雑誌を片付けてたら松岡先生の本、震度7の本が見えた。
その中に自分も登場する。
突然ナマズの絵を描きたいと訪ねてこられたが、先生、ナマズは夜行性だからと言って網を入れたらすぐ入ってくれたナマズが書かれてる。
激震ラーメンを送り出すきっかけは、図鑑や絵本の有名な先生が地震の本を書いた。
自分は調理人、僕だってやっていいだろうと思って作った激震ラーメン。
マスコミに取り上げられたが批判も多かった。
すぐ終わってしまうメニューかもと思ったが、改良を重ねたせいか、いまでも出る。
中越地震から10年過ぎたと思い出に浸った。
昨晩は蕎麦匠の会の総会。
会場は湯の谷の増田屋さんだった。
電車に飛び乗って小出駅よりタクシーで。
入口に張ってある紙に驚いた。
その日限りで閉店とあった。
僕と違って優良飲食店。
三年前に奥様が亡くなって、今度は親の介護の負担があった。
店を売ることにしたら不動屋さんが言うには2-3年かかるからと。
ところがすぐに買い手が現れて決断したそうだ。
別事業種の買い手だったので調理器具は不要。
リサイクル会社に見積もってもらったら二束三文だったそうだ。
冷蔵庫と食器と椅子とテーブルを分けてもらった。
帰りに気が付いた、最後のそばを食べようと。
店主は元気に装ったがそれがかえって心に突き刺さる。
自分も災害を重ねて十年、涙しながら食べたそばはまずかった。
二つの気持ちが議論してた。
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