映画と音楽そして旅

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(シネマ雑記帳) (55) 「男たちの大和YAMATO」

2006-01-09 00:14:25 | 映画
 この映画は現在公開中であり、ブログでも多数の方々が記事を書いていられますので、映画の内容自体よりもこれに関連した私の体験や、一般的なことについて書いて見たく思います。
 滅多に涙を流さない私ですがこの映画を観ながら、涙が溢れて止まりませんでした。それは今まで再三訪れた鹿児島県の知覧以来のことでした。
 知覧はご存知の方も多いと思いますが、戦時中に旧陸軍の特攻隊‥特別攻撃隊が敵艦船撃滅のために爆弾を抱いて出撃して行った基地の一つでした。
 初夏には緑も鮮やかな一面のお茶畑が、戦時中は特攻基地として沢山の若い世代の人たちを二度と帰らぬ旅に送り出していきました。帰り来ぬ青春と生命を祖国のために捧げた人達が書いた遺書や遺品を、目にするたびに私の瞼は熱くなりました。
 それは単なる小説やフイクションでなく、厳然たる歴史的な事実の生きた証明であることに感動しました。
 戦闘機の援護もなく片道燃料で海上特攻として出撃した戦艦大和も、知覧基地の特攻機も役目は全く同じでした。勝つ見込みが全く無くなった時、後は米軍を南方洋上で食い止めて本土決戦を一日でも先送りすること‥それだけが使命でした。
 同じその頃‥今で言えば小学生‥国民学校初等科だった私達は、いずれ予想される米軍上陸や本土決戦に備えて戦時教育を受けていました。
 それは現在のような体罰がどうの‥と云った生易しいものではなく、先生に反抗するなど論外でした。勉強よりも防空訓練‥焼夷弾の消やし方とか、竹ヤリや木銃の軍事訓練や勤労奉仕‥が優先しました。米軍はすでに沖縄まで‥本土上陸はいつ頃などと話題にしながらも、別に心配も感じませんでした。とりあえずその日が生きられれば幸せな時代だったのですから‥
 それで別に不思議にも疑問にも思わなかった‥と云うことは、よっぽど単純だったのか、しっかりとマインド・コントロールされていたのか‥どちらかでしょう。
 戦争はいずれ人間の理性を麻痺させる別世界です。
 幸いにして生きながらえることが出来ましたが、戦争がもっと長引いていたらどうだったか、現在の自分は存在していないかも‥ふと考えることもあります。
 凄絶な戦闘の中で自らの死に疑問を抱きつつ、あるいは純粋に祖国の安泰を願いつつ‥散っていった人たちの胸中を思うとき、云うべき言葉もありません。
 根本的には前途ある青春真只中の学徒たちや、童顔の少年たち、女性や子どもなどの非戦闘員まで巻き込んだ、こんな戦争が何故起きたのか‥と云うことになりますが、この点についてもまだまだ勉強せねばと感じました。
 それと共に平和慣れして仕舞って当然と思っている平和の有難さを、久しぶりに再認識させてくれた映画でもありました。

 昨年八月の終戦の日あたりを中心にして、私のブログでこの戦争に関連した映画や音楽の記事を掲載してありますので、合わせて読んで戴ければ幸いです。