歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

有楽町で逢いましょう フランク永井 昭和33年 ビクター

2017-06-25 19:56:06 | 懐かしい歌

59年前の歌です。すぐ覚えてしまったくらい流行りました。

 しゃれたソゴー百貨店のコマーシャルソングです。

有楽町で逢いましょう フランク永井 昭和33年 ビクター


正しい歴史認識こそ今必要、国家の歴史を汚すもの

2017-06-25 12:04:54 | 産経ニュースから記事を拾う

 

             

 

 

     日本の歴史の中でも、誉められたものではない、今の国会の体たらくは、安倍首相の責任ではなく、あくまでも日本のメディアの狂ったような安倍叩きと、それに乗っかった、野党4党の反日勢力のせいです。彼らには日本をよくしようということなど微塵も感じられません。

 

   どうして野党は安倍首相を攻撃するのかは、はっきりしています。特定アジアの持つ危機感は、日本のメディアに入り込んだ、工作機関を通して、共産党を中心に、その危機感の大元、安倍首相を倒さなければ避けられないと、身をもって感じているからです。

 

   明治のころの日本人のことが出ていますが、国の中の意見は様々ありましたが、その根本は日本の生存をかけた、日本のための戦いでした。他の国に利するような意見が生まれようがありません。しかし、今の日本はおかしなことになっています。

 

   特に韓国の帰化した、連中まで国会議員になっているような、日本を利用しようとする外国勢力が、日本の中に堂々と、恥ずかしげもなく日本の議員でありながら、日本を貶めようと、活動しています、それを日本のメディアは、そういう勢力の後押しをしているのです。

 

  


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【日曜に書く】 産経新聞・平成29年6月25日 付

 論説委員・河村直哉 北朝鮮のミサイル発射をよそに森友・加計… 政争の具と化した国会 憲法改正、堂々と論じよ


  国家の歴史を汚すもの

 

  「党派が集まれば議会を復讐(ふくしゅう)の場所のごとく思って罵詈讒謗(ばりざんぼう)の言を放つというのは、これ国家の歴史を汚すものなりと言わなければならぬ」

  初代首相、伊藤博文の演説の一部(『伊藤博文演説集』)。表記を読みやすく改めて、もう少し見てみる。

   

  「政党というものは政見の異同ということに過ぎないのである。(略)政権争奪の上のみに着眼しているのはいかなる訳であるか」

  「(政党の所論は)日本国民全体の上にそれが行わるるのであって、おのれの党派のために行わるるという次第ではない」

  政治に限らず、近代日本のありかたを模索した明治人の洞察は、ものごとの始まりから是非を問うていて、本質を突いていることが多い。

  伊藤の言にしても、どれも至極当然である。だがあたりまえのことがあたりまえにいかないのは、伊藤の時代も現代も変わらないらしい。


  先に閉会した国会には、うんざりした。

  天皇陛下の譲位を可能にする特例法、テロ等準備罪を新設する改正組織犯罪処罰法など、重要法案が通りはした。けれども全体として、森友・加計(かけ)両学園の問題に振り回されていたという印象を抱くのは、筆者ばかりではあるまい。

   

  日本の安全保障への脅威が日々増しているなかでの、このていたらくである。国家の歴史を汚したといえば厳しすぎようが、遠からずではないか。

 

    ◆木を見て森を見ず

 

   この間、北朝鮮はミサイル発射による挑発を続けた。それも国会で議論されはした。だが森友・加計問題にかき消された。

   

  別の演説で伊藤はこうも言っている。政見の異なる党派があっても、外交は国と国の関係だから国論を一致させないといけない。「国論を一定したものは強大なる勢力を持ち、分裂したものは自から微弱の位地に立たなければならぬ」、と。

  すでに日本は「微弱の位地」に立ってしまっているといわなければならない。国会の様子を見て、北朝鮮の指導者はあざ笑っていたのではないか。

  森友・加計学園の議論があってもよい。ただし、日本が抱えている課題の重要度に応じてであることは、言をまたない。


  森友問題では、国会閉会後、詐欺容疑などで大阪地検特捜部の家宅捜索が入った。会期中から学園の疑惑はいくつも指摘されていた。

   

  疑惑の渦中にある人物の発言が事実かどうか、慎重であるべきなのに、そうではなかった。加計学園の議論を通じても、客観的な事実かどうかの論証に堪えるべくもない「忖度(そんたく)」が争点化された。

   

  要するに森友・加計問題は政争の具にされた。安全保障上の課題はなおざりになり、木を見て森を見ずの国会となり果てた。野党の罪は重いが、十分な説明をなさずにかわそうとした政府の責任も明らかである。

 

   ◆憲法改正はどうなった


   会期中の5月、安倍晋三首相は、現行の9条1、2項は残しつつ自衛隊の存在を明記した憲法改正を行って、平成32年に施行したい旨を明らかにした。

   

  国会で滞っていた改憲議論が活気づいたが、それも終盤の加計国会となって、かき消された感がある。

  党派を超え、堂々と論じてほしい。9条を残す道が改正のための現実的な選択肢であるにせよ、論ずべき原理原則はそこにとどまらないはずである。

  9条とは国権、交戦権という国家の権利の制限にほかならない。平和を尊ぶのは当然として、独立国としての憲法のありかたをこそ考えたい。


  伊藤はまた別の演説で、こんなことも語っている。

 「意見を闘わせるのはよろしいが、帰着する所統一して日本国をまっとうするという所に、各種の政見を持する人達も合同せられて行くようにならんことを私は深く希望する」

  ほかのところでは、「上下一致、実にその全力を国家の上に一統して、もってこの世界競争の中において日本国をまっとうしよう」といっている。

  演説はいずれも日清戦争から日露戦争に至る間の、明治32年のもの。ロシアの南下が日本の深刻な脅威だった。つまり「日本国をまっとうする」とは、この国の自主独立を保とうとする姿勢にほかならない。

  現在も、そのような時代である。筆者もまた、国会が日本国をまっとうすることを、深く希望する。(かわむら なおや)


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  ここに書かれていることは大げさではありません。実態は想像以上にひどい国会でした。審議より安倍憎し、で政権に言いがかりを何とか見つけ出して、それがフェイクニュースでも、かまわない態度で、審議の邪魔をして法案の邪魔をしました。

   

     

      



   「テロ等準備罪」が国会を通ることは分かりきったことでしたが、最後のあがきの見っともなさが、有権者に深く刻まれるように、思っていますが、またしても日本のメディアが正反対の印象操作を行います。本当にテレビだけ見ているとバカになります。


   日曜日に書くというコラムは、少し過ぎるとそのバカバカしさを冷静に眺めることが出来ますが、話題は都議会選挙に移りつつあります。ここで以前と大きく変わった現象と言えば、小池百合子都知事の評判が大きく変わってしまったことです。

   


   最初の小池都知事は、順調な滑り出しでしたが、豊洲移転を伸ばした頃から、この市場移転を、自分の立場を強化する小池新党を作って、国政に再度移り、総理を目指すという、彼女特有の大きな野心を持ったことが、あからさまになり、興ざめした人が出てきました。


   都議選に出馬する人々は、当然当選することが目的です。案の定、民進党から逃げ出す連中や、小池都知事が立ち上げた都民ファーストの会から立候補する人が50人にもなりました。小池都知事の、都知事としての資質を疑われだしていたにもかかわらず。

    

 

   どういう結果になるかまだ予断を許しませんが、ネットの世界では、小池都知事の評判はがた落ちです。しかしテレビや新聞は、なんとなく小池都知事に好意的です。しかも公明党や共産党まで仲間に入ってきました。自民党議員っていい加減な人も入っているのですね。