今日11月24日は、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」が出版された日だそうです。1859年ですから、今日でちょうど150年の節目に当たります。
このような古典的名著を紹介したサイトがあることに気がつきました。金沢工業大学が作成した以下のサイトです。
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世界を変えた書物-「工学の曙文庫」-
http://www.kanazawa-it.ac.jp/dawn/main.html
チャールズ・ダーウィンの「種の起源」
http://www.kanazawa-it.ac.jp/dawn/185901.html
初め医者を志し、エディンバラ大学で医学を学んでいたダーウィンは、麻酔なしの(麻酔はまだ発明されていませんでした)外科手術を経験してから医学が嫌になり、ケンブリッジ大学へ転学して、牧師になる勉強をしていました。ところが、ケンブリッジで彼は博物学に興味を持ち始め、その学習をすすめた植物学教授ヘンズロウと親交を結びました。イギリス軍艦ビーグル号が、南米及び太平洋の調査航海に出る為、研究員として動物学者を探していた時、海軍省にダーウィンを推薦してくれたのは、このヘンズロウです。ダーウィンはビーグル号に、ヘンズロウが「馬鹿げた本だ、中味を信用するな」といいつつくれたライエルの「地質学原理」を一冊携えて乗り込み、5年間の航海に出発しました。これは、科学史上、生物学史上最も重要な航海野ひとつとなったのです。
航海中、ダーウィンはある地域から他の地域へ移動するに従って、地域変化に応じて動物相や植物相が変化していくのを魅せられたように観察しました。そうして、艦がガラパゴス群島にやって来た時、14種類ものアトリ科の鳥、フィンチの変種が夫々の変種毎に群島のあちこちの特定地域に繁殖しているのを見て、ショックを受けました。この少しずつ違う鳥の種の個々が、独立に創造、あるいは発生したとは考え難い、本土エクアドルの原種のフィンチから、この14の変種は展開したと考える方が妥当であると思ったのです。また、その際に思い合わせれたのがライエルの考えでした。つまり、地球上の険しい山々や海など多様な地理学的自然も、地質学的には何十億年という長いタイム・スパンに於いて、非常にゆっくりと変化して来た結果としてあるという思想です。それならば、同様に生物の種の多様も長い時間をかけて少しずつ変化を続けて来た結果なのではないか、とダーウィンは考えたのです。
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砂防堰堤や床固工は確かに土砂をとめて安全を確保してくれます。しかしそれは一時的なもので、地質の営みから考えると、止められるという発想よりは、土砂は動くものとして譲歩し調和しながら、被害が出ない程度に付き合っていくという発想が必要なのです。技術者や防災担当者が、そのような発想を転換するための航海に出る必要があります。
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