真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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老猫ニャアの永眠 19歳

2024-08-01 | 雑感
 
2024年闘病の7ヶ月。首が捻れる発作を起こしたのが始まりで、春までに目が見えなくなった。それ以外はいつも通りの生活をしていたが、7月の梅雨明け間近。猛暑の日に、口の中が腫れて食べれなくなり、やがて目、耳、鼻、口の機能を無くしていく。病院では、口が治れば食べるようになるだろう、内科的な病気ではないはずといわれた。医者から抗生物質を貰うが口を開けない。みるみるうちに顔が腫れて変形し、可哀相でならなかった。左側の歯茎からきのこのような出来物がはみ出してきた。こんなものがあっては食べれるわけがない。お腹はぺったんこで、皮が背骨に張り付きそうだ。これでは食べれないが、自分で水は飲みに行く。しかしほんの少ししか飲まない。そこで水に溶かしてスポイトで飲ませることにした。無理に飲ませるのはつらかったが衰弱してしまう。するとてきめんに効いて数日で出来物が取れた。さすがニャアの生命力だ!これで食べるようになるだろう。ぼくは希望を抱いた。
が、そうはならなかった。歩けなくなってしまった。流動食を与えたが、永眠した。7月24日の夕方であった。最後はとても苦しんだ。亡くなる直前に痙攣を起こした。ぼくは泣きながら、こわがるニャアの体を抱いた。胸に耳を寄せて最後の鼓動と吐息を聞いた。何度も生き延びてきたが、最後の衰弱はあっという間のことで、今でも信じられない。しかし魂の離れた肉体は穏やかだった。
ぼくは泣き腫らした。ニャアはぼくにとって命の恩人。猫の愛情と熱意に救われることなど思いもよらなかった。だからこそ君を守ってきたのに、救えなかった。過去の写真を見つめ続けた。おそらく19歳だった。ぼくとな18年以上も人生の一時期をともに過ごした。ニャアは野良出身だ。“拾った”のではない。ぼくは猫を飼うつもりはなかったし、当時の部屋では面倒をみてやれない。しかし、ニャアは何週間、何ヵ月にも渡る猛烈なアピールでぼくの気持ちを変えさせた。いじけたところのない明るい性格で、美しく、自らのパートナーとしてぼくを選んでくれた意思に、すっかり感動してしまったのだ。猫が飼い主を選ぶのだと聞いたことがある。本当だと思う。
 
ニャアは生きることが大好きだった。人好きであり、たいへんなおしゃべり。鳴くというより、ごにょごにょとしゃべるネコだった。寂しがりのぼくの側にいつも居てくれた。自分も心細いと全力で胸に張り付いて離れなかった。いつもぼくの動きに目を光らせていたのは、ぼくがニャアを気に止めているかをチェックするため。共同生活のパートナーだからである。18年の時間は決して短くはない。世の中も、ぼくの環境も大きく変わった。最後の最後まで変わらなかったのは、ぼくとニャアの絆だけだ。年老いて、体の限界まで一生懸命に頑張ってくれた。
ぼくの宝物で、自慢の“美人さん”だった。毎日そのことを伝えてきたが、今はもう側に居ないなんて。ニャアと生きるために維持してきたこの部屋も、いまは空っぽ。すべての生きものの運命だけど、何だか虚しくなる。
 
水曜日に亡くなったニャアの亡骸と一緒に4日間を過ごした。ロックアイスとアイスノンでほぼ眠らずに冷やし続け、抱き締めた。直ぐに死後硬直したニャアは目を開けて閉じることはなかった。苦痛の口は閉じてあげた。すると穏やかな表情になった。その穏やかさを生きた姿で見られなかったことが悲しくならない。
薔薇とひまわりで飾った。日曜日の火葬では立ち合い葬を選び、焼き場に手紙と思い出の写真、薔薇とひまわり、最後に食べられなかったビスケとレトルトを天国までのお弁当代わりに添えた。ニャアを持ち上げるときにひまわりの花びらが何枚も落ちた。それが最後のニャアからぼくへのさよならのメッセージ、最後のおしゃべりだと思えた。火がはいり、夏の青空と白い雲が熱の煙で揺れていた。おれは必死に怖くないからねと声に出して話しかけた。焼き終わり、扉が開くと白骨のニャアは小さかった。小さな頭はさらに小さくて。どこに感受性豊かなニャアの思考が詰まっていたのだろうと思った。係の人が病気をしていない立派な骨ですね、と言った。そして右のうしろ足の骨の変形を指摘した。びっくりした。1度も痛がっていなかったから。その女性いわく出会う前の若いときのものかも知れないですね、と。骨の中にはニャアのうんちもあった。うんちはニャアの最大の関心事で悩み事。でも食べれなくなって、長らくおしっこだけだったけど、流動食がほんの少しだけうんちになっていた。お骨上げをして、すべてを骨壺に容れた。そしてさっきまでニャアを容れていた空の箱に骨壺を載せて、ニャアの居ない空の部屋に戻り、文字通り泣き崩れた。
君のためのこの家に居ないなんて。白茶けた夢の中を彷徨っているみたい。とても現実とは思いたくはない。ニャアが命の恩人とは、おおげさに言っているのではない。衰弱して意識が遠くなっていくぼくをこの世界にとどめたのは、ニャアが寄り添ってくれたからだ。最期までずっとそうだった。だからこそニャアを助けたかったし、これまでは
何度も成功してきた。元気になるたびニャアの生命力に感動させられた。ぼくは飼い主とペットという言い方がどうも苦手だ。結局、命と命として対等であり、最高の相棒にして生きるのだ。互いの医者であり、父と娘でもあり、兄と妹、恋人のようでもあるという境界を越えた不思議な絆は、ぼくらの場合、人間とメス猫だからこそ成り立ったものかも知れないが、今度ばかりはニャアの期待にこたえられなかった。今後、君を思い出しては悔み、胸を締め付けられることになるだろう。
 
足の骨のことが気になり、昔の写真を見ていたら、思い出した。そうだ右足の骨が飛び出しているので何度も撫でていたね。何ともなかったみたいだから、係の方が言う通り、古傷だったんだろうか。学芸大学のノラ時代は、“ケンカ屋ニャア”とあだ名したほど縄張り争いに明け暮れ、勝利してきたことを知っています。一度はしっぽを折られて、介抱したこともあるけど、それでもけんを続けて、おれのアパートの周囲にいたノラたちが居なくなってしまったものね。
 
ニャアとの出会いを忘れた日はない。君の出会いはぼくに鮮烈な印象を与えた。人生の宝物であり、別れの数日は最大級の痛みだった。君が逝ってから一週間が経つけど、外を歩いていても涙を抑えられなくなる
。夏の汗よりも悲しみの涙の方がたくさん流れるくらいだ。ニャアに向けて独り言をつぶやいてしまう。どうかしてる。でも18年語りかけてきたんだから、仕方がない。いつも君が待つ家に戻ることが楽しみだった。ニャアとは本当によくしゃべり合った。毎日が楽しかった。ありがとう。
 
今、部屋の隅々に君の記憶が染み付いているのを感じる。2つ用意したトイレがそうだし、ベッドルームを覗けば、白いシーツの上に君の姿があった。ある日、ずっとよしこから乗るなと言いつけられていたベッドを、ぼくが指差して、今晩からあそこで寝ようね、と伝えると君は張り切ってまくらの隣で寝るようになった。あの日以来、十数年。今年の7月頭まで。隣の部屋から呼ぶと必ず起きて来てくれた。だから布団を見ると、今もいちばん悲しくなる。もう居ないのだと思うと、寝る気になれない。
ニャアはぼくの自慢でした。天国でも、あの誇らしげで、明るく前向きで、おしゃべりなニャアで居てくれることを願っています。人生の大きな一時期を、ともに過ごしてくれて、本当に幸せでした。喜びをありがとう。
(“ニャアのげんさん”より)
 
 

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