真夜中の映画&写真帖 

渡部幻(ライター、編集者)
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独り部屋のセルフポートレイト。そこに写った無表情と雄弁と妄想と妄想

2010-12-14 | ファッション写真





男が妄想する、独り部屋で自らの心と肉体と戯れる女の子の姿とはどんなものだろうか。例えば、独り、厚化粧をして鏡の前で挑発的なポーズをとる、淫乱な女の表情と肢体だろうか?男性向けエロ雑誌に掲載されるのは、ほとんどがその手のものであり、それはそういうセックスの飢餓に耐え切れずにいる男が、遠くどこかにいる女にも求める願望や幻想を反映したひとつの様式である。少なくとも、一部の男性の脳内(妄想装置)にとっては、それは魅力的で刺激的な幻想のひとつなのだ。当然、ほとんどの男たちはそれらの幻想が、女性の真実とは無関係に生み出された「幻想」であることを理解している。男性向けエロ雑誌はそのように作られているし、そこで演じているモデルたちも、そのことを心得て演じている(演じることそのものに本気で興奮し、それが演じられたものであることを知りながら、なお興奮するということもあるかもしれない。でもそれは、普通の映画やテレビで観る芝居にも見られる心理である)。

だが、この写真に表現されている「ひとり孤独を慰める女の子」の姿は、そのような男性的な幻想から隔たった淫靡さを湛えている。実際この写真はエロ雑誌ではなく「intarview」というカルチャー誌に掲載されたものだ。

彼女は無表情に自分の裸体を見つめている。この無表情は「自らにカメラを向けている自分の哀れな心」を「冷徹に見つめる残酷な無表情」である。しかし、彼女の肉体は肌をさらし、うずく孤独に身を捩じらせている。いわば「肉体の表情」である。なお奥底から沸き起こる「官能のうずまき」に飲み込まれんと耐え忍ぶ、身を捩じらす苦悶の表出を無表情が観察している訳だが、言ってみればこの無表情は、彼女の「官能の表情」であり、つまり「心の表情」である。「心の無表情」が「肉体の表情」に抑制をかけ、なおかつ滲み出してくる性的本能のうずき……そういう心理描写が、このざらついたファッション写真が持つ強力な官能の秘密、といえなくもない。
この写真には女の哀しみがにじみだした。「孤独」こそ、この女の子が独りレンズの冷徹な視線を前にして、自らの官能の発露をさらさせた「狂おしさ」の元凶である。
男の動物的・本能的なそれとは違い、この女の子の官能の正体は、自らへの「怒り」や「孤独」を、「どこか冷めて見つめる」「冷徹な心」から発せられた「孤独の叫び」としての淫靡であり官能なのである。

しかし、このような男の妄想にこの女の子は唾を吐くであろう。そして彼女は自らの欲望にも男の欲望にも唾を吐くのだ。だからこそ、彼女は満たされることがないのである。謎めく「性にまつわる妄想」や「幻想」は、官能であるからこそ、永遠にやむことのない、どんな人の心をも蝕む浮世の地獄であり、つまり、つかのまの天国である。

今回の写真は「インタビュー」誌からだが、妄想装置としてのファッション誌、特に海外の雑誌には、このように人間の深層心理や性に斬り込んで優れている写真が掲載されることがある。たとえば、ファッションとは飾ることであるが、自らを飾りつけるためには、身もとろけるような官能とともに、飾る人間の心の虚無を見つめることのできる、無表情で冷徹な視線が不可欠なのだろう。それは女性がときおり見せる、自らを含む人間の孤独に対して、思い切り冷血になれる恍惚の視線なのである。

モデルはmariacarla boscono 写真家はmikael jansson タイトル「express yourself」





渡部幻

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