10月27日 鹿児島県鹿児島市にある。
鹿児島城(鶴丸城)
島津家18代当主家久が慶長6年(1601)ごろ築城を開始、慶長末年ごろ完成をみたとされる。背後の城山と麓の居館からなる城で、当初は山頂の曲輪が本丸・二ノ丸と呼ばれた。藩政の中心であった。麓の藩主の居館(のちの本丸)は三方を堀と高石垣で画し、御楼門を中心に左右に多聞櫓、御角櫓が配されていた。城は廃城後の明治6年(1873)に本丸が火災で焼失し、明治10年には西南戦争で二ノ丸も焼失した。
御楼門 鹿児島城では山麓の居館の門であった御楼門を2020年(令和2)に現位置に立体復元した。
高石垣
石垣に残る西南戦争の際についたといわれる弾痕
城山公園
城山展望台
展望台からの桜島
西郷隆盛洞窟 城山に立てこもり西郷が最後の5日間を過ごしたと伝えられる洞窟
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