GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

忘れないでね。

2015-07-18 02:17:00 | 野球

 主にV9時代の巨人で「左腕エース」としてプロ野球で活躍された高橋一三(かずみ)[巨人―日本ハム]氏が、亡くなられました・・・高橋氏は、1964年オフに巨人に入団。1969年に22勝を挙げて最多勝、沢村賞のタイトルを獲得。1973年にも23勝を記録し、2度目の沢村賞を獲得しました(拍手)1973年には、伝説の"勝った方が、優勝チーム"という甲子園での阪神対巨人戦に先発投手として登板し、阪神もエース級の上田次朗(二朗・次郎)[阪神―南海―阪神]に投げ勝ち、見事に猛虎打線をシャットアウトし胴上げ投手となった事が、彼のかなりの爪痕となった事でしょう(笑)ただ1975年オフに張本勲と高橋氏と富田勝のトレードで日本ハムに移籍した事も、皆さん忘れないでくださいね!!その日ハムでも、1981年にはチーム2番目の勝ち星となる14勝を記録、チーム19年ぶりのリーグ優勝に大いに貢献しました!!引退後は、指導者としても優秀で日本ハム・巨人の投手コーチや二軍監督を歴任し、西崎幸広・柴田保光(西武―日本ハム)・松浦宏明(日本ハム―横浜)・酒井光二郎(日本ハム―阪神)・武田一浩・内海哲也らを輩出しました(燃)そのあとはアマチュア球界に指導の場を移し、2009年4月から山梨学院大学硬式野球部監督に就任していました。通算成績は、試595 167勝132敗12S 防3.18です。合掌です(涙)
 あと白坂長栄(ちょうえい)[大阪]氏も亡くなられました。白坂氏は、1948年のシーズン中に大阪に入団。主に遊撃手としてプレー。吉田義男入団後は二塁手に転向。吉田と二遊間を組みました。プロ2年目の1949年には投手として8試合に登板した事もあるようです(驚)レギュラーに定着した1950年は打率.258、18本塁打72打点を記録した。翌1951年以降は、二桁本塁打を記録することはなく、打順も2番や下位を打つことが多かった。一方で、守備に関しては一流であり、遊撃・吉田との二遊間は鉄壁であったと言われる。僕も阪神検定受験の際に当時の大阪の主力メンバーとしてセカンド・白坂長栄を覚えたもんです(少笑)1959年に現役引退。引退後は1960年からはスコアラーを務め、1964年から二軍監督として現場に復帰しました。それ以降は、フロントやスカウト兼任スコアラーや二軍監督を行ったり来たりで、阪神一筋の球団関係者として勤務していました。通算成績は、試8 0勝2敗 防12.00/試1020 率.238 59本360点 安789 でした。よく見たら、ホームラン数の割には打点が多いですな!合掌です(涙)

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2 コメント

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Unknown (MK26)
2016-10-20 00:46:43
お邪魔いたします。

先日は遅くまでありがとうございました{笑い}

高橋一三さんはギリギリ巨人時代を見れました。

当時の阪神は高橋一三以外にも
中日の松本幸行(ゆきつら)、ヤクルトの安田猛など、各チームのエース級左腕を苦手にしていて
最も苦手としていたのが高橋さんだったように記憶してます。

日ハム移籍以降は間柴茂有や木田勇らと左腕王国を築きましたね。

僕も白坂さんと共に故人の御冥福をお祈りします。

御存知かもしれませんが1973年の残り2試合は、
中日、巨人の対戦で先発は中日に強い上田次郎、最後巨人戦は江夏のローテーションだったのが
逆のローテになり、不満を感じた江夏さんが球団に抗議にいくと
「優勝されると給料あげないかんから」
てな事を言われてやる気を失いあんな結末になったというのを聞いた事がありますが、
解説でこの話題になると否定も肯定もしない感じですのでどうも当たらずとも遠からずみたいな感じですね。
今では考えられない話ですが。

ではでは{笑顔}
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Unknown (リング)
2016-10-20 00:47:33
>MK26さん、コメントありがとうございます!
いえいえ、一人でキャBクRやGズバーに行くよりよっぽど有意義です(爆)そういえば酔ってて頭の回転が悪かったですが、津野浩(広志・浩志)は、中日にも居ましたね・・・ですから、日ハム―広島―中日―ロッテに在籍された訳です。
左や初ものに弱いのは、阪神さんに限らずどこもそういう所が、昔からあるんですな{落ち込み}
1973年は、逆のローテというよりも江夏氏が、球団に呼び出されたんですよね。"優勝旅行や給料の話"かと思ったら「優勝してくれるな。」と言われたんですよね{困った}さらにそのローテの話も、出たんでしたかな?「その事も監督に伝えてあって、了承済みや」と・・・上田次朗は、中日キラーで江夏豊はどちらかというと中日に分が悪く、江夏豊は巨人キラーであったから、「どう考えても登板の順序が、逆ですよね」・・・金田正泰監督曰く「中日戦の時に上田は発熱があり、登板を渋った」という嘘っぽい証言もありましたねえ{落ち込み}
現代でもあながちそういった事というかこれは永遠について回るんでしょうが、それが"経営者の本音とファン在っての経営との「葛藤」で揺れ動いてる"んでしょうね・・・現代でもありそうな話でもあると思います!さすがに球団事務所に呼び出すんなんて事は、ないでしょうけど・・・
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