今日もスッキリしない空だ。予報では夕方から所によりミゾレ混じりになるそうだ。
それじゃお昼までと思って大根を外に出して接骨院へ行き、終わって出てみれば雨だ。うまくはいかないもので、急いで帰り屋根の下に取り込む。
ラジオじゃ昨日の節分での恵方巻きが話題になってた。今ではここ富山でもすっかり恵方巻きが定着した感じだ。次はどんな新手の商法が出てくるか、何処かの CM じゃないがこの国は面白い(笑。
いつの間にか外は雪に変わっている。水分を多く含んだ冷たい雪に少しづつ始めようかと思ってた仕事も億劫になってきた。首の痛みは医者へ行ってきたばかりの今も残り、先ほど先生に3月頃まで治したいですよねって言われたことがやけに重く、思わずとため息がついてでる。
細くて細かい雪は定規で線を引くように真っ直ぐに降り落ちている。昨日とうって変わって風がなく、窓の外からは軒下に落ちる雨音が聞こえてくる。裏日本の海側特有のグッショリとした雪に戦意も失い今日もう一日と弱気になる自分がいつになく寂しい。
見るとはなしにテレビをつけてコタツに横になる。枕を首の裏に当ててみたり外したりでもんもんと時間を過す。
そのうちテレビも顔を向けるのが辛くなりラジオに替える。
ラジオでは映画「結婚しようよ」を話題に取り上げていた。拓郎を取り上げた映画ではないようだが、拓郎の歌は多く使われているようだ。
ラジオはこの後 拓郎の歌を何曲か掛けたが、その内の「人間なんて♪」が僕も好きな歌の一つだ。
いい年になってからでも思い通りに事が運ばずに、もうどうでもいいやと自虐的になったときに自分をいつも慰めてくれた詩だった。
でも、その後で寂しくなるんだよね(笑。僕には何故か孤独感を感じさせる詩なんだよね。
歌で自分の行き方に影響をもらったっていうのは恥ずかしいけど、尾崎豊なんだよね。
尾崎豊がデビューした頃は僕は随分と荒んだ生活を送っていたんで正直彼のことは知らなかった。僕が知ったというか、彼の歌を聴こうとしたのは息子が大学に行って留守になった部屋に残ってたテープを見つけてからなんだ。
もちろん高校に通ってた息子がいつも聴いてた中に彼の歌があったことは知ってたが、最初から通して聴いたのはこのときが初めてだった。
いいオジサンになってた僕だったが彼の「15の夜」や「17歳の地図」を聴いて、なんていうか自分が10代20代に戻ったように熱くて激しいものが湧き上がってくるような気持ちを覚えた。
先にも書いたが僕の青春時代は恥ずかしくて人に言えないような、世の中に背を向けて生きてきたと僕は思ってる。
もちろん一つ一つに正当性の理由をつけてはいたが孤独だった。 いつも最後には孤独感があった。
それを救ってくれたのは山であり、山仲間であったと今でもそう思っている。
尾崎豊はそんなもろもろの寂しさや怒りを全部抱きしめて、そしてそれを一切隠さずに突っ走って生きた人だと思ってる。 それが彼の詩にすべてが出ている様な気がする。熱いハートが自分に正直に生きようとする力となって。
だから僕は彼の歌を聞くたびに「自分は本当に生きてるのか、後悔なんかするなよ」って自問自答するんだ。例え自分の行き方に不安が見えてきたときでも彼の歌を聴くことで熱く燃えてた最初の頃を思い出してみて自分を奮い立たすんだ。
でも、今の自分はこりゃぁ何なんだろう。首が、肩が、肘が、痛いって情けないよね。 もう一度聞いて出直しだっ
「盗んだバイクで走り出す♪行き先も解らぬまま♪」
「♪素敵な夢を忘れやしないよ
ワァオ!」