まずは、この写真。

ただの草ボーボーな荒れ地である。
しかし、この荒れ地はすごい意味があった。
真ん中あたりの電話ボックス横に注目。
そう、中央交通で使われなくなったバス停。
実はここ、昔の中央交通が飯島の回転地に使ってた場所!
現在、土崎飯島方面のバスはこないだ二面体バス停を取り上げた飯島北という上飯島駅北で終わるが、実はこれは中央交通としては最近の話。
飯島北はかつては秋田市営バスの北営業所として展開していた市営バス専用の施設だったが営業所が閉鎖され、解体されて更地になり市営バス限定の回転地に使っていたのだが、市営バスから新国道経由土崎線が移管されてやっと飯島北を終点にできた。
それまでは、この場所「飯島一区」を回転地にしていた。
事実移管されてからも「飯島一区」の幕が残る車があった。
古い地図にはきちんと記録がある。
7号のダイナムの向かいで、電話ボックスを挟み回り込む方式だったようだ。
電話ボックスは家族に電話でもする用か。
ちなみに、新国道経由土崎線に関しては中央交通のがはやい。
秋田市交通局は市電を走らせていたため、それに対抗するために運行したが交通局が市電を廃止したために新国道参入。
市電廃止がこの路線のせいだと言われたりもするが。
そのあとは土崎線は寺内、臨海のほか、ルートを変え将軍野や神田を走る市営バスの独壇場化していたが、新国道線は中央交通の大地盤の五城目、男鹿に行く路線が盤石であったため、市営バスはなかなか苦しかったようだ。
市営バスは金足の奥地、堀内まで行く路線を展開していたが、中央交通の岩瀬線が入れない区間をさらう名目で新国道の免許が欲しくて参入した感があり、下新城や上新城、街は違えど追分や大清水への市営バス乗り入れはかなわなかった感がある。
その堀内線は移管したあと岩瀬方面の派生路線になり、廃止されキングタクシーのマイタウンにされた。
そのため移管も堀内線ともども、一番最初(確か競合路線を整理したいとかいう名目だったはずなんだけど)に行われた。
そしてこの回転地は用済みになり、このような荒れ地に。
マックに渡せた飯島北の旧交通局用地の回転地とは違い、使いにくそうでいまだに中央交通の土地っぽい。
ちなみに、廃ポールに貼ってあるのは駐車禁止。
ここのほかに、飯島一区の下りバス停にもある。

何故かこの界隈でしか見ない。