この映画は…と云うよりもこの映画の音楽について、以前にブログで触れたことがあります。
ずい分以前のことですので全文を再録してみますと…<>の部分です。
<「八十日間世界一周」(ヴィクター・ヤング・オーケストラ)>
<この映画ほどタイトルや音楽をよく耳にする割合に、内容を知らなかった映画は少ないようです。とにかく知っていることは、つまらないワン・カット撮るために、ハリウッド・スターが総動員?されたとかいう「伝説的事実」が‥と云う程度でした。
これも筋書きが単純で私にも理解できそうな映画でしたが、日本で公開された1957年と言えば私の映画熱は早くも下り坂で関心も薄かったようです。
それで前記のようにそんなに大勢のスターが出ていたのか‥と云えば、シャルル・ボワイエ シャーリー・マックレーン マレーネ・デトーリッヒ フランク・シナトラ等々これやっぱりホントのハナシでした。
信じられないのは「地上より永遠に」で華やかなミュージカル・スターから、シリアスな俳優に転進したはずのフランク・シナトラが、登場したもののセリフは一言もなし‥と云う有様だったそうで、やっぱり「錨を上げて」の時代が彼にとって最良の時代だったのでしょうか。1950年代後期のハリウッドにおけるミュージカルの、構造変化を象徴するような出来事でした。
もう一つの驚き‥それはこの映画が1956年度のアカデミー音楽賞を受賞していますが、しかし音楽担当のヴィクター・ヤングは、受賞の四カ月前すでに他界していました。
しかも‥しかもですよ!「シェーン」「ジャニー・ギター」「エデンの東」など不滅の名曲を生み出した、あのヴィクター・ヤングのオスカー受賞はこれが初めてだったって‥‥彼が手がけた映画音楽は約350本、アカデミー賞にノミネートされること22回‥‥遅すぎた没後のオスカー受賞‥‥そんな馬鹿な!私はこの記事を読んで何故、生前に贈ることが出来なかったのか‥残念に思いました。
半世紀以上も経過した今頃になって、私ごときが文句を言ってもしょうがありませんが‥所詮、届かかぬ遠吼えに過ぎませんが…
しかし私は1956年11月‥‥この偉大なる「映画音楽」の巨匠が他界した年月を、永久に忘れることは出来ないと思います。>
引用が目茶に長くなりましたが、そんな訳でこの映画の音楽はサントラCDがあるので、時々聴いていますが映画自体については、レンタル屋でも眺めるだけであまり関心がありませんでした。
ところが先日NHK-BSで放送されていたので、録画しながら観ていました。すると時々画面の粒子が粗くなったり縞模様が出たり、不調になって来て結局は写らなくらなくなりました。そのうち雷鳴が轟き大雨になって来ました。
他のチャンネルは大丈夫でしたが関西一円で雷雨を伝えていました。
そのうち普通に写るようになりましたが、最初と最後の方が見れただけで少し興味があった「日本寄港」の部分が全然観られませんでした。
アメリカ大陸横断あたりや大西洋横断そして最後の「どんでん返り」などの部分は普通に観ることが出来ました。
それにしても先住民の扱いは昔の西部劇と、全く変っていないのには失望しました。先日の「ライムライト」でチャツプリンと共に熱演した、バスター・キートンが大陸横断鉄道の車掌役で出ていたのが面白かったです。
ピアノを少し弾いただけで「セリフ全然なし」のフランク・シナトラ…こんな程度の役なら出ないほうがマシでした。「地上より永遠に」のあの熱演がパーになりました。(写真)
この映画を作ったマイケル・トッドはその後、エリザベス・テイラーと結婚…そして事故死…寂しいリズは私のアイドルだったデビー・レイノルズの旦那と「世紀のスキャンダル」…とハリウッドでいろいろの騒動を巻き起こしました。
気になる方は私のブログ…エディ・フイッシャー「オー・マイ・パパ」(Oh My Papa)の記事をご覧下さいね。
この映画もいずれ私のメモリーから消えて行くようですが、この「映画」を忘れてもこの「音楽」だけは私の脳裏に永久に残ると思います。
ずい分以前のことですので全文を再録してみますと…<>の部分です。
<「八十日間世界一周」(ヴィクター・ヤング・オーケストラ)>
<この映画ほどタイトルや音楽をよく耳にする割合に、内容を知らなかった映画は少ないようです。とにかく知っていることは、つまらないワン・カット撮るために、ハリウッド・スターが総動員?されたとかいう「伝説的事実」が‥と云う程度でした。
これも筋書きが単純で私にも理解できそうな映画でしたが、日本で公開された1957年と言えば私の映画熱は早くも下り坂で関心も薄かったようです。
それで前記のようにそんなに大勢のスターが出ていたのか‥と云えば、シャルル・ボワイエ シャーリー・マックレーン マレーネ・デトーリッヒ フランク・シナトラ等々これやっぱりホントのハナシでした。
信じられないのは「地上より永遠に」で華やかなミュージカル・スターから、シリアスな俳優に転進したはずのフランク・シナトラが、登場したもののセリフは一言もなし‥と云う有様だったそうで、やっぱり「錨を上げて」の時代が彼にとって最良の時代だったのでしょうか。1950年代後期のハリウッドにおけるミュージカルの、構造変化を象徴するような出来事でした。
もう一つの驚き‥それはこの映画が1956年度のアカデミー音楽賞を受賞していますが、しかし音楽担当のヴィクター・ヤングは、受賞の四カ月前すでに他界していました。
しかも‥しかもですよ!「シェーン」「ジャニー・ギター」「エデンの東」など不滅の名曲を生み出した、あのヴィクター・ヤングのオスカー受賞はこれが初めてだったって‥‥彼が手がけた映画音楽は約350本、アカデミー賞にノミネートされること22回‥‥遅すぎた没後のオスカー受賞‥‥そんな馬鹿な!私はこの記事を読んで何故、生前に贈ることが出来なかったのか‥残念に思いました。
半世紀以上も経過した今頃になって、私ごときが文句を言ってもしょうがありませんが‥所詮、届かかぬ遠吼えに過ぎませんが…
しかし私は1956年11月‥‥この偉大なる「映画音楽」の巨匠が他界した年月を、永久に忘れることは出来ないと思います。>
引用が目茶に長くなりましたが、そんな訳でこの映画の音楽はサントラCDがあるので、時々聴いていますが映画自体については、レンタル屋でも眺めるだけであまり関心がありませんでした。
ところが先日NHK-BSで放送されていたので、録画しながら観ていました。すると時々画面の粒子が粗くなったり縞模様が出たり、不調になって来て結局は写らなくらなくなりました。そのうち雷鳴が轟き大雨になって来ました。
他のチャンネルは大丈夫でしたが関西一円で雷雨を伝えていました。
そのうち普通に写るようになりましたが、最初と最後の方が見れただけで少し興味があった「日本寄港」の部分が全然観られませんでした。
アメリカ大陸横断あたりや大西洋横断そして最後の「どんでん返り」などの部分は普通に観ることが出来ました。
それにしても先住民の扱いは昔の西部劇と、全く変っていないのには失望しました。先日の「ライムライト」でチャツプリンと共に熱演した、バスター・キートンが大陸横断鉄道の車掌役で出ていたのが面白かったです。
ピアノを少し弾いただけで「セリフ全然なし」のフランク・シナトラ…こんな程度の役なら出ないほうがマシでした。「地上より永遠に」のあの熱演がパーになりました。(写真)
この映画を作ったマイケル・トッドはその後、エリザベス・テイラーと結婚…そして事故死…寂しいリズは私のアイドルだったデビー・レイノルズの旦那と「世紀のスキャンダル」…とハリウッドでいろいろの騒動を巻き起こしました。
気になる方は私のブログ…エディ・フイッシャー「オー・マイ・パパ」(Oh My Papa)の記事をご覧下さいね。
この映画もいずれ私のメモリーから消えて行くようですが、この「映画」を忘れてもこの「音楽」だけは私の脳裏に永久に残ると思います。
この映画の紹介をある番組で見ましたが、
すごーく面白そうですね。
まだ観ていない作品なので、
時間がある時にゆっくり観たいと思います。
音楽もイイですね♪
でもオール・スターの割りには…と云う感じで、なんとなく点が辛くなりました。
ブログには書きませんでしたが、音楽はV・ヤングの作品としてはB級で、これよりもいい曲が沢山あったのに、何故もっと早くオスカーを…と」云うのことは今でも疑問に思ってます。
またレンタルでも観て感想を聞かせてくださいね。
コメントさせて戴いたので又見て下さい。
先日は奈良方面も雷雨のように報じていました。
パパ様も中途半端だったようでお互いに残念でしたが、きちんと見てたら楽しい映画だと思いますね。
最後の日付…は私も気がつかず、なるほどと思いました。