春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

バンクーバーオリンピック開催

2010年02月13日 13時10分46秒 | 思想信条
バンクーバー五輪開幕=日本選手団、岡崎先頭に行進〔五輪・開会式〕
環境保護、先住民との融和をテーマにした。バンクーバーオリンピックが始まった。

カナダでは先住民が協力的に受け容れてくれなかったら、オリンピックを開けないのだからという趣旨で、準備段階から先住民に深く関わってもらってきたということだった。

「先住民、インディアンの事を、今はファーストネーチャーと言います。」とテレビの解説者は言っていた。
ファーストネーチャーと言ったって、一辺に移住して来た人たちではなく、
何段階にも何十段階にも分かれての、旧大陸からの移住であったはずである。
日本列島に、北から南からそして西から来た人々が集まって、国を形成してきたように、
近世のヨーロッパ人がやってくる前のカナダ地域でも、
いろんな人々が、それぞれの地にそれぞれの国を形成していたのではないだろうか?
種族代表と呼ばれる人たちが出ていたけれど、
種族とは何ぞや?という気がしてきた。

ヨーロッパと言う狭い地域でも、あれだけ沢山の国々が有ると言うのはどうしてなのだろうか?
人々が種族単位で独立したいからなのではないのだろうか?
大きな権力で無理やりヨーロッパを一つの国としてまとめ、それぞれの国民を先住民として統治する新しい権力体が現れ、有無を言わさず統一してしまったら、ヨーロッパ人はどう思うだろう?
そして何かのイベントで、敬意を表した振りをして、
種族代表として式典に出してもらうような事があったとしたら、
ベルギーやオランダ、リヒテンシュタイン、モナコ、ドイツ、フランス、スペイン、イタリアその他諸々の国々が、種族代表として紹介されるのである。

そんな事を想像する時、カナダの先住民の種族代表の先祖達は、草葉の陰でどんな気がしているだろう?と、その悲しみを想像してしまうのだった。

彼らにとっては、それぞれの種族が、祖国そのものであったはずである。
それを十把一絡げに、ファーストネーチャーと言われたって、
「俺のところが一番に来たんだぜ」と本音で言えば、部族間で喧嘩したいところかも知れない。
しかし占領されてしまった弱者の国々は、
敬意を表してくれる征服者のお情けに、涙して喜ぶしかないののだし・・・・・


ヨーロッパから来た人たちは、勝手にカナダ地域を一つの国としてまとめて、
元から有ったそれぞれの国々は、国では無かったことにして、種族と決め付けている。

尤も、人間がやってくる前のカナダは、動物達の天下であったはずである。
その動物達を退治して、人間の天下にしたのだから、
強い人間社会が、弱い人間社会を蹂躙するのも、
自然界のおきての繰り返しのひとつなのかもしれない。
そして今ヨーロッパ人種が、世界中に君臨しており、
その価値観の下、世界中の正義が論われている・・・・・

正義って何?
自分達の勢力を維持する為に、邪魔をするものが不正義で、守るものが正義。

私達は現在の覇者の正義に従うのが良い事で、それに逆らうのは悪い事。
と言うことなのだろうか?

私達は今ある秩序の下で生きていくしか、どうしようもない者なのだから、
今の秩序を維持しようとするのは、そう間違った事ではないのかもしれない。
でも其処に、お釈迦様の言われた、「惻隠の情」は絶対に必要だと思う。
「可愛そうな、そんな可愛そうな事をするもんじゃない」という気持ちを失ったら、
この世は地獄のようになってしまうだろう。

資本主義と言うのは、自由競争を基本としているから、
「惻隠の情などと中途半端なことを言っていたら負けてしまうぞ」とばかりに、
情け容赦の無い社会になってしまうという要素を、本質において持っているのではないだろうか?
禿たかファンドの跋扈から、金融破綻の21世紀、
軍事産業の営業目的と思われる、長期にわたる残虐な戦争。
資本主義はもう、修正せねばならない瀬戸際まで行き着いてしまった。と言うことなのではないだろうか。

平和の祭典のオリンピックの開会式を見ながら、私はあらぬことを連想してしまったのだった。