歩かない旅人

 彼がなした馬鹿げたこと・・・彼がなさなかった馬鹿げたことが・・・人間の後悔を半分づつ引き受ける。ヴァレリー

追跡46年執念実る

2017-06-07 20:52:33 | 産経ニュースから記事を拾う

 

  大坂正明容疑者(警察庁提供)

 

   大坂正明容疑者(警察庁提供)

  

 追跡46年執念実る

 

   🔥 🔥 🔥 🔥 🔥 🔥 🔥

 

  渋谷暴動事件で、警視庁公安部は7日に殺人など五つの容疑で大阪正明容疑者(67)を逮捕するが、発生から実に46年の歳月を要した、と今日の産経新聞は伝えていました。

  67から46を引けば21歳になります。中核派と言われた学生運動でも最も過激で、大きい勢力であったと記憶していますが、翌46年も逃げ延びたものです。

  警視庁に移送される大坂正明容疑者=7日午後、東京都千代田区(松本健吾撮影)

警視庁に移送される大坂正明容疑者=7日午後、東京都千代田区(松本健吾撮影)


  しかし手配写真から、見つかったとは取ってもではないが思えません。公安の地道な調査が実を結んだのでしょうが、あの写真から今の顔を結びつけるのは至難の業でしょう。

  これらの仲間がいまだに沖縄の基地付近で騒いでいる運動家なのでしょうが、こういう連中は話し合いなどでわかる相手ではなく、一種のカルトとでも思わなければ理解できません。

  しかし若い巡査新潟県警の中村恒雄巡査は殉職し二階級特進の中村警部補とはなりましたが、殉職したときは星一つの21歳と犯人と同い年です。

   

  渋谷の殉職した同地区に黒御影石の碑面には『星一つ 落ちて都の 寒椿』と追悼する句が刻まれていると言います。

   通った鼻筋や唇に面影 

   渋谷暴動の大坂容疑者移送

 大坂容疑者を乗せた捜査車両は7日正午過ぎ、勾留先の大阪府警大淀署(大阪市北区)を出発した。同署周辺は一時通行が規制され、報道陣約70人が集結。周辺を支援者の車が走りながらスピーカーで抗議するなど物々しい雰囲気の中、パトカーなど2台に先導されて車が走り出すと、一斉にフラッシュがたかれた。

  

 車の後部座席に座り、捜査員に両脇を挟まれた大坂容疑者は灰色のジャージー姿。白髪交じりの短髪で黒縁の眼鏡をかけ、まっすぐ前を見つめていた。目元には年相応の深いしわが刻まれていたが、通った鼻筋や唇などに手配写真当時の面影が残っていた。

 その後、大坂容疑者を乗せた車は午後0時半ごろ、大阪(伊丹)空港に到着。捜査員数十人が車の周りを囲み、ドアが開くと、大坂容疑者はしっかりとした足取りで空港施設に入った。

 捜査員や機動隊員らが鋭い眼光で周囲を警戒するなか、終始落ち着いた表情を浮かべていた大坂容疑者。同日中に飛行機で東京に移送される。

 

  大坂正明容疑者支援の中核派って?

     反原発で勢力拡大目指す

  大坂正明容疑者を支援したとされる過激派中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)は組織勢力数千人ともいわれるが、勢力は減少傾向にあり、構成員の高齢化も進む。

  昭和40~60年代には各地でデモを扇動し、警察部隊と衝突。60年の成田現地闘争などで多数の死傷者、逮捕者を出したほか、61年に東京サミット会場だった迎賓館に迫撃弾を発射するなど、テロやゲリラ事件を引き起こした。

  近年は武力闘争路線が沈静化しつつある一方、市民運動や労働組合などへの浸透を図り、東日本大震災以降は反原発運動にも参加、勢力拡大を目指している。

 

  🔥 🔥 🔥 🔥 🔥 🔥 🔥


  テレビは盛んにこのニュースを流しますが。手配写真と実物の犯人とは、よほど近しい人でも46年もたてば変わります。犯人の(容疑者ではなく犯人と確定した考えからこう書きます)顔などまったくあの写真から想像するのは無理でしょう。

  よく懲りずにあの写真を張っていたものだと感心しますが、公安の執念で逮捕したのでしょう。テレビメディアは犯人の周辺にいた連中のインタビューや、調査など一切省いているのが何とも気になります。犯人の日常を知っている人も居たはずなのに。

   

  市民運動家と称する連中の中に必ずカンパした知人がいたはずです。しかしテレビ関係者と市民運動家は仲間だと勘違いしているのではないでしょうか。それが証拠に反日のデモは喜んで報道しますが、反日を糾弾するデモに関しては一切報道しません。


「君子の交わりは水の如く」あるべし 

2017-06-07 12:07:38 | 産経新聞の記事から抜粋

 

 

  好きな尊敬すべき、先生が亡くなられました。さぞかし憲法改正を見る事なしに亡くなったのは慙愧に堪えない思いをこの世に残したと思われます。私から見た先生は非常に分かりやすく、常識を優しい言葉で語ってくれた先生だと思います。

  様々な本や雑誌の記事を読みましたが、何時も非常に分かりやすく、難しい言葉を使いませんでした。英語学者である先生は、英文法を大切にしたと言う事を熱く語っていますが、すっきりした文体は日本語を語るときもその片鱗が窺えます。

  端正できちんとした日本語で語られました。日本人が持っている誠実さと正義感と愛国心はまさに溢れんばかりの、人柄となって表れ、先生にあった人ならその人間性に只々引かれていったでしょう。

  先生は別に政治が専門ではない英文学者ですが、日本の偏った、戦後の東京裁判史観に、最も敏感に反応し、気が付けば日本の右翼の代表的存在に見られていましたが、全体主義の独裁的な国々や、そういう考えの人には厳しく糾弾しています。

  チャイナや北朝鮮、そして韓国の全体主義に流れている様は我慢がならない現象だったと思います。しかし先生が予言なさっていたような日本に近づきつつある事々は確かです。スペインの没落は、イギリスやオランダのプロパガンダに負けた結果だと。

  特亜三国の悪意に満ちたプロパガンダに似ていますが、内容はまったく違います。日本は規律を守り、人間尊重の精神は、今も昔も変えありません。その部分は圧倒的に違います。欧州人は白人優先主義、日本は人種差別をしない国でした。

    

  日本の誤算は朝鮮半島と言う事大主義の、すれっからしの民族を相手に人道主義を、施した事に尽きます。儒教に侵された朝鮮半島の宿命は、自分たちの方が貧乏の極みを経ても、中華主義の考えから行くと、核は日本より上だと言う思い上がりがあったことです。

  全く滑稽なことですが、この精神は今も変わりません。自分たちの思い上がりが、自分たちの国を滅ぼしてしまう事など。彼らの精神状態から言えば、日常茶飯事に事なのでしょう。こんな国が世界の中で、注目されることなど、将来も絶対にあり得ないでしょう。

 

 📚 📚 📚 📚 📚 📚 📚 📚

 

【東京特派員】産経新聞・平成29年6月6日 付
渡部昇一さんの至言 「諸国民」とのつきあい方 「君子の交わりは水の如く」あるべし 

    

                             湯浅博 

  葬送の聖歌が流れていた。聖イグナチオ教会の大きな主聖堂の天窓から、幾筋もの春の光が差し込んでくる。

   それは、敬虔(けいけん)なキリスト教徒である上智大学名誉教授、渡部昇一さんにふさわしい追悼のミサであった。バイオリン奏者の次男、基一さんが奏でるバッハの無伴奏曲が心にしみる。

            

 出がけに、出版社から届いた遺作『知の湧水』(ワック)を持参していた。参列に向かう電車の中で読んだのは、冒頭の「護憲派に見る知的貧困」の一節である。

   着物姿の遺影は、いつもの笑みをたたえているが、悲願の憲法改正を見ることなく帰天されたのは心残りだったかもしれない。

          

  弔辞を述べた元東京都知事の石原慎太郎さんによる「混迷の世界で、あなたを失ったのは痛恨の極み」という呼びかけは、2人に通底する「国を思う心」からであろう。

    2人は戦勝国の占領政策基本法というべき日本国憲法を、日本人がこのまま護持していてよいのかを世に問うてきた。

   

  占領下の昭和23年の雑誌「社会思想研究会月報」11月号に、交流のある後の都立大学教授、関嘉彦さんが「戦争放棄」に疑問を提起し、新憲法を自由に議論させるべきであると書いた。

    早速、占領軍の事前検閲に引っかかり、英語で「削除」と朱で書き込まれたことが占領基本法であることを証明している。

  大学人としての渡部さんは、専門分野の英語学を超えて、戦後の論壇に自由主義の気概を示してきた。世間は彼を「保守の論客」「知の巨人」とたたえた。

  

  渡部さん自身は、とうにメディアが使う右翼と左翼、保守とリベラルの対立構図を否定し、むしろ「全体主義と自由主義の闘いである」と位置づけていた。東西冷戦期から左の全体主義に傾斜した論壇で、少数派の言論人として孤高の闘いを続けてきたのだ。

  渡部さんは病の床で、安倍晋三首相の憲法改正への意欲を聞いたであろうか。首相は憲法改正に向けた議論の停滞にしびれを切らし、「2020年に新憲法施行」との決意を表明した。

    自民党内も緊急事態条項の挿入に傾斜し、憲法9条の“本丸”に踏み込もうとしない。この流れを一気に引き戻そうとしたのだろう。

  安倍首相は戦争放棄の9条1項と、戦力と交戦権を否認する2項をそのままに、自衛隊の存在を「3項」として明記する意向を示した。首相の真意は2項削除にあると思われるが、

そこを迂回(うかい)して3項の挿入だけにとどめたのは、「実現可能性」を優先したとしか思えない。

  いまとなっては、渡部さんがこの提案をどう思われたかは分からない。安倍提案をベースに、政治家たちが「国を思う心」を持って、どこまで2項に切り込めるかが問われてくるだろう。

  渡部さんは先の安保法制をめぐる騒ぎの際に、「デモのありかたが韓国風になってきた」と感じていた。首相の肖像を侮辱するようなことは60年安保反対闘争にはなかったし、議場内でプラカードを抱えた反対党議員のやり方は韓国国会そっくりだと思う。

  そして、憲法前文がいう「平和を愛する諸国民」を信頼し、「われらの安全と生存を保持しようと決意した」とは何事かと怒る。どこに生存を外国にまかせる国があるのか。

    隣の諸国民は「敵性の顕(あらわ)な国々」ではないのか。そして彼は、安保法制を否定した憲法学者に「日本の安全保障が日本が占領下にあった時と同じでよいのですか」と繰り返し問いかける。

  

  渡部さんは前文がいう「諸国民」とのつきあいについて、「君子ノ交リハ淡クシテ水ノ如(ごと)ク」あるべしと推奨している。至言である。

   聖堂を後にすると、午後の陽光を浴びたサツキの淡いピンクが目にしみた。4月17日、心不全のため死去。享年86。

(ゆあさ ひろし)

 

📚 📚 📚 📚 📚 📚 📚 📚

 

   自国を悪く考えるようになってからイスパニア大帝国は衰退に至った。では誰がスペインを悪く言ったのか。イギリスやオランダである。イギリスやオランダがいかに植民地で酷いことをしたかは、今では広く知られている。

   同じことをスペインもやった『だけ』である。しかしスペインは歴史の敗北者になり果てた。なぜか。スペイン人たちは自国の歴史に自信が持てなくなったからである。

    この一説は雑誌『Hanada』7月号の未公開対談、渡辺昇一氏と高山正之氏の〈日本国憲法は〝配線条約″だ〉の冒頭部分です。15~16ページの小冊子、スペインの若き神父が書いた、書き綴った慟哭の書が、イギリスやオランダのプロパガンダに利用されたのです。

     

  かなり良心的な告発文でさえ、上手に利用されたのに、日本の場合は、捏造された慰安婦強制が朝日新聞と言う媒体を通して、韓国に献上され、日本を貶めてくれと言う懇願に韓国が応えた感じです。