FMEN式雑記

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学び舎への道

2022-01-31 21:49:52 | 教育・教養・学校・学生
雪で通勤通学がきつい。
去年は早々春に切り替わるが、如月になってもなお寒さに終わりが見えない。

雪をかき分けながら通学した思い出にひたりそうなネタ。

秋田市は学校の案内標識に統一した様式が無い。
だが、80年代に2つのパターンを実践したことがあり、すぐやめたことがあるみたい。

☆1980年前後式
泉小学校(1979年)

大住小学校(1980年)

泉小学校の近くには1981年開校の泉中学校もあり、この標識タイプ。
このあたりに開校した3校は「手書き、赤矢羽根」である。
大住はむかしはこのタイプだったが老朽化し、市がわざわざ古いタイプに作り直したんだから、芸が細かい。

☆1980年代中期式(昭和50年代終盤)

御野場中学校(1984年)

将軍野中学校(1982年)

秋田リバーサイドグリーンは後付。
この2つは「青基調、英字あり」である。
英字は1986年の案内標識から採用だから、もしかしたらこの時期かも。

校舎の話の時に、箱型からバブルを見越したような建築になったと取り上げたが、標識もこの差だろうか。

ただ、2タイプとも普及はせず、その後の飯島や御所野は別タイプか、なかったり。
市長が変わったこともあるのかな。

それにしても、将軍野中学校の校歌はかっこいい。
御野場中学校は後半の歌詞がくさすぎてOBだけどあまり好きじゃないんです…





速度制限

2022-01-29 20:44:10 | 道路・交通
車を運転していたり、ストリートビューをながめると、ときたま変化がある。
あれ?最高速度変わってる?と。
また、標識は無いのに標示が50のままとか。

実は、夜な夜な?最高速度は引き上げられている。
年々幹線道路の最高速度はあがり、追い越し禁止なども緩和されている。
べつな資料集めでみつけた古い魁より。

☆1989.7.29「規制速度を緩和へ」
この記事で秋田県警は国道13号の70キロに及ぶ区間を緩和したとある。
場所は

○50→60
秋田市御所野〜河辺町和田、河辺町和田石川〜協和町など
○40→60
十文字バイパス
○40→50
神岡町北楢岡〜神宮寺、横手市婦気〜柳田など

とのこと。
ときたまある、
これは速度標識を外したあとで、河辺の神内カーブの標識を外した写真がのっていた。

神岡や横手はいわゆる「街道筋」であり商店や学校が迫る場所だが、引き上げだったのか。
さらに、「40キロは大曲市内など」とあり、まだ引き上げなかった場所やあったことに。
湯沢とか醍醐、刈和野のあのあたりだろうか。

☆1989.9.22夕刊「車の流れスムーズに」
反響記事。
この改正で20分短縮なったり、燃費があがる、イライラしないなどメリットばかり。
ちなみに88年に7号、90年に46号に着手らしい。
河辺町で解除された場所の写真(多分式田口?旧ラーメンとん太がある)は50に終わりマークがついた吊り標識があり、脚の部分に「この先法定速度〜」な毛筆の看板が。

しかしながら、失敗もしたようだ。
☆1996.3.1 「制限速度40キロに引き下げ」
秋田市下浜の国道7号は1988年に路面改良して50キロにしたが、危なすぎて困ると苦情が出て40キロに戻すというもの。

運転してると急に40にさがる狭い区間。
確かに言い分はわかる気がする。

さて、国道の位置付けはだいぶ変わっている。
当時もそうだし、秋田県の大半の国道は追い越し禁止の街道筋だと思う。
でも、今はそれすら役立たずな扱いにされている。
下浜も結局下浜道路になり、神宮寺もバイパス化。
河辺も工事中。
40キロの街道筋は、多分いまでは大館ぐらいじゃないかと思う。
さらに速度緩和があり、46号は仙岩ぎりぎりまでフル60キロを実現させている。
県外では30キロ近い二車線が普通な道もある(福島、山形、宮城など、ただ未改良道は秋田と違い速度制限があるパターンが多い)。
また、最近20を見なくなりましたよね?
秋田市内はゾーン30に置き換えられているから減らしてある。

今後、どうなるんだろうか。
臨海も寺内八橋は60に変わったし、案外仁井田や飯島も上がるかもしれない。
大住や将軍野は狭いのに40な部分もあったりするし。
かと思えば県外では下がった場所もあるらしい。
国道43号なんかは裁判までして下げたとか。

時代の流れをストリートビューと古新聞で味わえました。

買物から世界へ。

2022-01-26 16:31:08 | 秋田市営バス
なんかネットショップみたいなフレーズ。
オフ、秋田駅前買物広場バス停。
買物広場という名前は全国にここのみ。
近年はネットショップにも使われているが。

何やら、浮き出している?

これは、市営バスの時代の行き先ではないか!

城東消防署経由大学病院線や駅東線は90年代に東口になり移管→廃止されたり、大学病院線の昔の名前、手形山団地線?も。
たぶん相当昔。
またひとつ市営バスの遺産をみつけた。

昔の買物広場は市営バス時代はこっからも乗れたのだ。
1〜5までがこのポールで、6は中央交通ポール。
土崎や神田に行く乗り場もあった。
ただ、あまり認知されて無く乗る人がいたかといえば…
今は秋田駅が経由地の仁井田、東部以外は使えなくなってしまった。
そのため1〜4は降車のみ。
駅前に降りたい人がはやく降りるためにはもってこいな場所。
また、右側は中央交通の停車場になっている。
市営時代末期、市営は秋田駅前の1番ホーム横、中央は買物広場とすみ分けられていたりした。
市営全盛期は中央が秋田駅経由がほとんどであったから停車するバスが少ないのか市営も何台か止まっていたようだ。
アイドリングストップバスといいながらアイドリングしてるバスがたまにいるのが笑えたり。
昔だと、市営バスの幕回しが面白く見入れる光景も味わえた。

この買物広場、昔は金座街という商店街だったのを再開発で作ったものである。
当時はこれに対応するバス停とか、あったのかな。

お相撲さんの生き字引

2022-01-24 21:19:32 | スポーツ
御嶽海がやっと大関を掴む3回目の優勝した初場所。
そんななか、ひっそりと大きなことがあった。

重鎮、藤井康生アナ引退。
(ネットから切り出し。)
この人。
まだ若そうだが、65歳。
NHKの定年を超えるため。

小さい頃からこの人でした。
そりゃそうで、1985年からやっていたんだから。
とにかく相撲が大好きで、知識があり北の富士勝昭との掛け合いや古い話にもついていけていた。
まさに相撲の生き字引。
北の富士が好きであり、北の富士入門の日に生まれたも奇跡的。

常に大事な一番にいた感じ。
相撲ばかりでなく、マラソンや競馬でも有名なアナ。
まれにラジオニュースもしていた。
もう嘱託で東京オリンピックも担当してない。


定年らしいが、まだまだやれた気がした。
ラジオだとヨボヨボがもう隠せないアナとかいたりする。
読みの名人とされる末田正雄アナも70歳過ぎているがやはり歳が出てきた気がする。

これだけの生き字引みたいなアナウンサー、いなくなるのは寂しいもんを感じる。

それにしてもNHKはエンディングや最後の日だからとあまり煽らないのが寂しくもありいいとこか。
フジテレビは倉田アナの「真夏の大冒険」をずっと押してたし、日テレだと巨人の重鎮小川アナが辞める最後の巨人戦に密着とかあった。
なんかNHKらしく、さりげなく消えていった。

お疲れさまでした。