FMEN式雑記

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令和っ子の昼飯事情。

2021-05-31 21:27:02 | 教育・教養・学校・学生

あるスーパーで見かけた小学校・中学校の給食献立表である。

昔と変わらない、変わった様々。

○米飯給食
太古の昔はみんなパンで、ご飯が導入は1980年代なんてとこもあったらしいがいまは週4で米飯。(当時は月木パン、火水金がご飯)
ただ、麦飯が少し多すぎない?と。
確かに仙台の牛たん弁当とかコンビニの焼肉弁当は麦飯最高だけど、米どころ秋田でわざわざパン減らして麦飯とは。
「ごんぎつね」で麦飯は貧乏食で貧しい兵十を象徴してるなんて言われたような記憶もある。
さらに、何にでも出ると刑務所の臭い飯なんていうイメージ。
でも、たまにならいいかも。

そんなんでも堂々のわかめご飯。

○パン
パンの数が減らされたかわりに趣向が。
【追記】チョコクリームコッペなどと記してある。
たけやの学校給食パンでないのかな?
本食パンがない。
耳が硬くて耳だけ給食袋に隠してテイクアウトしてきたのが懐かしい。(禁止
あと、いまミネマリンっていう雪印の猿のイラスト入ったマーガリン、出してないの?

○献立構成
中学校とおなじなのは兄弟対策。
ただ、21日は小学校はシチューに対して中学校はタンメン。
麺はパンの日になるため、中学校はパンが少ない。
ちなみにシチューはパンの日に出されるは変わってない。
小学校は両刷り半月、中学校は片刷り全月。
赤、黄、緑の食品は昔からあったが、さらに中学校はカテゴライズされている。
高校は家庭科で、献立カテゴリがテストに出るから必要だが、これでは献立表ってより材料表。
あとカレーライスが無い。

○ブルガリアの日
14日にはブルガリアの日としてブルガリア料理が出されている。
レンズ豆スープやヨーグルト肉団子「キュフテ」など。
小学校はキュフテの解説、レシピあり。
19日は中華の日みたい。
中華が楽しみだったなあ。

○牛乳
中学校のがやけに牛乳の位置をたかめており、筆頭表記。
どうして牛乳を飲むの?まで書かれている。
ミルメークは出してないみたい。
いまはどっから卸してるのか。

○コロナ禍?
啓発の中身に換気や手洗いマスク、これ冬には見たが5月なのにこれ。
あと、コロナで運動会を体育対応したのか、これからか、4月29日だったのか知らないが休日には豚汁とおにぎりセットなる運動会メニューが無い。

何となく健康志向を強められているような気がするが、昔からこうな気もするし…
食パンとマーガリンが消えたことがなにより驚き。



ビフォーアフター 泉外旭川駅泉口

2021-05-31 14:22:53 | 鉄道
まもなくグーグルの写真の保存規制がかかるため整理していたら出てきた泉外旭川駅の開業前と、あと。
個人的には長ったらしく言いにくいから「菅野駅」(すがのえき)にして巨人の菅野智之に揮毫をしていただきたかったが、なんか最近ピリッとしてないので。
Wi-Fiスポットみつけて一気に。

Before









After












外旭川口はありませんでした。



4の防衛線

2021-05-30 14:10:45 | 教育・教養・学校・学生

突然ですが、コレ↑何の線だと思いますか?
今回は、ノーヒント。

これは、令和3年段階での秋田市立四ツ小屋小学校の学区域。
紫の内側は四ツ小屋小学校に通うことになる。
ながねん秋田市の最南端であり、岩見川・雄物川より手前と、古川より奥と見ても良い。

四ツ小屋小学校は明治7年に城下当場の地にできている。
仁井田小学校よりも早い(そもそも村違いである)。
その後おなじように尋常小学校、国民学校をへて1954年に秋田市に合併、市立化。

この城下当場は四ツ小屋のいまの中心からはなれているが、昔はここが中心地で郵便局や圓通寺がその名残。
大正7年に国鉄が開通してから中心が動いたようだ。
かつてはそこから芝野や雄和まで行くバスが運行されていた。

1983年に、やや北側にうつしたいまの位置に移転。

1984年にできる御野場中学校や1982年の明徳小学校よりも、前世代のボックス校舎に近い。

なんでこの場所かというと、御野場団地の開発が始まったから。
御野場団地は、四ツ小屋字船場前地区の国道バイパス南側の土地を1975年から造成して、1976年に第一次分譲、1980年に第二次分譲された。
県営団地も誘致され、仁井田四ツ小屋方面に消極的な市営バスも乗り入れてまさに希望と命運のかかる再開発に。
そっから近い位置にしていされたのが、ここ。

ちなみに御野場という住所は当時圓通寺のあるあたりの小字であり、1989年に住居表示されて大字化した。

とうぜん、四ツ小屋小の大部分は御野場団地。
1975年に160人の児童が、1980年には263人、1985年には642人と激増している。
1989年の御所野ニュータウン完成のときも当時は四ツ小屋であったが、大半が上北手小扱いであった。
(末戸松本だけは四ツ小屋で御所野小は上北手と四ツ小屋から為していたことになる)
1984年に仁井田の学区界のようなはずれにできたのに、名前が御野場中学校なのもおそらくこれが絡むのかな。

ただ、四ツ小屋はこっからピークダウンする。
初期入植者の年齡が上がり、第三分譲は仁井田小学校に振り分けられていき、核家族化で子供夫婦が第三分譲地にというトレンドが生まれた。
(第三分譲地の御野場新町は仁井田であったため)
そのあたりに仁井田南小学校案や御野場新町を四ツ小屋変更案が出たりした。
そっからは少子高齢化をうけ、いまに至る。


ちかくの標識は、下新城や大曲や浅内にあるようなタイプだが、個性的な表示でない。


何回か、「四ツ小屋なのに仁井田だった、仁井田に近いのに四ツ小屋に振り分けられた不思議な地域」にふれたが、これが上の地図。
紫が四ツ小屋小学校の学区線で、オレンジは旧四ツ小屋村の境界線。
オレンジがかぶっていない部分に注目。
ここが旧四ツ小屋字船場前と旧四ツ小屋与左衛門河原地域である。
かぶってない地域は仁井田小学校であり、四ツ小屋から通う仁井田小学校生が唯一いた地域。
1993年に住居表示で仁井田にかわった。
船場前側はカーショップしかないが、与左衛門側は住んでるひとがいた。
ただ、杓子定規な指定をしたため、さらに東の仁井田古川向地区はいまも仁井田扱いである。
ここまでなるなら、御野場団地北部や住居表示回避した与左衛門河原地域も仁井田扱いでいいと思う。

南部の小学校適正配置事業が進むのと、校舎の老朽化で、また学区が変わるかもしれない。




御所野発大川反線

2021-05-29 13:08:28 | 秋田中央交通バス
月食を見にいったついでにみつけた、このポール。

こないだ私は「廃止路線なのにわすれられたバス停」と記したが、大きな間違いであったのがわかった。

実はいつからか「御所野発牛島経由大川反線」(御所野県庁線や御所野大川反線、直通御所野線表記も)などという路線があってそれに使われていた。
目長田は時刻表が散逸しているからもあり、勘違いは申し訳ない。

さて、この路線なかなか面白い。
※乗り換え案内NEXTから切り出し。
乗り換え案内NEXTや、中央交通によるとどうやら523系統で、御野場団地線などの派生系統でなく独立路線である。
朝に片道一本だけ。秋田駅前を経由しないで牛島→県庁から車庫まで進む。

始発地は御所野方面のバスが発着する「イオンモール」(ジャスコ時代は新都市交通広場)でなく、こないだ載せた羽州街道沿いにある古いバス停「御所野」。
そっから61号→大阪王将の交差点から41号で横山立体から13号に入り、あとは御野場団地線や旧岩見三内線をトレース。
だから、横山や対岸にはポールがない。
不思議な地から出発をしたり駅を経由しないで土手長町から竿燈大通りに入り県庁方面は、中央交通ながら市営バス感がある。
市営バスのテイストがある中央単独路線はよくあるけど、これもそんな感じ。

牛島・御所野路線史はあとで特集したいけど中央交通は2000年代以前の時刻表を図書館に納本してなくてかなり調べるのが難しい。
(市営バスもネットで出す人がいてようやくわかるけど)

次のバス停である「仁井田横町」もある。
こちらは時刻表付き。




この上の写真から御野場団地線は団地に入っていくが、横町には回転地のようなもんが。
昔の航空写真にも写っていたから、ここで終わる路線もあったみたい。
ちなみに消防署から入る道はバス専用で一般は立入禁止!

ガードレール隣には小さい「秋田銀行御野場支店」が1980年から90年代後期まであったが、移転している。
北都銀行(というより前進の羽後、あけぼの)が長年遠くにあったためかなり重宝されていた。
その北都銀行も秋田銀行近くの御野場に移転し、農協も四ツ小屋に移転している。

勘違いから見つけた、ほそぼそ残る路線の話でした。




7の防衛線

2021-05-28 21:06:41 | 商売・お店・商工業・買い物

突然ですが、コレ↑何の線だと思いますか?

ヒントはタイトルと色。

実はこれ、この線より外側にはセブンイレブンが無いという線。
秋田市の雄物川・岩見川より南、旧秋田市の市境を結んだ線である。

つまり、新屋以南と旧河辺郡にはまだセブンイレブンが1店も無いということ。
(由利本荘市、大仙市まで出るとある)
そっちに出向いたときに限ってセブンイレブンに行きたくなったり、トイレにいきたくなるからこまったり。
ちなみに北は潟上男鹿南秋にあり、最北は八郎潟のようだ。

河辺雄和は需要の面あるから仕方がないけど新屋に0店はなかなか意外。
秋田市の内外問わず意外な道に建っていたりするなかで、浜街道沿線で秋田市西部の拠点、さらに下浜浜田あたりもかんがえたら。
ローソン乱立や下浜道路開通、コロナで売り上げをよめなかったうちにドミナントから落ちたのか?
美大生や新屋高校生にはアルバイトの口になりそうではあるが…
中心避けてもありそうなポイントにもない。

確かに秋田市はチェーンによって得意不得意なとこはある。
泉保戸野地域はローソン強いがファミマ壊滅的だとか、東部はサンクス系ファミマやセブンが強いがローソンが弱い、北部は生え抜きファミマが強くやはりローソンが弱い、都心部はセブンが強くファミマが弱いなど。
それが新屋はそうなのか。
ちなみにセブンは県南に強く主要な道を走るとかならずみつかるイメージだが反対に八郎潟より北には無いためそこが北の防衛線なのかもしれない。
あと秋田市で長年君臨しつつも一気にレームダックと化したヤマザキデイリーストアだが、なんと他の県では最強な場所があるというから。

ちなみに西部地域の一番奥がここ。

この店は雄物川までもうすぐ。

果たして新屋や浜田下浜、旧河辺郡にレンガ壁は建つのだろうか。
反対にミニストップ進出なんてしてきたらそこが乱立地になる?

※昨日の特集みたいに間違えている場合もあるんで、実はあるとか明示された(インサイダーでない)計画や建設があるときはコメント欄などでお手柔らかにご指摘ください。