方に座板を張ってあります。座板のある壁には引き違いの障子窓があり、座した時の視線の高さに設けられています。
「四阿」の西側のみ壁が無くて出入口になっており、その軒先からは南に拾翠亭が見えます。
「四阿」の南壁には丸い明り取り窓が設けられて石垣貼りの障子紙が貼られています。この窓は固定式で開いたりしませんので、少なくとも拾翠亭からは「四阿」の内部は見えません。邸内で話したくないような密談をするための空間だろう、とU氏が言いましたが、そうかもしれません。
U氏がとにかく気に入って「ここなら幕府打倒の密謀も心置きなく披露出来るだろうな」と言い、「悪代官に正義の鉄槌を下す水戸御老公の破邪の裁断もここなら密かに下せるな」と言うので、どっちなんだ、と問い返すと、「決まってるだろう、水戸藩28万4千石の心意気にかけて、尊皇攘夷の道を切り拓くのみだ」と、U氏ならばでの妄想にひたっているのでした。
「さて右京大夫殿、座を立って次に参るとするかの」
「待たれよ」
「何かな」
「暫し茶を一服したい」
「おおそれは、それがしも一服とゆこう」
そうしてペットボトルのお茶を飲む二人でした。
庭園の散策路をぐるりと一巡して、拾翠亭の南側に回りました。
九條池の南西隅の石橋も散策路に含まれるので、渡りました。U氏が「こういう庭園の石橋って、普通は安全対策のために立ち入り禁止にするところが多いけど、ここでは渡れるのな」と感動していました。
ですが、散策路のロープが一時的に外されていた形跡がありました。おそらく、私たちが訪れた時期はシーズンオフであったからかもしれません。観光シーズンの見学者が多い時期には、たぶん石橋も立ち入り禁止になって渡れないだろう、と思います。
九條池を眺めました。向かいの右手に厳島神社の鳥居が見えました。U氏が「珍しい形の鳥居があるってブログで書いてた神社はあれかね」と指さして聞いたので、左様、と重々しく答えておきました。ここは管領細川右京大夫殿になりきっておいたほうが、楽しく過ごせます。
U氏はここが大変気に入ったようで「この建物ウチにも欲しいなあ」と二度言いました。私も金と土地があれば、こういう粋な別邸を建てて住んでみたいものだ、と思います。
かくして拾翠亭には、予定の30分を大幅に超えて一時間半ほど滞在していました。水戸からはるばるやってきたU氏のペースに合わせましたので、彼が心行くまで観て楽しんでいるのであれば、それで充分でした。 (続く)