るんるんぴあの♪

ピアノレスナーERIKO。のつれづれ日記
大阪市都島区友渕町のピアノ教室です

臨終のとき

2014-06-27 | 介護
続きです


私たち夫婦と長女が施設に到着したとき、
息子と妹家族はすでにいましたが、部屋の外で待たされていました。
看護士の方が身体を清拭し
もろもろの処置をして洋服に着替えさせている最中で、
医師が既に死亡診断書を書いて帰った後でした。

スタッフの方にお聞きしたら、
息をしているのを確認して
また10分後くらいに部屋をのぞいたら
息をしていなかったので、急いで連絡したとのこと。
苦しむ様子はなく、眠るがごとく静かに息を引き取ったそうです。
母の顔は穏やかで、ホッとしたような表情でした。
看護師さんがファンデーションと頬紅を貸してくださり、
妹が死化粧をしています。
そこへ杏奈が到着、もう動くことのない母に
全てを察し、すがり付いて号泣。
言葉もない私たちの代わりに
いっぱい泣いて御礼を言ってくれました。
一同で慈救の咒をお唱えして母の魂を送りました。
心に沁みました。

その一方で互助会にお迎えを頼み、
お寺さんにお通夜と葬儀と初七日の依頼の電話をかける。
私が泣くのはすべてが済んでから。
これから怒涛の三日間が始まるのです。
施設のスタッフにお願いして
霊安室で寝かせる布団を施設の方に用意してもらいまいした。
今まで使っていた掛け布団も寝台車に積み込んでもらいました。
自分の布団を持ち込まない場合は、
式場が用意するお布団もありますが、
12000円します。
ママゴメンね、ケチるわけじゃないですが
今まで使っていた布団を持っていくよ。

1時間ほどでお迎えの寝台車が来てくれました。
明日学校がある子達は家へ帰し、
大人だけで寝台車のあとを追いかけます。
霊安室に呼ばれると、もう母は休んでいました。、
白い布と銀欄の掛け物。やっぱりそうなのね、と現実を知る瞬間。
既に灯明とお線香があがっていました。

一晩起きての線香守りは、
「僕がおばあちゃんと一晩一緒にいるよ」と
長男がかって出てくれました。
長男はいつも母の肝心なときに寄り添って助けています。
初孫で可愛がられていたから、自然に出来るのでしょう。
ありがたいです。

私たちはいったん自宅へ戻り、身支度をし、
メールで連絡できるところは流し、
翌日朝から担当者と打ち合わせです。
お通夜が日曜の晩、月曜の昼が葬儀ということだけ
確認しました。
斎場はその時間だけバッチリ空いていたのです。
母の立てたスケジュールに沿えば大丈夫ねと思いました。

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