映画と音楽そして旅

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(映画音楽) (62)「はだしのボレロ」(映画「裸足の伯爵夫人」}

2006-01-22 05:57:22 | 映画音楽
 数十年前のある日、郵送されて来たリクエスト・マニアの会の機関誌に掲載された公告です。
  「私儀 一身上の都合により『アンドレ・リポア』と改名致しますので、今後共よろしくお引き立ての程をお願い申し上げます。 旧名 ブロードウエイ小僧」
 
 ニックネームが示すようにミユージカルを中心に映画全般について博識の方で、マニアの会の中で「映画部」を主宰していられました。補足説明として近年の映画輸入の多様化傾向‥例えばヨーロッパ映画‥特にフランス映画が増えて来たので、新しい時代の流れに対応するため‥というのが改名の趣旨でした。
 この「アンドレ・リポア」とは一体何者か?と云うと、当時はこの世界では有名人物でフランス映画「しのび逢い」の主人公でした。とにかく女性方にモテモテ‥のプレイ・ボーイで「禁じられた遊び」のルネ・クレマン監督の、彼には珍しいコメディ風の作品で「チューリップ坊や」ことジェラール・フイリップが出演していました。
 
 ブ小僧改め「A・リポア」さんは「映画評論家」としても機関誌の花形で、彼が執筆した「映画ぺあふっと・こんてっさ」の記事が手元に残っています。この映画はスペインの踊り子の女性が伯爵夫人地位に登りつめて、その悲劇的な死までを描いた作品でした。
 実は私はこの映画の無料招待券を「アンドレ・リポア」さんから貰ってありました。しかし予定の調整がつかず、キャンセルして仕舞いました。
 その後は再び観る機会がないまま現在に至っていますが、実はその頃は伯爵役のハンフリー・ボガートをそれほど高く評価していませんでした。名作「カサブランカ」でさえ何故こんなにボギーの人気が高いのか、最初は不思議に思っていた程ですから‥
 「伯爵夫人になってからも彼女は踊り子時代の気分から、いつまでも抜け出せなかった‥踊り終わってシューズを脱いで、土の上に足を載せたときの感触‥ヒヤリとした冷たい、感触が彼女に心の平安と幸福を感じる時間だった‥」と云うような意味のことを述べていられました。暮らしなど外見的には貴族であっても、精神構造は踊り子のままだった‥ところに悲劇の要因があったと云うことでしょうか。
 伯爵夫人役のエヴァ・ガードナーはもともと大女優でしたが、彼の評論によれば‥「濡れた黒髪 澄んだ瞳 豊かな肢体などは観客にアピールしている」とベタ褒めでしたが、当時は「プロポーション」とか云う便利な言葉も聞かなかったし‥(あっても一般化していなかったかも)‥映画評も難しかったでしょうね。
 と云う訳で私はこの映画は観ていないのですが、主題曲の「はだしのボレロ」は私の手持ちのCDは「SONG OF THE BAREFOOT CONTASSA」というタイトルで、ユーゴー・ウインターハルター楽団の演奏したものがありますが、この曲を聴くと古い昔のほろ苦いものを思い浮かべます。
 



 
 
   
   
  


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2 コメント

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忘れることのないボレロです。 (アスカパパ)
2006-01-22 15:30:19
 今でも私は公楽小劇場でのあの日の光景をありありと思い出せます。



 館内は超満員でした。

 映画『裸足の伯爵夫人』が始まりました。



 ほんのりと茜色に染まったような千切れ雲が浮かぶ、澄み切った青空がスクリーン一杯に広がりました。

 そして「裸足のボレロ」が朗々と館内に響き始めました。



 その時です。「ウォー」というような歓声と共に、絶賛の拍手が湧き上がったのは、、。

 それは、蟻の這い出る隙もないような、ぎっしりと詰まった右側通路からでした。

 肩と肩を触れ合いながら、立ち見をして居た男性グループから起ったのです。



 館内の全員に、それにシンクロナイズするような雰囲気が伝わりました。

 映画と音楽と観客が一体感に溢れた、本当に感動的な情景でした。



 映画は映画館で見るのが一番とよくいいますが、それを実感させて呉れた貴重な体験でした。

 それは、1955年8月2日のことでした。
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そうでしたか! (たそがれ)
2006-01-22 18:14:22
 そんな雰囲気だったのですか?映画はそんなわけで観ませんでしたが、音楽は今でも時々聞きますしメロディもよく覚えています。1950年!私のシネマ病が最高潮か、下り坂向いてたか‥微妙な時期でした。
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