大坂正明容疑者(警察庁提供)
追跡46年執念実る
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渋谷暴動事件で、警視庁公安部は7日に殺人など五つの容疑で大阪正明容疑者(67)を逮捕するが、発生から実に46年の歳月を要した、と今日の産経新聞は伝えていました。
67から46を引けば21歳になります。中核派と言われた学生運動でも最も過激で、大きい勢力であったと記憶していますが、翌46年も逃げ延びたものです。
警視庁に移送される大坂正明容疑者=7日午後、東京都千代田区(松本健吾撮影)
しかし手配写真から、見つかったとは取ってもではないが思えません。公安の地道な調査が実を結んだのでしょうが、あの写真から今の顔を結びつけるのは至難の業でしょう。
これらの仲間がいまだに沖縄の基地付近で騒いでいる運動家なのでしょうが、こういう連中は話し合いなどでわかる相手ではなく、一種のカルトとでも思わなければ理解できません。
しかし若い巡査新潟県警の中村恒雄巡査は殉職し二階級特進の中村警部補とはなりましたが、殉職したときは星一つの21歳と犯人と同い年です。
渋谷の殉職した同地区に黒御影石の碑面には『星一つ 落ちて都の 寒椿』と追悼する句が刻まれていると言います。
通った鼻筋や唇に面影
渋谷暴動の大坂容疑者移送
大坂容疑者を乗せた捜査車両は7日正午過ぎ、勾留先の大阪府警大淀署(大阪市北区)を出発した。同署周辺は一時通行が規制され、報道陣約70人が集結。周辺を支援者の車が走りながらスピーカーで抗議するなど物々しい雰囲気の中、パトカーなど2台に先導されて車が走り出すと、一斉にフラッシュがたかれた。
車の後部座席に座り、捜査員に両脇を挟まれた大坂容疑者は灰色のジャージー姿。白髪交じりの短髪で黒縁の眼鏡をかけ、まっすぐ前を見つめていた。目元には年相応の深いしわが刻まれていたが、通った鼻筋や唇などに手配写真当時の面影が残っていた。
その後、大坂容疑者を乗せた車は午後0時半ごろ、大阪(伊丹)空港に到着。捜査員数十人が車の周りを囲み、ドアが開くと、大坂容疑者はしっかりとした足取りで空港施設に入った。
捜査員や機動隊員らが鋭い眼光で周囲を警戒するなか、終始落ち着いた表情を浮かべていた大坂容疑者。同日中に飛行機で東京に移送される。
大坂正明容疑者支援の中核派って?
反原発で勢力拡大目指す
大坂正明容疑者を支援したとされる過激派中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)は組織勢力数千人ともいわれるが、勢力は減少傾向にあり、構成員の高齢化も進む。
昭和40~60年代には各地でデモを扇動し、警察部隊と衝突。60年の成田現地闘争などで多数の死傷者、逮捕者を出したほか、61年に東京サミット会場だった迎賓館に迫撃弾を発射するなど、テロやゲリラ事件を引き起こした。
近年は武力闘争路線が沈静化しつつある一方、市民運動や労働組合などへの浸透を図り、東日本大震災以降は反原発運動にも参加、勢力拡大を目指している。
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テレビは盛んにこのニュースを流しますが。手配写真と実物の犯人とは、よほど近しい人でも46年もたてば変わります。犯人の(容疑者ではなく犯人と確定した考えからこう書きます)顔などまったくあの写真から想像するのは無理でしょう。
よく懲りずにあの写真を張っていたものだと感心しますが、公安の執念で逮捕したのでしょう。テレビメディアは犯人の周辺にいた連中のインタビューや、調査など一切省いているのが何とも気になります。犯人の日常を知っている人も居たはずなのに。
市民運動家と称する連中の中に必ずカンパした知人がいたはずです。しかしテレビ関係者と市民運動家は仲間だと勘違いしているのではないでしょうか。それが証拠に反日のデモは喜んで報道しますが、反日を糾弾するデモに関しては一切報道しません。