るんるんぴあの♪

ピアノレスナーERIKO。のつれづれ日記
大阪市都島区友渕町のピアノ教室です

母のなくなる前のこと

2014-06-26 | 介護
FBにはちょくちょく書いていましたが、
やっとこちらのブログに書く気になりました。
自分の覚書の意味もあって記しておきます。

18日(水)
主人の妹を誘ってお見舞いにいく。
かつて母がしていたように、両手で肩を抱いて
「よくきたね~~~元気~~!?」と歓迎したように
今度は妹が何度もそのように母の肩を抱いて声をかけてくれた。
眠りつづけていた母が眼を開けた。
今までにないくらいじっと眼を開けて
心の中まで覗き込むように眼を合わせてくれた。
私が心の中で語りかけたことに
ちゃんと返事をしてくれて、
そして私に託されたことも感じ取れた。
妹にもそうして眼を合わせて何かを伝えたようでした。

こんなことは今までなかったので
これを口に出してしまうと母の命がもう長くないと言い切ってしまうようで
家族の誰にもこのことを言えなかったです。
でも今になって思えば、あの瞬間の通じ合いが母の遺言でした。
眼の色、表情、メッセージ、約束したこと
決して忘れません。

その翌日から、また母は眠り続ける人になりました。

20日(金)
夜6時ごろ会いに行きました。
ずっと眠っていて眼は開けませんでしたが
まだ普通に息をしていました。
耳は聞こえているはずなので、満州のCDをかけて
今日あったことや、これからのことなど話しかけました。
今までよりも少し息が弱い感じがしましたが、
よく寝てるからかなと思い直して部屋を出ました。

21日(土)
この日は私にしては珍しく何の予定も入っていない日でした。
施設訪問も今日はお休みして、少し身体を休めようと
家の中で出来ることをごそごそ片付け。
ふと思い出して母から引き継いだ書類を整理しているうちに
母が残してくれたこと、幼いときからのあれこれの場面などが
どんどん思い出されて、二日前の母のまなざしと重なってきました。
まだまだ受け継げていない自分、高慢で感謝が足りない自分
それでも託してくれたミッションをしっかりやっていかなくてはと
腹の底から湧いてくるような想いになりました。

夜8時
施設から電話。
「呼吸の確認が出来なくなりました。すぐ来ていただけますか」
急いでメールや電話しようとするけど
こんなときに限って携帯が立ち上がらなくて手間取る。
ダンナへの電話が留守電ばかりでつながらない。
父が倒れたときも私が電話を受けて
あわてて家族に知らせたなぁと
こんなときに昔のことを思い出す。

息子が一番近くに住んでいるので
とりあえず走ってもらうように連絡する。
長女、杏奈にも連絡が取れてそれぞれが施設へ向かう。
ダンナは町会の会議中。
やっとつながって帰宅し、施設へ向かう。
お互いに無言。
今日がその日だったのかと、
この後はどうしよう、と頭は回らないなりに
互助会とお寺さんの連絡先はちゃんと手につかんで出ていた。

 

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