何とか取り外し、軽トラに積んで、みんなで記念写真。
このほか、家紋入り棟瓦や、軒丸瓦なども後々の活用のために、皆のリレーで下に下ろしました。
考えてみれば、今の家の建て替えは、スクラップ&ビルドなので、どうしても全ての廃材が産業廃棄物となり、しかも費用を出して捨てられます。CO2削減問題ではないが、あるものをただ捨てる、しかも費用を出して、という社会システムは、
その環境負荷を考えると、やはりどこかがおかしい。
昭和30年代までの日本は、特に我々の地域では、民家の解体の際に必ず入札があり、引き取り手がいて、それらは解体された後に移築使用されることが多かった。
その証拠に、宇和盆地などで民家の聞き取り調査をすると、この家はかつての何々家の建物を移築しただとか、どこそこにあった家を買ってきただとか、という話が諸々聞かれる。現に柱のほぞや仕口が、そうしたことを物語っていたりする。
消費は美徳の大量生産時代を迎えた昭和40年代あたりから、つまりは高度経済成長時代から以降、モノ余り現象の中で、我々日本のつましい暮らし方は劇的に変化していき、そうして今がある。
皮肉なことに、そうしたことに気が付くチャンスは、こうした家の建て替えの際が実は一番分かり易いのである。
このほか、家紋入り棟瓦や、軒丸瓦なども後々の活用のために、皆のリレーで下に下ろしました。
考えてみれば、今の家の建て替えは、スクラップ&ビルドなので、どうしても全ての廃材が産業廃棄物となり、しかも費用を出して捨てられます。CO2削減問題ではないが、あるものをただ捨てる、しかも費用を出して、という社会システムは、
その環境負荷を考えると、やはりどこかがおかしい。
昭和30年代までの日本は、特に我々の地域では、民家の解体の際に必ず入札があり、引き取り手がいて、それらは解体された後に移築使用されることが多かった。
その証拠に、宇和盆地などで民家の聞き取り調査をすると、この家はかつての何々家の建物を移築しただとか、どこそこにあった家を買ってきただとか、という話が諸々聞かれる。現に柱のほぞや仕口が、そうしたことを物語っていたりする。
消費は美徳の大量生産時代を迎えた昭和40年代あたりから、つまりは高度経済成長時代から以降、モノ余り現象の中で、我々日本のつましい暮らし方は劇的に変化していき、そうして今がある。
皮肉なことに、そうしたことに気が付くチャンスは、こうした家の建て替えの際が実は一番分かり易いのである。
いつかまた佐田岬の空の下で舞うことができますように。
追伸、八多喜に松竹梅の鏝絵がありました。
県下に風前の灯火となりつつある鏝絵は数多く、助けられるのは一部だけ。今回も、人のつながりのお陰です。
八多喜の松竹梅、いつか拝めますか?
そう言えば、確かはやり病の時代に地名変更となった、めでたい地名が八多喜。その松竹梅、コリャめでたさも特上。