FMEN式雑記

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御野場への道(後編)

2022-10-29 00:58:33 | 秋田市営バス
牛島だけで長くなった御野場団地線の話の続き。

水色=牛島経由
紫=柳原経由
オレンジ=臨海茨島経由
緑=山王新町経由
赤=秋高スクール

☆柳原経由・秋高スクール
牛島のつぎに代表的だったのが、サティ(いまのイオン中央店)から13号線を通る柳原経由。
もう柳原という地名は消えているが、利用者にはいまでも有名。
これ、どうにかならぬか。
サティ買い物客もさることながら、南高校需要狙いもありかつては朝夕に校内発着もあったぐらい。
牛島経由は二ツ屋福島線の管理だったが、ゆき便は1990年代、帰り便は2000年代に廃止でいまは校内便は飯島からのゆき便のみ。
これは市営バスの専売特許便で、一部時代は御所野まで延伸した時代もあるらしい。
もともと、市営バスの移管は競合をなくすためというはずが、2001年2002年の移管は単独便もやられていて今から見れば2000年の移管名目は市民のウソで、廃止ありきだったのではと。
ちなみに移管も合弁でなく羽後交通やタクシー会社や新規でなく随意的な契約であったが、中央交通社長と当時の市長は同郷であったのがなんとやら。
また、かつては6番ホームに「柳原経由仁井田線」と記されていたので歴史はかなり古い。
これがどこかは不明。

派生系統は秋高スクール線。
これは朝夕の通学便で、御野場(のちに御所野まで延伸)→南高校→聖霊高校→和洋高校(いまの令和高校)・明徳館高校・国学館高校→秋大附属小中校→北高校・工業高校→秋大→秋田高校と秋田市内中心の学校を回れる路線。
いまでも現役。もちろん昔は市営バス。
スクールとあるが、大人でも乗れて大町や保戸野に会社がある人には使える系統。
この路線は方向幕がタテであり、始発地と学校名を列記した昔のキハ40や455などの国鉄の「サボ」のような珍幕であったのも特筆。
ちなみに飯島から出るのもあったらしい。

☆茨島経由
これは秋田駅を出るとぐんぐんと県庁方面に向かい、臨海からひたすら13号線(市営バス当時は一部7号線)をすすみ、柳原からは上の路線になるもの。
一回乗ったが、なんと倍近い料金を取られる有様だった。
市営バス時代には児童会館通りを経由する山王新町経由もあった。
市営時代は「県庁茨島 南高校・御野場」だったのだが、中央になってからは路線計画か失敗かわからないが「県庁茨島 南高校・御所野」と表記された。
当然御所野まで行かないのだが、なんと中央は「県庁市役所 御野場団地」。
こんな表示をかましてきた。
一回乗ったのは誤乗。敢えて乗りたかったわけじゃないから、つかれるのなんのって。金もなくなるし。
てっきり県庁から来た路線だとばかり。(市営バス時代は県庁方面のりばに分けられていたが、移管後は仁井田方面に寄せられてたし、たしか横幕も不親切だったはず)
さっさと御所野を消して直せばいいのに、と思ううちにLEDになるドサクサ紛れに廃止になっていた。

どうです。
様々あったでしょう。
一部は大住や仁井田に振り割っても良かったのではと(大住は後に全部が柳原経由にかわったが)思ったりした。
10月改正は秋田駅からの座れない問題が解消されそうだが、減便してるから乗車率はどうなるのか、今後どうなるのか。

いずれにしても、市営バス廃止、失敗だったよね?と。

御野場への道(前編)

2022-10-28 23:50:00 | 秋田市営バス
秋田市南部の団地、御野場団地。
今回は主に1975〜1990に造成されたほう。
かつて、この街には大量のバス系統があった。
仁井田方面のリーダー地であったのだが、今は見る影もなく廃止や減便がいの一番。
造成が早まったため若い人が早くいなくなったのが理由かもしれない。

これが全盛期百花繚乱な御野場団地線だった。

水色=牛島経由
紫=柳原経由
オレンジ=臨海茨島経由
緑=山王新町経由
赤=秋高スクール

☆牛島経由
かつての定番系統。
秋田駅を出て、有楽町経由、楢山広小路→牛島東五丁目→大野口→御野場。(当時の市営横幕がこんなんだった)
途中までは13号の消防署近くの回転地で折り返していて、延伸したらしい。
当時は「仁井田線」とする情報もたまに見受ける。ただ、中央交通に仁井田線は別経路であり、これも調査したいがなかなか文献が。
市営のみでなく中央交通も競争運行する花形で、市営と中央は北都銀行から秋田駅に行かず大川反・交通局に行く直通便、中央は秋田駅経由から長崎屋大川反や県庁八橋→大川反に行く便が通常で、秋田駅から座る人は市営、それ以前は中央とすみわけ。
2001年に移管されて、秋田駅発着が数年で廃止されたが、この秋から逆に長崎屋、県庁の発着がなくなった。
当時の秋田駅発着は不思議な系統登録をしていて県庁経由の拡張で「6番」から始まるせっていをしていたが、たまに「1番」が発行されていて混乱がでかかった。

また、2003年あたりまで市営扱いで最終便とその一つ前は御所野イオンの新都市交通広場まで延長。
方向幕をみないまま移管してしまい、悔やまれる。
移管後に自分は乗車したことはあった。幕は「秋田駅牛島 御野場団地↲御所野」だった。
移管したあたりから中央は御野場に「団地」をつけるようにしている。
ニュータウン経由があったからか。

この系統も、市営でなくなり凋落した。
新国道土崎飯島、手形山大学病院、赤沼、大町新屋に並ぶ花形では一番扱いが悪いような気がしてならない。
競合の解消なら、市営が牛島経由を撤退するか飛行機や高速バスみたいにコードシェアにしたほうが良かったようにも感じるし。

引き続き、後編。

徐行標識の橋

2022-10-19 13:41:19 | 道路・交通
御野場の古川にかかる名無しの橋。
右は秋田南自動車学校。
ここは今、県警の免許更新ビデオにもつかわれている。
ひだりに注目。
これは。
徐行だ。
日本では数が少なく、ほとんどが東京という徐行である。
この橋の狭さからして正当であるが、裏側にないのが不思議。
ちなみに左手に立派な橋があり、安全性ならそちら。
秋田市内では手形山、楢山、牛島、勝平にもある。
一方で牛島(別な場所)や仁井田、北部はなくなった。
この徐行は規制が正当で、あたらしいからまだなくならないとはおもうが。

南通の廃社宅

2022-10-17 23:41:00 | 土木・地学・構造物
南通にこんな建物がある、いやあった。
南中学校の西側のこれ。
市営団地や雇用住宅かと思ってたら。
東日本高速道路の官舎(社宅)だった。
しかも解体中。
秋田市はあちこちにあった官舎が閉鎖、解体されているがここもこうなった。
秋田市唯一のスターハウスだった土崎の電電清水町住宅、飯島の帝石住宅、この南通にも民間社宅があった。
社宅文化はもう時代遅れか。

南通にはこんな廃社宅もある。
旧国鉄の鉄道社宅。
この鉄道社宅は土崎工場そばで、みなと祭りで有名になった土崎社宅がまれでどんどん減らされ気味。
保戸野社宅も今は商業地。
仁井田生まれはわからないが、鉄道社宅は町内会としてもあるとか。
土崎もそれ。
将軍野の防衛省社宅もそれとか。
南通鉄道社宅はすっかりと廃墟。
映画の撮影にでも使えそう。
道もダート。
八郎潟町の旧町営住宅にもそっくり。
これ。
ただ、南通の鉄道社宅は保戸野とは違い、北側にあたらしいのがある。
取材日は日曜で、こどもが鬼ごっこをしていた。

このご時世だから厳しいのかもしれないけど、このご時世だからともとれる。

これは河辺の旧雇用住宅。かなり前に写す。
ここもいつしか廃墟に。
市営団地も新藤田住宅みたいに長屋風な平屋になおされたりしており、令和の集合住宅のあり方はどうなるんだろうか。