源泉かけ流し本物の温泉を探せ!

温泉人の温泉人による温泉人のための温泉ブログ

男の修行

2011-10-01 23:59:00 | 温泉とは関係ないけれど
人には座右の銘とか、好きな言葉というものがある。
ちょっと堅い話になるが、
化け皮が剥がれつつある中、
ここらでマジな面も猛アピールしないといけない(苦笑)

そう、
ボクにも座右の銘というものがある。
それは「男の修行」という言葉だ。

何?
という人が多いかもしれないが、
その筋(どんなスジだ?)の人ならば、
「うん、そうか」とご理解いただける言葉である。


男の修行

苦しいこともあるだろう
云い度いこともあるだろう
不満なこともあるだろう
腹の立つこともあるだろう
泣き度いこともあるだろう
これらをじっと古らえて行くのが
男の修行である


この言葉の作者は、山本五十六(やまもと いそろく)海軍大将(死後に元帥)。
太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官であり、
戦死した部下の名前を書き留めた手帳を肌身離さず持ち歩き、
人知れず涙するほど、情に熱い一面を持もつ提督である。

画像として、その言葉を貼り付けているが
この画像は神戸在勤の時、会社の信頼する上司が顧問(元敏腕新聞記者)からいただいた紙を
さらにコピーしてパウチしたもの。

今では自分の部屋の棚に、見上げればすぐ見える場所に飾っている。
一日に何度も見上げるとともに、
都度心に刻み、自分に言い聞かせる言葉だ。

この言葉、
端的にいうならば、
男のニヒリズム、いや覚悟を語っている。
そうボクは解釈している。

決して今風ではない。
そうとにかく我慢、我慢。
いろいろなものを飲み込まなければいけない。

現代社会では似合わない・・・損をする言葉でもある。
でも心の奥底、そう深層心理に訴えかけてくる。

他の社員よりも言い訳は少なく(自分で思っているだけかもしれないが・・・)
社内営業(嫌な言葉だね・・・)もあまりしなかったためか
上司(神戸時代の別上司だが)から冷遇(これもサラリーマンの宿命)されてもグッと堪え(苦笑)
会社と得意先の理不尽で相反する要求にも堪え忍んできた (^^;

正直、この言葉を実践するとなると、ストレスが溜まるのは否めない。
でもこの言葉のお陰で、社会人として今までやってこれたとさえ思っている。
(結果としてストレス発散の場所として温泉に目覚めた訳だが・・・)

それにしても、
この「男の修行」という4文字は山本五十六の運命を考えると、一層説得力が増す。


山本五十六は太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官
(実戦部隊の最高指揮官)であっただけでなく、
日米開戦のきっかけになった「真珠湾攻撃」を最初に立案し、
実行に導いた人物。

結果としてアメリカからは目の敵にされるが、
アメリカ留学の経験から、実は誰よりもアメリカの国力と実力を理解。
日米が開戦すれば、日本は必ず敗けることを予測していた。
そのために体を張ってアメリカとの戦争を引き起こす恐れのある日独伊三国同盟に猛反対した。

そのため暗殺の危険が常につきまとい、
山本を守るために上層部は彼を海軍軍令部次長から連合艦隊司令長官へ異動させた。
結果として山本の異動後、海軍は圧力に負けて三国同盟を了承。
時代の流れは日米開戦に傾くことになる。

連合艦隊司令長官とは、作戦を立案する役職ではない。
あくまでも軍令部が立案する作戦を実行する役職である。
山本五十六の真意とは裏腹に、実戦部隊の責任を背負う立場として、
「勝ちようがない」と判断した相手に「勝たねば」ならなかった。

物量で勝るアメリカにいかに勝つか・・・
いやどうすれば負ける前に鞘を納めることができるか。

「半年から一年は存分に暴れるが、それ以降は自信が持てない」
当時の首相である近衛文麿に語ったように、
長期戦になれば日本は必ず負けることを理解していたのである。

行き着いた答えが・・・
来攻するアメリカの大艦隊を航空機と潜水艦によって徐々に減算し、
主力艦(戦艦)の隻数を同数程度にした上で、
日本近海にて艦隊決戦を行い決着をつける。

日露戦争で大勝利した日本海海戦以来積み上げてきた
日本海軍の基本作戦を根底から覆す
・・・「真珠湾攻撃」だった。

それは当時、
世界のどの国も戦艦が艦隊戦力の主力と考えられてきた時代、
前例のない、いや考え付かない航空母艦(空母)6隻の集中運用。
速力の早い機動部隊(空母艦隊)を隠密離にハワイに接近させ
搭載する艦載機約350機による奇襲攻撃である。

すなわち開戦劈頭において、
アメリカ太平洋艦隊が集結するハワイオアフ島の真珠湾(パールハーバー)を
徹底的に叩き、主力艦隊(戦艦部隊)を殲滅する。
その結果としてアメリカ国民の厭戦気分を誘い、
アメリカ世論を早期講和に導く。

そのための手段としての「真珠湾攻撃」だったのである。

しかし皮肉なことに、
ワシントンの日本大使館が暗号解読に手間取り、
攻撃開始前に提出すべき最後通牒
(もう話はせず武力に訴えるという返事)の
アメリカ側への提出が遅れ、
真珠湾攻撃後に提出をするという大失態を演じる。

実はアメリカはすでに日本の暗号解読に成功しており、
日本からの最後通牒提出前にその内容(戦争が始まること)は把握していたが、
建前上は最後通牒前の奇襲攻撃(だまし討ち)という結果。

直前までワシントンで戦争回避のための日米交渉していだけに
アメリカ世論は「リメンバーパールハーバー」の大合唱に包まれる。

厭戦気分どころか、
卑怯者で嘘つきの日本を倒し「正義の戦争に勝つ」
(実にアメリカらしい考えだが)
という強固な意思を固める契機になってしまった。


そして開戦より半年、
ミッドウェー海戦の大敗北により主力空母4隻を一挙に失った後は
坂道を転げ落ちるように日本は緒戦の優位が崩れ始める。

戦況が膠着し、徐々にアメリカ軍の反攻が強くなる最中、
日本海軍の暗号を解読したアメリカ軍の戦闘機の待ち伏せに遭い
昭和18年4月18日ソロモン諸島ブーゲンビル島上空にて乗機を撃墜され戦死。
前線のジャングルで苦境に喘ぐ部下の将兵を見舞う途中の出来事であった。

人生のはかなさ、
無常さを感じさせる出来事であるが
山本五十六は
身をもって「男の修行」を噛みしめ、
こらえ続けて死んでいった。

「男の修行」

だからこの言葉には説得力がある。
今日も「男の修行」が視線の先にある。


--------------------------------------------------------
温泉ソムリエNOBUの温泉ガイド
温泉新選組
http://www.onsen-shinsengumi.com/
--------------------------------------------------------