父が旅立っていきました。
優しく強い人でした。小柄で目立つ人ではなかったし、特別に名を残すようなことがあったわけではありません。でも戦中戦後に人生を送るのは大変な辛抱が必要だったと思います。
決して裕福という生活ではなかったけど、その中で小さな喜びや幸せを見つけていった人だったと思います。
怒られた記憶が全くなく、穏やかだった思いでしかありません。
小さい頃に、日曜日にはいつも山とか海とかお金のかからないところへ遊びにつれていってくれました。
父が作ってくれる水に砂糖を溶かした砂糖水を飲むのが楽しみでした。
新年早々だったこともそのせいでお通夜が一日延びてしまったのも優しい父の最後の計らいだった気がして仕方ないのです。忙しい年末を避けてくれて、休みを取りやすいお正月に兄弟が集まれたこと、ゆっくりとしたお通夜だったので親戚も集まって昔話をしてくれました。
父の話で初めて聞くことが多々あり、驚きました。
私は何も知らずに過ごしてしまったのでした。
せめて柩を花でいっぱいにして送ることができました。
でもどんなに感謝しても私にしてくれたお礼にはならないのです。
自分自身があなたと同じように精一杯生きることが、その感謝になるのだと今思います。
優しく強い人でした。小柄で目立つ人ではなかったし、特別に名を残すようなことがあったわけではありません。でも戦中戦後に人生を送るのは大変な辛抱が必要だったと思います。
決して裕福という生活ではなかったけど、その中で小さな喜びや幸せを見つけていった人だったと思います。
怒られた記憶が全くなく、穏やかだった思いでしかありません。
小さい頃に、日曜日にはいつも山とか海とかお金のかからないところへ遊びにつれていってくれました。
父が作ってくれる水に砂糖を溶かした砂糖水を飲むのが楽しみでした。
新年早々だったこともそのせいでお通夜が一日延びてしまったのも優しい父の最後の計らいだった気がして仕方ないのです。忙しい年末を避けてくれて、休みを取りやすいお正月に兄弟が集まれたこと、ゆっくりとしたお通夜だったので親戚も集まって昔話をしてくれました。
父の話で初めて聞くことが多々あり、驚きました。
私は何も知らずに過ごしてしまったのでした。
せめて柩を花でいっぱいにして送ることができました。
でもどんなに感謝しても私にしてくれたお礼にはならないのです。
自分自身があなたと同じように精一杯生きることが、その感謝になるのだと今思います。
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