歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

小平の大芝居

2016-01-16 10:07:50 | 単行本の抜粋から

 

  

 

 上海株の大暴落って、まるで資本主義国のような騒ぎを日本のメディアは疑いもせず騒いでいます。チャイナに存在する会社の凡てが国営企業だと言って、ちゃんと反論する経済学者がいるでしょうか。

   

 今や、共産主義を国の方針として、真面に打ち出している世界の中の主要国と言えばチャイナぐらいしか残っていないでしょうし、真面目にマルクスレーニン主義のコミニズムを。基にしている国はゼロでしょう。

 理想的なコミニズム国家があるとしたら、それに一番近い国は、日本だと言った人がいます。確かに健康保険制度や、年金制度が崩れずに作動している国は、北欧の国々とは違った意味で日本は、それの最も近い所にいるかもしれません。

 上海株暴落と言っても、きちんとしたルールの下で行われている証券所とは言えません。暴落し出すと、国が証券取引のストップをかけ、それが何日もかかります。

   

 まったくナンチャッテ株式市場だとしか言えませんが。こんないびつな、しかし曲がりなりにも、株式市場を開き世界から資金を調達できるシステム。誰がそうしたか。

 今日も又、『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞出版)石平・有本香共著から抜粋して書き始めます。と言っても、3~4ページにすぎませんが、一文字づつ写すのですから時間がかかります。

   

 誰が今のような。怪物に近いチャイナと言う国を作り上げたのでしょう。あの地域は必ず外から征服者が現れて。そこの帝王になるのですが、今回の帝王はソ連から持ち込まれた、チャイナ共産主義者だと言う事です。

 

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 小平の大芝居  (179頁)

 

 ♥有本・・・もう一人、日本人の好きな中国の「大人」(たいじん)がいますよ。72年に日中国交正常化してパンダがやって来た。その後、78年に日中平和友好条約を結ぶわけですが、この時に小平が日本に来ました。

 は当時、中国の最高実力者だったにもかかわらず、役職は副首相と言うもので、国家主席などではなかった。

 これがまた日本人に受けたのですよ無冠の気さくなおじいちゃんと言う、その姿が日本人の心をとらえた。私は高校生でしたが、日本人の多くが、この人となら話ができると言う好印象を持ったと思います。

 小平もおそらく、日本を実際に目の当たりにしてびっくりしたでしょうね。新幹線に乗ったり、製鉄所や自動車工場を視察したりして、話に聞いていた日本の発展ぶりや社会の成熟度を実際目の当たりにした。

 そして、日本が持っている資質や富を、できるだけ多く自分たちのところへ引き寄せたいと考えたと思います。来日は一世一代の大芝居だった。

   

 ♠石・・・あのころ小平が日本を訪問した最大にして唯一の目的は、日本のカネと技術。と言うのは、小平にとって、彼の政治がうまくいくかどうかは、すべて経済が成長できるかどうかにかかっていたからです。

   

 つまり、改革開放路線がうまくいくかどうかだった。ただ、当時、改革開放路線には決め手がありませんでした。資金と技術がなければいくら頑張っても経済は発展しない。だから小平は、内心ではもう、

 日本に行った際には、カネさえくれれば土下座しても構わないという気持ちだったと思います。しかし面白い事に、むしろ日本人が小平に土下座をして、カネを差し上げたのです。おそらく小平が一番びっくりしたのではないか。

「そんな馬鹿な!日本中、全部馬鹿じゃないのか?!」

 ♥有本・・・そうだったんですね〈笑〉。72年に国交正常化した時は、石さんはまだ子供で、文革時代でしたが、この78年当時の小平の日本訪問や日中平和友好条約が、中国でどのように伝えられていたか、記憶はありますか。

 ♠石・・・もちろん。大きく報じられていたよ。

 ♥有本・・・日本はよいイメージで伝えられたの?

 ♠石・・・日本がよいイメージかどうかより、「小平がいかに日本で歓迎されているか」という報道ですね。中国の報道というのは、例えば現在、習近平が外国を訪問するときでもそうですが、

 訪問先がどんな国なのか、などの情報はあまり報じません。習近平がいかに歓迎されたか、がほうどうされるのです。

   

 小平が来日した時、彼も上手で、歴史問題には一切触れなかった。領土問題である尖閣問題も棚上げしよう、と。それでまた日本人は感動しました。小平はすごく懐が深いとなった。でも深くも何もない。カネがほしいだけだったのです。

 ♥有本・・・中国側は、常に優先順位をはっきりさせて事に臨んで来るのね。でも、日本人は小平をみて、「素敵」と思ってしまった。あの人は威張らない、肩書もいらない人だ、と。

 ですから、天安門事件があったにもかかわらず、1997年に亡くあるまで日本人の一部には、どこか「小平は悪い人ではない」みたいな感覚がありましたね。

 「南京大虐殺」は中国の教科書にもなかった

 ♠石・・・小平はそれで大成功した。あの一度の訪問で、日本からどれくらい政府開発援助(ODA)を引き出したか。また、松下を中国へ引き込み、日本の企業がどれほど中国へ行くことになったか。

   

 ♥有本・・・あの来日の直後に、石さんは大学に行かれたわけですが、それまで大学教育は文化大革命のために閉鎖されていたのですよね。

 ♠石・・・文革で10年間閉鎖され、大学教育が回復したのは1978年でした。僕が北京大学に入学したのはその2年後、80年でした。

 ♥有本・・・我々より少し上の世代の中国人は、文革によって大学教育を受けていませんよね。でも、80年代に中国に行ってみたら、私より年上の人たちの中にも、すごく上手な英語や日本語を話す人がいる。マナーもわきまえた人たち。

 彼らはいったいどこで勉強したのかと聞いたら、皆、人民解放軍なのです。皆、元軍人。ですから、ただ洗練された知識人というわけでもなかったのです。

 ♠石・・・文革時代、エリート青年たちは軍隊以外、行くところがなかったのですからね。

 ♥有本・・・軍で勉強しているから、教育の基本が日本とは全然違う。

 ♠石・・・あの世代、中国共産党の指導者は基本的に皆、軍人です。小平も軍人でした。小平の評価は、複雑です。開放改革の時代を作ったと言う事がある。小平がいなかったら、今の中国はないでしょう。

 ♥有本・・・石さんもここ〈日本〉にいないのではないですか。

 ♠石・・・そういう意味では、僕たちも小平に感謝しなければならないかもしれない。しかし、同じ僕たちの世代が一番憎んでいるのも、小平なのです。天安門事件で武力弾圧に踏み切って、凄まじい数の犠牲者を出しました。

   

 ♥有本・・・そうですね。日本でも大きく報じられました。

 ♠石・・・対日という観点で言えば、小平時代に彼らが覚えたことは「歴史カードを使う」と言う事でしょう。それを教えてあげたのは、日本人です。

   

 ♥有本・・・中国による歴史問題での対日攻撃やいわゆる反日教育は、江沢民時代に始まったと言われますが、実際には80年代、小平時代に始められたのですね。82年には教科書問題が起き、85年には「南京大虐殺記念館」がつくられ、

   

 これらに伴ってプロパガンダ教育もどんどん推進されていく。これ以前、70年代に教育を受けた石さんは学校で、「南京事件」について習ってないんですよね。

 ♠石・・・習っていません。僕の記憶では、80年半ばまで、中国国内で「南京大虐殺」という言葉を聞いたことはない。教科書の中にも、そうした記述はなかったですね。

 ♥有本・・・実は私も日本の学校で習っていません。私たちは1962年生まれですが、我々の世代まで日中両国で、「南京事件」など、取り立てて教えられていないのです。

 もちろん、東京裁判では持ち出されていますが、それをことさらに教え始めたのは80年代からですね。日本人が火をつけて、日本のメディアと中国共産党とでどんどん話を大きくしていった・・・・・・

 

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 今やチャイナは、地球上でもっとも厄介で困った国になって仕舞いまっています。疫病神のような国です。と感情的になっても物事は解決しないのは分かっていますが、だと言ってこのまま放っておいていいものか。

 しかし独裁国家には選挙というものがなく手が付けられません。しかも巨大な人口を抱えています。

 独裁者にとって、この権力者以外の巨大な民衆こそ、いつ爆発するかが最大の問題でしょう。プロパガンダを多用するのももっともですが、ネットの発達により、怒れる大衆のエネルギーをどう制御するかが最大の関心事なのでしょう。

   

 しかし今日の話は、そんなチャイナが日本の力を借りてのし上がっていく様を、具体的に取り上げています。日本政府の気持ちはよく分かりますが、こんなに恥知らずな民族だとは、想像だにしなかったでしょう。

 しかも反日に向かわせた原因は、殆ど日本人のタレこみに似た一部のメディア(朝日新聞が代表)のご注進によって、チャイナの共産党員を錯覚させたことも事実です。

 こんな状態を作り上げたエネルギーがどこから沸き上がったのでしょうか。人間社会の闇は深まるばかりです。


「オオカミの国」が「パンダの国」へ

2016-01-14 11:43:13 | 単行本の抜粋から

 

   

 

 『リベラルの中国認識が日本を滅ぼす』(産経新聞社出版)石平・有本香両氏の対談本が、まだまだ面白いので、再び違う場所の抜粋をしてみたいと思います。この本は1200円+税ですから、安価に求められます。

   

 どんなに安価でも私は40ページまでは読みますが。そこで判断をして捨てるか読み続けるかを判断しています。しかしこの本は何回読んでも面白い個所を発見します。懲りずにまた書きます。

 

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「オオカミの国」が「パンダの国」に

    (172頁)

   

 

 ♥有本…これまで述べてきたように、日中関係は新しいフェーズに入っています。ここで改めて、これまでの日中関係を振り返ってみたいのですが。

 日本と中国が国交正常化したのは1972(昭和47)年。石さんと私は同い年で、62年生まれですから、ともに10歳の時ですね。私は日本人側、石さんは中国人だった方として、当時の事から少し振り返ってみましょう。

 国交正常化の時のリアルな感覚として記憶に残っているのは、やはりパンダですね。カンカンとランランがやってきて、上野動物園ではパンダを見ようと行列が何重にもなった。

   

 ♠石・・・パンダブームと言うのは田中角栄訪中の年だったのか。

   

 ♥有本・・・そう。ものすごいブームでした。田中角栄訪中、国交正常化によって、一気にパンダブームが起きたのです。旗振り役の中心はもちろん朝日をはじめとしたメディアですね。現職の総理として田中角栄が初めて訪中し、

 72年9月29日の日中共同声明の調印直後に「中国からパンダがひとつがい贈られる」と発表されて、翌10月28日にもうパンダはやってきた。

   

 ♠石・・・すごく早いですね。

 ♥有本・・・当時の新聞紙面には、「パンダ“夫婦”をどうぞ 中国が心温まる贈り物」とか、「友情のしるし」などと言う、今見ると気持ち悪いような見出しがおどっていたのです。

 まさに、中国のプロパガンダの推進役を日本の大メディアは張り切って務めていたものだから、私たちはすっかり、「新しいお友達になった隣の国から、すごくかわいい動物が来る」と素直に受け止めたわけ。

 ♠石・・・パンダパワーはすごいね。

   

 ♥有本・・・上野動物園へ見に行くと言っても、実物を見られる人はかなりラッキーで、当時の女の子はパンダを見たことがなくてもぬいぐるみを買ってもらっていましたよ。私に家にも、いくつかあった。

   

 ♠石・・・つまり、パンダひとつで、日本人の大人から子供に至る対中国イメージが出来上がったということ。

 ♥有本・・・私自身、やはり「パンダの国」のイメージが原点に有ったので、大人になってからチベット問題など知るに至ってもなお、それを打ち消すのは大変でした。

 ♠石・・・本来は、「パンダの国」ではなく「オオカミの国」ですよ。「オオカミの国」が「パンダの国」になったと言うのは、すごい。

 ♥有本・・・あれほどピタリとはまったプロパガンダも珍しいでしょうね。ところで中国の人にとって、パンダはどういう存在だったんですか。

 ♠石・・・別にどうでもよかったですね、あのころ、中国人はもう食べることに精一杯で、パンダよりも豚肉がほしかった時代です。当時、僕たちは年に一度くらいしか、豚肉を食べられなかった。

   

 当時の中国がどういう状態だったかと言えば、何千万人という政治犯がまだ抑留されていて、国全体が超貧国であり、大学は閉鎖されて、もう滅茶苦茶な世界でした。暗黒時代です。よくパンダ一つで・・・日本人はすごいですね。

 ♥有本・・・すごい無邪気さ、ですよね。しかし、後に私は自著『中国はチベットからパンダを盗んだ』(講談社+α新書)でも書きましたが、チベット人に言わせるとパンダは中国のものではないと。

 周恩来の本性を見抜けない日本

 ♠石・・・もう一つ、対日工作に成功した要因は、田中角栄首相とともに、日中共同声明に調印した当時の首相である周恩来でしょう。あの周恩来のイメージづくりのおかげで、今でも日本人が書いたものでは彼を、

 「人民宰相」と呼んでいることがあります。いかに周恩来が素晴らしい人物で、いかに日本人に対して理解が深いか、というイメージが日本にはいまだにあるでしょう。

   

 しかしあとで分かったところによれば、日中国交回復の少し前、1971年にヘンリー・キッシンジャー(当時米大統領特別補佐官)が中国を訪問した時、周恩来は次のように言ったという。

 ≪日本はモノの見方が偏狭で、全く奇妙だ。島国の国民だ≫≪日本は米国のコントロールなくしては野蛮な国家だ。拡大する経済発展を制御できないのか≫【「産経新聞」2002年8月6日、キッシンジャー・周恩来極秘会談録詳報】。

   

 周恩来の吐いたこれらの言葉ほど、冷徹、冷酷なものはないですよ。完全に日本を上から見下ろして、軽蔑していたわけです。ところがこの同じ周恩来が、日本の政治家、知識人の前では、いかにも君子、中国の儒教的な長者の顔を演じた。

 そもそも、周恩来がどうやって政治家になったか。今では中国国内でもそれについて書いた本が出ています。彼は中国共産党のスパイと秘密警察を牛耳るボスで、最初に上海で組織したのは暗殺隊でした。

   

 暗殺を仕切っている親分です。だからこそ、あの毛沢東支配下の共産党で60年も失脚せず生き抜く事が出来た。にもかかわらず、日本ではいまだに君子のイメージで語られているから。

 ♥有本・・・周恩来がそういう二枚舌の冷血漢などと、日本人は誰も、おそらく田中角栄ですら思っても、いなかったでしょうね。心温かい人物だと言うイメージが先行しています。・・・・

 

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 全体の四ページ半ぐらい抜粋しました。全242頁こんな調子です。二人とも博識以上に、使命感みたいなものを持っています。さわやかな人物像が二人からにじみ出ています。

 この二人から現在のチャイナがなぜ生まれてしまったのかを聞いてみたいと思っていましたが、小平の登場が、共産党政府でありながら資本主義もどきの変な国が出来上がったいびつな状態が分かりました。次はその辺を抜粋します。

     

 今のようなチャイナになったのに大きな貢献と言うか、独裁国ですから命令して作ったのが小平です。チャイナは中々役者が多くて、コリアとは大違いですが、怖いのは子のチャイナに入れあげている人たちが多い事です。


『和式リベラル』の偏った思想傾向。

2016-01-12 10:47:41 | 単行本の抜粋から

 

  

 

 昨年の11月ごろ、何の気なしに面白そうなので買ってみました。『リベラルの中国認識が、日本を滅ぼす』という題名の本です。産経新聞出版部からの発行です。

   

 著者は石平氏と有本香氏の対談形式になっている、全243ページの、同年代の著者です。二人とも硬派の論客として、テレビ番組や、ネット発ユーチューブ系テレビの政治関係の番組に、保守派として出ているかなりな有名人です。

   

 本の帯には、「経済崩壊、政情不安、(海)への拡張、AIIBという対日宣戦布告…激変する隣国」。【「中国の脅威を煽るな」という言説をこそ疑え!】。なぜ彼らは「中国の代弁者なのか」、≪日中関係とプロパガンダ≫の副題も付いています。

 二人が最も力を入れて話していることは、日本のチャイナに対する政治家や学者やメディアに対するおかしな関係を、鋭く切り込んでいます。今まさに旬の論者とも言えます。

 その前に。有本氏が46ページでこのリベラルという言葉の定義をしています。虎の門ニュースというテレビ番組がネットで流されていますが、『和式リベラル』という言葉を使いだしたのも有本氏です。

   

 ♥有本・・・いわゆる「リベラル」とは、リベラリズム(自由主義)という政治思想から来てると思うんだけど、現代ではかなり広範囲な意味を含んでいますね。

   

 国柄が反映されるため、各国で様相も異なります。とはいっても、日本の『リベラル』は、他国のそれと大きく違う。

 まず、中国の人権問題にこれほど関心の薄いリベラルは、他の先進国に例がない。一部の方々はチベット支援もしているけれど、それでも「中国を決して非難せず怒らせないように」が大前提のユニークな支援活動です。

   

 ♠石・・・こんな異様な状態が問題にされないというのは、にほんの「リベラル」全体において基本的な人権感覚がマヒしていると言う事でしょう。

 言葉の暴力を容認するような「リベラル」はリベラリズムと言えるのか。日本の「リベラル」はすでに死んでいる。

 ♥有本・・・日本のリベラルは、中国問題全般への認識についても同じく「死んでいる」。現実を見ようとしていないですからね。

   ◇

 このように両者はリベラルに対して考えています。

 ちょこっとだけ3ページ半くらいを抜粋してみます。かなり面白い本です。青山繁晴氏が年末に産経新聞に、書評を載せたところ、売り上げが急ピッチで伸びているそうです。

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 「リベラル」は常に間違っている(92ページ)

  ♥有本香(以下有本)・・・日本のリベラルは、70年間ずっと同じ出し物、同じ茶番を繰り返しています。

 ♠石平(以下石)・・・戦後も70年経ったから、彼らの主張は全部、日本のためにならなかったと歴史が証明している。これは確実です。かって自衛隊に反対した。安保に反対した。

   

 PKOに反対した。最近では特定秘密法に反対し、安保法制に反対した。長期的な視点から見れば、彼らが反対した物事は、すべて日本の平和と繁栄につながっている。

 ♥有本・・・それを言うならば、戦前から朝日新聞が唱えたことの逆をやっていれば、日本は間違わなかったと言う事でしょうね。

   

 ♠石・・・なるほど。もし、日本の「リベラル」だと言う人たちが間違った主張を一度だけしたと言うのなら、後で軌道修正すればよい。でも常に間違っている。中国との関係でいえば、常に中国を擁護する。

 そういう人たちを僕は「工作員」だとは言わない。でも客観的に見て、日本の中に日本語を話す人たちだけれども中国のために働く組織されたものがあるかのようです。

 あたかも生き物のように、新聞でもテレビでも、実際の社会でも、おそらく官僚の世界でもそれは生きている。この物の正体が僕は分からない。

 ♥有本・・・繰り返しになりますが、日本にとって中国は永遠に『大柄の美女』なのです。

 ♠石・・・歴史的に見て、日本は中国と離れた時だけ安定が生まれている。日本が生きていくには、この『大柄の美女』に煩わされないこと。この悪女から離れることが重要。

 ♥有本・・・でも、この悪女が目の前に現れると、どうしても心が騒いでしまうらしい。

 ♠石・・・日本がずっと繰り返してきた歴史ですね。

 ♥有本・・・例えば、加藤紘一さん(元自民党幹事長)などと話してみると、分かることがあります。あの方は外務省のチャイナスクール出身です。

   

 利権もあるでしょうが、中国に心底惚れているんです。中国に惚れた女がいるのではなく、中国と言う存在が、惚れた女そのものみたいな感じ。

 ♠石・・・そういう感覚が結局、無分別に彼の政治行動を支配する。実際の彼を動かす。

 ♥有本・・・「中国については、悪いところも充分、分かっている」みたいに言いつつ、「でも」となる。

 よく「売国奴」だとか、「中国からカネをもらっている」と批判する人もいますが、ご本人の言を直接聞いてみると、カネだけではない。気持ちが入っています。

♠石・・・カネをもらう方が、まだ利口です。カネをもらっていれば、貰った分しか働かないですからね。一方、カネをもらわない人は、無制限に、全身全霊をかけて中国のために奉仕するのだから、さらに質(たち)が悪い。

   

♥有本・・・カネの分だけ働くのはビジネスですからね。冷徹だけれども、その方がまだ始末がいいです。しかし日本には中国に対して、「憧れ」と「上から目線」と言う相反する感情が常にある。

石さんは以前、「日本人というのは中国に対して、元中国人の自分でも信じられないくらいの特殊なフィルターを持っている」といっていましたよね。「俺、そんな美しい中国は知らないよ」と。日本人のフィルターで見ると、中国は素晴らしくなる。

   

♠石・・・そうそう。

♥有本・・・これも戦前から。日本人は、本当の圧政や抑圧、虐殺を知らないというのも影響しているでしょうね。大陸で起きていることに想像が及ばない。

 日清戦争で遭遇するまで、目や局部をくり抜かれたり、全身を切り刻まれるという大陸流の殺され方も、日本人には遠いものだったわけですからね。

   

日本の『中国史』は共産党史そのもの

♠石・・・先日、中国共産党の歴史観がどの程度、浸透しているかを調べてみました。例えば、1980年代までに日本の大出版社から出た中国史、特に近代史は、どの業者が書いたものでも「中国共産党史」そのものです。

   

 読めばすぐ分かる。すべて中国共産党の視点から、中国の近代史をとらえています。この現象がやっと少し修正されるのは、ベルリンの壁が崩壊した冷戦後。

♥有本・・・朝日新聞の本田勝一氏が1971年の中国に行き、後に『中国の旅』(朝日文庫)としてまとめられる連載を朝日新聞紙上などでおこないました。

   

 そこで、「南京事件」などの、現在、中国側が日本糾弾に使っている問題を日本人に向けて報道した。・・・・・・

 

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 今でこそ自由主義は、欧米から渡ってきた思想として日本でも、それ相応の価値観をもって取り入れられていますが、昔の日本では、自由という意味を自分勝手、我儘、奔放、野放図と言うような意味でとらえられていました。

 現在の日本でも、欧米とは違った意味合いが多く含まれています。政府や日本国に従わない自由、従わないどころか反抗するのも自由、共産化するのを望むのも自由とはき違えています。

 実にいびつな「リベラル」がまかり通っていて、俺はリベラルだと、良い事をしていると勘違いしている人さえいます。有本氏の言う『和式リベラル』とは、よく言った言葉です。


日本は日本国民を信じよう。

2016-01-04 10:27:34 | 単行本の抜粋から

 

  

 

 新しい年を迎えて日本国民としては、日本国民でよかったと自分自身に言い聞かせ、又そうだと言う激励をもらう事です。オベンチャラではなく、冷静で理論的に示されることです。

 【こんなにすごい日本人のちから・だから日本の未来は明るい!】と言う本は前にも取り上げましたが、一度で止めるのはもったいない。著者の日下公人氏は日本応援団長です。

   

 ワック社出版の単行本は、2~3時間で読める、読みやすい本ですが、なかなか内容は、読みようによっては非常に面白い本です。とにかく気持ちよくさせます。

 リベラルな連中にはこの程度で気持ちよくなるなんて遅れたやつらだと言われそうですが、日本が今や着々と、国際的にも国内的にも、安定を迎えているのは日本自身の力です。

その中の一部を今日も書き写します。 平成7年版

 

日下公人著 【こんなにすごい日本人のちから・だから日本の未来は明るい!】ワック版38ページより

 

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『国民を信じなさい』 平成7年版

 

 いま、日本で一番賢い人は市民の一部。次は市長の一部。市役所にも話の分かる人がいる。バカなのはマスコミと学者。とは今や国民の声。

   

 日本国民は保守的だが、突然、山が動く。小泉政権はその“山が動く”に火をつけた。金正日、江沢民、クリントン、ブッシュも・・・日本人の目を覚まさせてくれた。

 日本国民は事実を見ている。それに比べるとマスコミは犬の遠吠え。政治家は臆病。官僚には精気がない。学者は言葉を並べるだけ。

   

 保身だけ考えている人は顔を見れば分かる。気がねと遠慮だけで暮らしている人はその話し方でわかる。事実を見ていない人の言動はいくらうまい事を言ってもテレビなら一目瞭然。

 理屈は「ホカロン」と同じでどこにでもつく。・・・・聞いても仕方がない。

   

 スポーツをする女性が一番明るい顔をしている。「自分のために走っています。楽しいからです」と言うのが一番良い。日本国民は事実を見て、そこに自ら何等かの意義を発見するようになった。

 ようやく“精神の自立”がやってきた。外来思想や外来理論や黒板の上のモデルや経済統計の巨像や権力のピラミッドに騙されなくなった。少なくともいまだに騙されている人を見分けるようにんった。

 そこで政府への期待もまるで変った。したがって今までのような政策研究をつづけても仕方がない。今までのような政策提言をしても仕方がない。政府を動かす方法は別にある。

 いまや、“山が動く”ように方策を考えるのが政策研究で、国民のほうから先にそれを実行するのが行動による政策提言である。実際の動きを見れば分かる。

 年金改革論より年金離脱。教育改革論より不登校。大学改革論より大学離れ。財政改革論より外国債購入。外務省改革論よりアメリカ永住権取得。

 政治改革論より選挙は棄権。ジェンダフリー論より独身生活。雇用革命論よりフリーター。アメリカの本質を論ずるより、アメリカの牛肉は食べないのが簡単な答え。

 で、このように日本は着々と変わっている。国民は見事に対応している。

 そこで私の政策研究と私の政策提言。

   

 (1)憲法改正について

「憲法に囚われず国としてやるべきことはどんどんやってしまいなさい」やってしまえば、法制局長官は必ずそれは違憲ではないと説明をつけてくれる。最高裁も同じ。国民は安心する。憲法改正の法的手続きはそのあとでやれば一瀉千里。

 (2)教育改革について

「皇太子のお誕生日にテレビがインタビューをして、座右の銘は何ですかと伺う。「それは自分の曽々祖父の明治天皇の言葉である」とお答えになって教育勅語の一説を音吐朗々と暗誦なさる。

 これで“山が動く“。

   

 「父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己れを持し博愛衆に及ぼし学を修め業を習い以て知能を啓發し徳器を成就し進で公益を廣め世務を開き常に国憲を重じ国法に遵い一旦緩急あれば義勇公に奉じ・・・」

教育基本法改正の遂条審議はそのあと。

これが日本のやり方である。 国民を信じなさい。

 

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 この本が出版されてから何年たったのでしょう。しかし国民が政府に対する期待度は今格段にアップしたと思っています。多分この時期は、小泉さんの週末の時期で、次期政権は安倍晋三氏か福田康夫氏かの時代でしょう。

 自民党の膿がさらけ出されてメディアが大騒ぎして、民主党政権を生み出すきっかけのころでしょう。小泉政権を継いだ安倍政権が病気のために断念した後の後始末で、民主党が圧勝して小澤チルドレンが生まれた何とも言えない危機状態でした。

   

 しかしあの頃の安倍政権以下の自民党政権は民主党に負けるのは至極当然だったかもしれません。いい薬になりました。このくらいの道草は別に日本にとってはどうって事なかったでしょう。

 あの時の安倍晋三と今の安倍晋三は全く別物です。

 あの頃も日下公人氏は、日本に対して温かかった気がします。日本に対する信頼感がその裏付けでしょうが、基本的に日本の持っている歴史的背景を信じているのでしょう。

 教育勅語は何と素晴らしいものでしょう。日本と言う国が天皇家を中心にして、いかに平和国家だったと言う事が、この教育勅語の文字一つ一つに凝縮しています。

   

育ニ關スル勅語

 朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日

 御名御璽

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 今どきの若い人でも日本語がわかる人はおぼろげながら言って居る意味が分かると思います。日本の国民の凡ては、国の田のみんなと言う意味の「たみ」で「民」(目をつぶされたみん)ではないのです。

   

 教育基本法には権利ばっかり書いてあって、仲良く家族と協力して皆のために働こうなんて書いてありません。日本は特異な民族でありそこが素晴らしいのです。


だから日本の未来は明るい!

2015-12-31 10:35:04 | 単行本の抜粋から

 

 

 

 

 まっしろい表紙の本に、大きい字、もっと大きい字、また大きい字、そして著者の名前、文字だけ書かれた本、単行本が最近めっきり増えています。言いたいことがわかる本だからでしょうが、著者の名前で買わされます。

 日下公人氏の本ならば、大体書かれている姿勢は分かっています。日本国応援団長と私は勝手に決めていますが、日本を限りなく賛美し、気持ちよくさせます。

   

 そんな平成7年3月22日発行の、古い本からたまには乱すとそのまま読み続けてしまう本があります。今現在読んでも全く古くは感じないからです。しかも今現在と少しもぶれていません。確信的精神の持ち主といえましょう。

 しかもこの考え方が、今や日本全体の主流になりつつあります。月刊雑誌『WiLL』の巻頭コラムを受け持ってもう何年になるでしょう。相も変わらず日本応援に終始しています。

   

 今年の最期に、日本の未来を明るく照らしてくれる、日本国応援団長の一面を書き写して、日本国が、日本的な、騙されても、貶められても、それらにめげず立ち上がっていく姿を、瞼に重ねて、力強く生き抜いていくことでしょう。

 

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 こんなにすごい 日本人のちから 〈ワック〉

   だから、日本の未来は明るい!

    

                      日下 公人

 武士道から考える対決力

 

 武士道ムードだが、武士道の教えは初期・中期・後期で三種類に分かれている。初期は武勇第一で、中期は智謀賞揚、後期は人格礼賛である。

 常山紀談にこんな話がある。時代は江戸初期で三種類の武士道が混在していた時期である。「松平(黒田)筑前守忠之の家臣林田左門は戸田流の使い手で足軽二十名を預かる身分だった。

   

 あるとき足軽達が口論して六名の者が同僚一名を斬殺して逃亡した、左門は直ちに馬を駆って追いつき一人対六人の対決になった(さて、この対決はどういう展開になったでしょう)

 足軽のうちの一人が言う。「我々を斬りにこられたのか。だとすれば容赦はせぬぞ」と六人が多数をたのんで刀の柄に手を掛ける。

   

 左門は右手を上げて、「早まるでない。拙者が追ってきたのは役目柄でござる。上司として殺人の理由を聞いておかねばならぬ。もしかしたら斬られたほうにも非があるやもしれぬ」。(武士は行政官になりかかっている。対決は話し合い型に移行し始めている)

   

 「いまさら我々に問い質したところで何になる。追いつけなかったことにしてこのまま帰られたらどうじゃ。我々も他国で口外せぬ」(足軽でも形づくりの司法取引をする知恵がついている)

 だがその間にも左門は陽を背にしてじりじりと間を詰めている。それに気がついた一人が「たばかれるでないぞ」と叫んで刀を抜いて斬りかかるが一対一では瞬時に左門が勝つ。

 それでも左門は相変わらず右手を前に突き出したまま「静まれ、静まれ」と対話継続の意思を示しつつ接近する。また一人が斬りかかるが、「待てと申すに」と言いながらこれを倒す。

   

 結局こんなことを繰り返して順次四人を斬り二人を縛して連れ戻った。

 さて、この左門の対決力は点をつければ何点でしょうか。二十一世紀に生きる今の日本人のお考えはどうでしょうか。

 当時の武士社会が付けた評価は最高点である。「これにより左門の剣名は大いに上がり、筑前一円の士の多くはその門人となった」とある。

 ところで藩中に馬爪源五右衛門という士がいた。彼は鉄砲の名人で勇武の人だったが、なぜか左門の剣を学ばず、その理由を聞かれてもただ笑って答えなかった。

 時を経て左門はある事件を起こして死罪となるが、そのとき源五右衛門は友人にこう話した。「林田左門の剣は兵法というより奸智だと思った。いずれ人の道を誤るかも知れないと思って、近づかなかった。拙者は愚か者だが、入門しなくて良かった」。

 武士道は人格や道徳を尊ぶ時代へいつの間にか移行したのである。この話は現代にも応用できる。アメリカとイランの対決。中国と台湾、日本と北朝鮮。

     

 あるいは村上ファンドと阪神、将棋界では名人戦をめぐる朝日と毎日。それからポスト小泉では安倍と福田。などなどだが、いずれの解説を読んでも程度が低い。解説どころかまず鑑賞力がない(注この本は平成7年度版です)

 多分、個人的にも対決の経験がない人だらけになったからで、対決のドラマの始まりと終わりは報道してくれるが、途中の丁々発止の面白さを教えてくれる人がいない。

 多分見えていないのである。対決する両者が持っているそれぞれの武器、兵力、作戦、最終目的、背後の事情、秘密の弱点…エトセトラ、エトセトラが絡み合ってえがき出す対決ドラマが見えてない。

 対決の結果が出ると次は評価の出番だが、これが借り物の評価である。武勇で評価するか、智謀で評価するか、それとも人格や人徳で評価するか。

 対決力を論じる人はそこまで見ないと、ある対決についての勝者を決めることは出来ない。評価基準が変われば、負けるが勝ちと言う事もある。したがって日本人が考える対決力の中にはうまく負ける力もあるとは意味深長である。

 源五衛門は「拙者は愚か者」と言いながら、最終的な勝利は人格や人徳にあると分かっていたのである。

 

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 話としても面白い話ですが、年末を駆け巡った日本と韓国の相も変わらない、騙しあいが続いています。騙した方は得意に成って居るかも知れませんが、本当の勝者には成れません。騙されてやる方が人格的には比較にならないほど上です。

  30日、ソウルの日本大使館前で慰安婦像を囲み、日韓の最終合意に抗議する元慰安婦や支持団体のメンバーら(名村隆寛撮影)

 
 騙しながら、ウソをつきながら、生き残っていくとしたら、それは犯罪国家と言われてもしょうがありません。詐欺師の末路が哀れなように、国も同じ運命をたどるでしょう。しかしそこまで気が付けばもっと益しな国になっているでしょう。

 日本は、あくまでも王道を行くことを良しとする国です。中には国を打って私腹を肥やす政治家もいますが、いつまでも続くはずがありません。必ず天罰が下ります。

   会談後に共同記者発表を行う岸田外相(左)と韓国の尹炳世外相=28日、ソウルの韓国外務省(共同)

 

 選挙は愚かなようでいて、長い目で見ればこの日本民族が必ず見破ります。政治家に良き人材が集まらないと言われますが、それらを補っているのが官僚と称する人たちです。

 ここもやはり日本という太古から貫かれた太い一本の柱が必ずあると信じています。腐敗にまみれた世界の殆どの国と比べて日本は全く無い訳ではありませんが、その数は微々たるものだと思いますし、日本自体が許さない体質を持っています。

   

 来年は、近来にない踏ん張り処のある歳だと思います。一つの節目になる歳だと思います。この時期に日本は良きリーダーを得ています。これを幸運と言わずしてなんと言うのでしょう。