フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

すっかり様変わりしていました。

2010-03-18 21:41:15 | 日記
3月18日 木曜日 晴れ

本当に久しぶりに品川駅前の高輪プリンスで友人たちとランチをしました。
体調を崩していた方が少し落ち着かれたという事で、励ます会と言っても良いかも知れません。
本当に久しぶりにゆっくりおちついておしゃべりをしました。

わたしは少し早めに着いてしまいましたので、懐かしく附近を歩いてきました。
あるじと結婚して5年間、高輪プリンスの近くに住んでいたのです。
あるじの会社の寮があったのです。4階建ての小さなビルでしたが、2DKの良い部屋でした。

品川駅から5分ぐらいでしたので、大学時代の友人が上京しますと必ず我が家にメンバーが集まりました。
6畳の和室2間を、1部屋にして使っていましたので、集まるのには都合が良かったのです。
何時も何人かが泊まっていくのです。雑魚寝をしたものです。

若かったから出来たのでしょうね。懐かしい想い出の寮を見に行ってみました。
ところが影も形も無いのです。この塀はそのマンションのです。寮の辺りの家も買収したのでしょう。
狭かくて車が通るのがやっとだった道も、車が行き交う事が十分出来ます。広くて良い道です。



社宅があったところに、立派な塀と植え込みが有り、赤っぽいタイルの立派なマンションが出来ていました。
高級マンションです。立地条件も良いし、さぞ高価なのでしょうね。



近くにお寺があった事を思い出し、歩いてみましたらお寺はありましたが境内が道路になっていました。
当時、その境内に鳩が居まして、よちよち歩きの娘が鳩を追いかけていた姿を思い出しました。
そのお寺の近くに政治家、大野伴睦の立派な屋敷もありましたが、其処にもマンションが建っていました。

以前は無かったのですが公園が出来ていました。公園の前のコブシが満開でした。
この公園の所には、普通の家が何軒もあったような気がします。
娘を遊んで下さったお嬢さんがいました。全く様変わりしてまるで浦島太郎の心境でした。



高輪プリンスへ行く近道が無くなってしまったかと心配したのですが、これは嬉しい事に残っていました。
この坂をどれだけ往復した事でしょう。
船員保険病院へ通ったのも、あるじの実家へ行く時もこの道でした。懐かしい坂です。



この坂道を行きますとプリンスホテルの正面玄関がとても近いのです。
時には、ホテルのお庭を横切って、あるじの実家へ行ったりもしました。
私たちは高輪プリンスで結婚式を挙げましたし、本当に想い出深いホテルです。

 

ホテルの建物も建て替えられたり、様変わりしていますがそれでも懐かしかったです。
駐車場の向こう側に赤いお花が咲いている木が並んでいました。
近くに行って見ていませんが友人たちは紅梅とのこと。少々疑問を感じましたが信じる事にしました。(苦笑)

もう一度ゆっくり、高輪のこの辺りを歩いてみたくなりました。
社宅時代の方をお誘いしてみるのも良いかも知れない・・・。ふとそんな事を考えました。
あるじが居ましたら、きっと「直ぐ、行ってみよう」と言ったことでしょうね。
コメント
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