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『名も無く豊かに元気で面白く』

読んだ本、ニュース、新聞、雑誌の論点整理、備忘録として始めました。浅学非才の身ながら、お役に立てれば幸いです。

「こころの定年」 正面から向き合っていない働かない残念なオジサンたち

2015-09-09 07:24:29 | 日記

「誰の役に立っているのかわからない」 「成長している実感が得られない」 「このまま時間が過ぎ去っていいものだろうか」 という3点が『こころの定年』を迎えるサインのようです。そのまま定年まで目的を持って働く、再就職、起業するにしても繋がりをもって働ければ無意味な時間がなく家族の理解も得られるはずです。たまたま日本人として生まれ、バブルのおかげで給料が実力以上の会社に入ることが出来たのであれば能力の高い若手社員に使われようと感謝し明るくふるまうしかありません。転職し年収が半減すれば悲惨ですからね。子供が公立高校は当たり前としても大学すら進学させられなければ負の連鎖。子供に大学まで教育を受けさせるだけでも立派な貢献です。要は就職する時点までに先を見越し判断する能力、覚悟を養うことです。

以下コピー リクルート社では学生から、新卒一括採用を経て入社して、当面は非管理職として現場で働く。そして40歳前後で管理職になる年次がやってくる。大手企業では、管理職になるのは、早くて30代後半、平均すると40歳という調査結果がある。つまり新卒一括採用と組織のピラミッド構造の矛盾が始まる時期、もっと言えば、働かないオジサンが生まれ始める時期が40歳直前なのである。38歳時点の退職金を最大としているのは、管理機構は小さくして、現場中心でやることを会社が宣言しているように思える。だから退職金の額が最大になる時点を、管理職になるかならないかの境目においている

言い換えれば、中間管理職の肥大化を抑えて、若手社員中心で組織を運営したいという意図があるのだろう。Aさんも、残っている50代社員の中で管理職的な仕事に携わっている社員は少ないと話していた。また、社長も40代で誕生するという。結果として、働かないオジサンは生まれえないわけだ。

会社員人生には、前半戦と後半戦がある

リクルート社の対応は、社員のライフサイクルの変化をよくとらえた人事施策である。リクルート社のビジネスモデルは、仕事、住宅、旅行、結婚などの個人向けサービスのマッチングをベースにした比較的シンプルなものである。だから管理機構を小さくして、現場の若手社員の活力で乗り切っていこうとしていると思われる。つまり、自社のビジネスモデルを反映した人事施策になっているのだ。しかも社員の年齢に焦点を当てている。

同じ社員であっても、ライフサイクルの変化によって働き方は変わってくる。本来は、そういう変化をとらえながら人事マネジメントを行っていく必要がある。一方で個々の社員も、年齢を経ることに応じた働き方をつねに考えておかなければならない。しかし従来の人事制度は、それほど年齢を勘案せずに一律に運営されているきらいがあった。同時に社員の側も、自らのライフサイクルについての感度が鈍かった。

20歳過ぎから60歳までの会社人生を、一気に走り切ることは難しい。

会社人生は、大きく分けると、入社してから仕事を通じて自立していく時期と、組織での仕事に一定のメドがついてから、自分の今後の在り方を考える時期の2つの段階がある。

前者は、仕事仲間や顧客に役立つ自分を、どう作り上げていくかというという課題があるのに対して、後者は、定年後の老いることや死ぬことも視野に入れて、組織との距離感をどう計るのかがポイントである。

中高年社員は、このような切り替えが求められているのに、前半戦と同じペースで走ろうとするから、働かないオジサンになってしまう面がある。今まで述べてきた会社の仕組みだけの問題ではないのである。2012年に、国家戦略会議のフロンティア分科会が「40歳定年」を提言したが、マクロ面が中心で、社員のライフサイクルまで踏み込めていなかったので、抽象的な議論のまま終わってしまった。

「こころの定年」にどう対処するか

私は、ここ10年ほど中高年サラリーマンに対する取材を繰り返してきた。その際に、会社組織に適応している会社員でも、40歳前後から揺れ始める人が多いことに気づいた。

揺れるきっかけは人それぞれで、漠然と「このままでいいのだろうか」と考え始める人もいれば、自分の病気、勤める会社のリストラや合併、親の介護、子どもの問題が契機になっている人もいる。また、震災や友人の死がきっかけになった人もいる。

先ほど述べた会社人生の前半戦と後半戦の境目が、このあたりにある。40歳というのは、会社員生活の折り返し地点であると同時に、人生80年の中間地点でもあるというのが興味深い。また管理職、非管理職といった会社での自分の立場が明確になる時期にも符合している。

この時期の心の揺れを具体的なインタビューでの発言から集約すると、「誰の役に立っているのかわからない」「成長している実感が得られない」「このまま時間が過ぎ去っていいものだろうか」という3点になった。

私は、このように組織で働くことの意味に悩む状態を「こころの定年」と名付けてみた。死を迎えるときが「人生の定年」、60歳(65歳)が「就業規則上の定年」であるとすれば、それより前に訪れる、この「こころの定年」とどのように対峙するかが、とても大切であると考えている。働かないオジサンは、何らかの意味で、この「こころの定年」に正面から向き合っていないような気がするのである。

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