ソロツーリストの旅ログ

あるいはライダーへのアンチテーゼ

振り返ってみるとオートバイがいちばん好きだった

「生きてるってより、死んでないだけだ」と婆様は吐き捨てた

2023年11月14日 | R100Trad (1990) クロ介


昨夜の雨でたっぷりと湿った土から

甘い芳香臭が漂ってくる

頬を撫でて吹き過ぎる風とてやや冷たくもあるが

今年はいつまでも温かく

昼は過ごしやすい秋だ



ところどころに残る雲は見る間に姿を変化させて

上空にはまだ水蒸気が多いと教えてくれる

それでも晴れ上がった空の色はすっきりと青く

その中に柿の実の橙が鮮やかに映った



のんびりとアルコールストーブで湯を沸かし珈琲を淹れる

背後の桜の枝ではさっきから百舌鳥が甲高いさえずりを上げている

子育て真っ最中のカラスたちが集まってはガーガー喚く

月見バーガーも三角チョコパイもいらないけど

やっぱり秋は格別だ



それよりも程なく訪れる容赦ない冬を前に

夏を過ごした枝を離れ

地上へ舞い降り

やがて土へと還っていく夥しい葉っぱたちばかりが目に映る

まだ色や艶を残すものもあれば

葉脈だけを残して朽ちてしまったものまで

数えきれない落ち葉が秋を覆いつくしていく

冷たい雨が上がると強い北の風が吹きつけて

さらに多くの葉っぱが降る

今日ここへ来る間の山道にもどっさりと落ち葉が降り積もっていた

枝を離れて舞い落ちるとき

葉っぱは何を思うのだろう



日本独特の美意識とは云うまでもなく

「侘び」と「寂び」だ



「侘び」とはやはり「侘しい」からきているのだろうか

―――更けゆく秋の夜 旅の空に 侘しき思いにひとり悩む

と唄えば、侘しさとは目的を達することの叶わなかった失意を表す

もともと「侘び」とはこのような厭われる状態を指す言葉だった

しかしやがてこの不十分な有様の中に美を見出す向きが現れ

不足の美へと高められていった

概念自体は万葉集の中にも見られるそうだが

室町から江戸にかけて茶の湯の精神を支える柱として

徐々に定着し完成されていった



また「寂び」とは

モノが時間の経過によって朽ちていく様から

切なさや心細さを感じる「寂れる」「寂しい」からきている

しかし寂れたモノの内部にある本質が

いつしか外部にまで滲み出している様を見出し

老いて枯れたモノと豊かで華麗なモノという相反するものが

ひとつの世界で相互に引き合い作用するという新しい美意識になった



現代に至るまでの日本の庶民生活の物質的な貧しさが

根底にあるような気もする

ましてや室町時代には戦乱が全国に広がり

武士たちが各地で暴れまわった

何も思いどおりにならず

挙句に理不尽な扱いを受け

困窮を極める生活は精神的にも相当きつかったはずだ

それでも懸命に生きていた日本人に生まれた美意識

それがこんなにも豊かな現代のボクにも根付いている



長野と群馬の県境

長野県県道112号線の最果て

「毛無峠」の風景が記憶から離れないのは

あの寂れた景観に美しさを感じているからだ

本当に何もない

まして人間の開発で自然すら失われたあの峠が

魂を鷲掴みにしてワサワサと揺さぶってくる



誰にも会わない山奥の林道でもこんな経験をする

ふとエンジンを止めてヘルメットを脱ぎ

ただただそこにある空気を感じているのだ

それは自分だけの特別な時間



秋が訪れ枯れゆく山里の景色に侘びを感じるか

それを物質的な現代性や富裕感が全く存在しない

欠損した貧しい様と見るか

精神性の高さと云うと気恥ずかしいしバカっぽいけど

ある領域にまで到達していないと持てない感覚だ

それは積み重ねた高みではなく

削ぎ落とした深み

見れば見るほど

知れば知るほど

精神は研ぎ澄まされていくはずだが

それはいくら金を積み上げても決して得られない

金持ちには金持ちなりに

貧乏人には貧乏人なりに

利口でも阿呆でも

そういう一面的なことではなく

自分自身でものを考えないと見えてこない本質がある

50や60になって生きることに飽きるくらいがちょうど良いのだ

テレビの中で長生きの秘訣を聞かれたある婆ちゃんがこう答えた

「生きてるってより、死んでないだけだ」

「侘び」を体現した「寂び」そのものだ

あんな風に生きていたいもんだ

まあ、それ中国人の婆様なんだけどね



空冷フィンの美しいトーンを掌でなぞりながら

クロ介(BMW R100TRAD)にも「寂び」を感じる

いやいや

ただちょっと古臭いだけか

もう少し、秋



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