風色明媚

     ふうしょくめいび : 「二木一郎 日本画 ウェブサイトギャラリー」付属ブログ

身の毛もよだつ

2008年09月14日 | 随想
”身の毛もよだつ”…とは言っても、この場合は”身の毛もよだつ”ほど醜いとか恐ろしいというような悪い意味ではない。
その真逆で、”身の毛もよだつ”ほど素晴らしいという意味である。

「私の骨の髄から滲み出てきた画面」を創る。
これが目下の私の目標である。
そういうスタンスで作品を描こうとしているのだが、凡人の私には極めて過酷な目標である。
目先の細事に囚われて大局を見失い、華やかな見栄えの良い世界に目が眩む、月並みな人間の一人でしかないからである。

では、それらに流されずに自己をより堅固なものにしていくためにはどうするか?
求道者のような強靭な精神力を持ち合わせていない私は、何かに助けてもらわねばとても一人で仕事は続けていけない。
挫けそうになるところを支えてもらえる強力な助言者が必要である。
それが心の拠り所というもの。
絵描きという部分の私にとってその一つは、見ていて身震いするような古今の名作である。
”身の毛もよだつ”ような名品の数々なのである。

それらの中から、中国南宋時代の画家李迪(りてき)の作品を紹介したい。

李迪と言ってまず思い浮かべるのは、「紅白芙蓉図」とか「雪中帰牧図」あたりだろうか。
故国中国以上に日本で評価の高い画家だけに、現在では真作と断定できないものも含め、日本に請来された作品は少なくはないだろう。
私にとって、南宋時代及びその前後である北宋~元の絵画はバイブルの一つと言っていい。
心酔するほど、”身の毛もよだつ”ほど好きなのである。

私は大学院生時代に学校のカリキュラムとは別に自主的に「紅白芙蓉図」の模写に挑戦したことがあった。
当時、所蔵する東京国立博物館では毎年10月には必ず陳列していたし、大学が近所ということもあって
私は足しげく通い詰めて頭に叩き込み、自宅で作業を続けた思い出がある。

「紅白芙蓉図」は李迪の代表作であり、最も有名な作品には違いない。
学生時代の私は、これが最も好きだった。
しかし、現在は、李迪の作品の中で私が最も好きなものはこれではない。



今私の知る限りの李迪の作品の中で最も好きなものがこの「林檎図」である。
(あるいは、これも伝李迪かもしれないが)

いわゆる「切枝画」と呼ばれる、植物の一枝を切り取ってきて描いたものである。
ご覧の通り、ただそれだけのものなのである。
これが絵?これは林檎の説明図じゃないの?
これのどこが良いの?
そういう感想を抱く人も決して少なくないだろう。
これは基本的に写生である。
切り取ってきた一枝を、そのまま描いたもののように見える。
これが理想的な林檎の一枝を描いた、理想的な画面なのだろうか。

では、理想的な林檎の一枝とはどういうものなのか?
果実の配置、葉の数や大きさ、枝の曲がり具合などが絶妙ということだろうか。
では、林檎の一枝を理想的な絵に描くためには何が大切なのだろうか?
構図だろうか、色彩だろうか、質感だろうか。

この「林檎図」は、それらの疑問に対する解答ではない。
ただ、それらの疑問に対する李迪なりの問題提起があるだけである。

まるで無作為に、淡々と林檎の一枝を描いているかのようだ。
しかし、そこには明らかに作為が存在する…ような気がする。
無作為の作為と言ったらいいのだろか。
作為がないように装って、その実、綿密な作為が存在する…のかもしれない。
そのあたりは凡人の私には結論を下すことができない。

私が驚嘆するのは、息詰まるような緊張感と、静かながら強烈なインパクトが画面全体を支配していることである。
技術を超え、作者の個性を超えたところには、かくも静謐で、重厚で、軽やかで、無限の奥行きと広がりに満ちた世界が存在するのだ。
そして何より、物が存在することに対する畏怖と憧憬が見て取れるのである。
物が存在するということは何にもまして重大なことである。
人間にできることは加工することだけであって、本当の意味での創造はできない。
道端に転がっている石ころ一つ創造することはできないのだ。
しかし、私たちの目の前には無限の宇宙が確かに存在している。
石ころ一つ創造できない我々に対して、無限の宇宙の存在が突きつけられている。
私たちはそれをどう受け止めなければならないのだろうか。
李迪の画面は、それを切実に訴えかけているように見える。

この絵を見ていると、現実の世界というものは、いかに属性ばかりが目立って満ち溢れているかを痛感する。
属性というものは、とても分かり易く、目にも鮮やかで、思わず見惚れてしまう魔力を持っている。
簡単に人心を惑わす、目くらましのような魔力を。
対して本質というものは…。

それは残念ながら今の私には判らない。
現時点での私の想像を超えたところにあるとしか言えない。
今の私にできることは、この絵の写真を仕事場の壁に貼って、日々自省を促すことだけである。

-------------- Ichiro Futatsugi.■



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