10月28日 大分県竹田市にある。
岡城 別名「臥牛城・豊後竹田城」
標高325m、比高95mの天神山に築かれた山城である。文治元年(1185)に緒方氏が築いたのが最初だと伝えられている、その後、元徳3年(1331)に志賀貞朝が入り城を拡張した。現在残る高石垣を多用した近世城郭となったのは文禄3年(1594)に中川秀成が入ってからのことである。本丸を中心に二ノ丸・三の丸・西の丸が置かれ高石垣が巡らされた。本丸には天守代わりの御三階櫓が、西の丸には御殿がつくられていた。明治になってから城の建物は解体されてしまった。
大手口から大手門へ至る登り通路
大手門
西の丸 三代藩主中川久清の隠居後の住まいとして御殿が造営された。城内で最も広い曲輪。
西の丸からの眺め
城内マップ
桜の馬場から左方向に中川覚左衛門屋敷跡の石垣が見える。
桜の馬場から正面には三の丸・本丸の石垣が見える。
西中仕切跡 城内で最も狭い場所で石垣により通路を折り曲げて防御の役割を果たしていた。
太鼓橋跡・鐘櫓跡 岡城の中心部への入口で、城内で最も重要な門。
三の丸跡 他藩からの使者や家臣が、藩主と対面する場とされています。
三の丸からの眺め
三の丸の見事な石垣
二ノ丸跡 月見櫓や御風呂屋など、特徴的な機能を持つ建物が並んでいた。現在ここには作曲家滝廉太郎の銅像があり、代表作「荒城の月」は岡城をイメージしたとされている。
本丸跡 中央には藩主の住まいとなる本丸御殿が建てられ、天守に相当する御三階櫓・多聞櫓・金倉などが御殿を囲むように配置されていた。
三重櫓からの眺めは兵庫県の竹田城を思い起させる見事な高石垣でした。
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