真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
『アメリカ映画100』シリーズ(芸術新聞社)発売中!

DVDの60・70年代作品発売ラッシュをみていて思った喜びと回想。

2009-05-30 | DVD


60-70年代もの映画のDVD化が加速しているようだ。メーカーはブルーレイにシフトしたいところだろうから、旧作DVDのソフト化もいよいよ大詰めなのだろう。廃盤になって高値がついていた旧作の再発も増えている。
LDが無くなる頃にもこんな感じで「70MMノートリミング・シリーズ」と銘打ち60年代大作の発売が多かったものだが、世代がひとめぐりして購買層が70年代のカルトものに移ってきているのだろう。とにかく、70年代映画のソフト化を諦めかけていたので、個性的な作品が続々と発売されていることは単純に喜ばしい。

ラインナップには「ジョンとメリー」「グリニッチヴィレッジの青春」「ハリーとトント」「白い肌の異常な夜」「スローターハウス5」「東京暗黒街 竹の家」「ヘンリー」「北国の帝王」「ホットロック」「唇からナイフ」「砂丘」「愛のそよ風」「ソルジャーブルー」「地球爆破作戦」「大陸横断超特急」「ダーリング」「イルカの日」「ハマー・プロ作品」などが並ぶ。再発ものでは「イレイザーヘッド」「フランソワ・トリュフォー作品」「クンドゥン」「赤い影」「サブウェイパニック」「ザ・クレイジース」「俺たちに明日はない」「脱出」「チャンス」「暴力脱獄」「ジャン・ピエール・メルヴィル」の作品群や「アラン・ドロン」の作品群もある。

こと20世紀フォックスとキング・レコードの健闘に目を瞠らされるが、紀伊国屋レーベルだって相変わらず豪華だ。「ビクトル・エリセ」や「ファスビンダー」「ブニュエル」「大島渚」らのBOXシリーズの連打。ルネ・クレマンの「狼は天使の匂い」まで出てくる有様さ。



メジャーの大ヒット作でないものが多く含まれている。が、民法でのテレビ放送が活発だった時代にはお馴染みだった「実は有名な作品」も多い。ほとんどが30年ほど前の作品になるが、今もそれなりのニーズを持つ作品だということだろうか。だとすれば、そういう映画が数多く制作されていた時代だったということに感銘を受けるところだ。時が経たいまも「思い入れ」を持ち続けているファンがいるということであり、これらを見ていた世代は純粋な「映画世代」としては最後の世代ということになるのではないか。今はまだかろうじてそういう人がメーカー側にも購買側にもいるわけで、だから発売もあるが、そのうち難しくなるだろう。

70年代にはジャンル映画がバラエティ豊かに存在している。刑事アクション、カーアクション、ハードボイルド、バイオレンス、マフィア、ギャング、カンフー、ホラー、オカルト、パニック、青春、恋愛、コメディ、西部劇、SF、ファンタジー、ミステリー。社会派、ロードムービー、ドキュメンタリー、アンダーグラウンド、ポルノなどを「ジャンル映画」とは言わないだろうが、ジャンルであることに変わりはなく、それぞれに客がついていた。
また70年代映画の面白さのひとつはその殆どが「ジャンルのルール」から逸脱していたことであり、ある作品は「確信犯的」に、ある作品は「結果」として逸脱していたのである。逸脱こそが当たり前なので、実際は逸脱ですらなかったのかもしれない。とにかく観客はその「はみ出し方」を愛した。ある種の「不良性感度」を楽しんでいたのである。

こうした仇花的な映画群には妙に引っ掛かる後味があって一部の人々の記憶に残り続けたが、次第に消えていった。80年代にはビデオ屋がその市場になりからうじて残っていたが、いまやノスタルジーの中にしか存在しないだろう。個性剥き出しの作品で映画を知ってしまった「幸福な観客」にしてみると、現在の映画は綺麗に交通整理されすぎであり、「逸脱」すらも計算のうちになっていることが退屈なのである。勿論、現代の映画にも名作や傑作があるわけだが、そうした名作・傑作以外の「周辺」に面白い映画が足りていないのだ。映画鑑賞の魅力は「周辺」のこそ宿るのである。

最初にあげた作品は必ずしもその時代時代の中心的な存在だった訳ではない。名作・大ヒット作の周辺に散らばる多くの一本に過ぎなかったのである。名画座やテレビ、もしくはビデオがそうした雑映画を拾い上げていたわけで、言い換えれば散らばるほど「傑作の量」が多かったということにもなる。この事実を知っている人々は、今も観ないではいられない。そしてそんな人々はいまも「結構いる」のである。

例えば「白い肌の異常な夜」は公開当時ゲテモノ扱いされた映画である。本作は今をときめくクリント・イーストウッド主演作であり、監督は彼の師匠才人ドン・シーゲルだ。シーゲルが腕によりをかけた心理ドラマの傑作中の傑作であり、テレビでは何度やったのかも分からないほど繰り返し放送された。禍々しい雰囲気の映画だが、繰り返し観られているうちに語り草の作品となった。とにかく強烈な映画だからいまももっと観られていい。
「脱出」は以前も書いたジョン・ブアマンの異色作。同様の道筋で人に知れ渡っていったカルトである。「サブウェイパニック」は公開当時はタイトルの通り「パニック」ものとして扱われていたが、実際はニューヨーク犯罪映画の傑作である。思わず釣り込まれるストーリー展開とウィットの効いたセリフと芸達者たちの好演。加えてデヴィッド・シャイアによる切れのいいビッグバンド・ジャズのサントラも格好いい。リメイクもあるが比べ物にならない「知る人ぞ知る名作」である。原題の意味は「ぺラム123号の乗取り」。ぺラムは地下鉄の名前だ。



これらが今も観た人々の心に残り続けているのは「昔の観客」がウブだったためか? いやウブどころか逆に刺激過剰とも言いえる時代環境だったはずだ。今は少なくなったテレビの映画劇場や名画座、街頭のポスターや看板等の過剰さも、いまから思えばただごとではなかった。とにかくそこらじゅうにバイオレンスとセックスが溢れかえっていたのだ。こうした風景も80年代の中盤には整理されて尻すぼみ状態にあったが、まだテレビでは毎日のように21時からの映画放送があったし、有名評論家の解説までついて親切なことこの上なく、民法放送ゆえ誰もが「同じ環境」で「同じ時間帯」に観ていたわけだ(80年代にはビデオの予約録画がはじまり時間帯はバラバラになった。いまならもっとバラバラであり、そのことが新しい映画の観方を生み出していく)。
名画座はその名の通り古い映画を2・3本立てで上映する、街のおやじやおばさんが経営する庶民的な安い映画館のことだ。僕がよく行ったのは、三鷹オスカー、高田馬場パール座、大塚名画座、目黒シネマ、五反田東映シネマ、新宿ロマンなど。最も印象に強い好カードといえば「デ・パルマ三本立て/キャリー、フューリー、殺しのドレス」「カーペンター三本立て/ハロウィン、ザ・フォッグ、ニューヨーク1997」「犯罪映画三本立て/サブウェイ・パニック、ホットロック、ザ・クラッカー」「ファイブ・イージー・ピーセス、さらば冬のかもめ/二本立て」「コッポラ三本立て/ゴッドファーザー1&2、地獄の黙示録」「キューブリック二本立て/時計じかけのオレンジ、博士の異常な愛情」「タクシードライバー、狼たちの午後の二本立て」「ゴダール二本立て/勝手にしやがれ、気狂いピエロ」「ホーボー二本立て/スケアクロウ、北国の帝王」あたりか。「ダン・オバノン二本立て/エイリアン、バタリアン」も忘れがたい。いずれも“館長のこだわり企画”だったのだろう。

上映期間中は、それぞれの街の駅や商店街にポスターが貼られて楽しく、映画館には看板が掲げられる。上映開始を告げる「ジリリリリ!」という荒れたブザー音が外まで響いて、「興行」の匂いが街の通りにも広がっていく。「映画が街に来ている」という実感に溢れていて、いまのツタヤとは大違いだが、いつかそのツタヤすらもなくなる日がくるだろう。
大きな街のロードショー館の看板なんてそれは大きなものである。街行く人々に対する主張力は強力だった。金曜の夕方になれば明日の土曜に始まる新作の看板に取り替えている。その大掛かりな作業を日常的によく目撃したが、これがなかなかいい思い出の風景になっている。それを観ているとその映画が観たくなってくるのだが、それは興行ランキングやネットの口コミ評判に左右されない内奥から沸き起こる衝動のようなものだった。ジャンルは問わなかったし、話題作、芸術作、ゲテモノから文芸作品まで単純に「映画そのもの」に対する関心のなせるわざであったのだ。



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