るんるんぴあの♪

ピアノレスナーERIKO。のつれづれ日記
大阪市都島区友渕町のピアノ教室です

宿る

2011-02-20 | こころ
昨日は惜しい方の訃報で心が揺れた。
「人が亡くなったときに心が重くなるのは
その方の魂が心に宿るから、 ずっと一緒だから」
とのんのんばあが茂ぇさんに言ったこと(水木しげるの漫画ですよ)、
人を見送る度に本当にそうだなぁと感じています。

で、いつもより感傷的に心が動き、
スーパーに行っても
母に食材やおかずを買って持って行ったことが蘇り、
「ああ、これ好きだったなぁ」とか
「一緒に食べたなぁ」とか
「もっと行き届くようにしてあげたらよかった」とか
「施設に入れて寂しい思いをしていないだろうか」とか
何を見ても思い出され、罪悪感が出てきて
買い物していても涙ぐんで、ちょっと辛かった。

実のところ骨折して手術退院後に今の家に戻って暮らせるかというと
段差だらけの居住環境と人手の足りなさで、
まるで難しいのは客観的に考えたらわかるんだけど。。。
いくら頭でわかっていても、重たい感情がある。


どんなに行き届いたことをしても、それでも、
「あれで良かったんだろうか?」と心に引っかかってしまうのは
親子であれば、ある意味当然の感情。
そう思うものなのよ、と慰めてもらった。

ホスピスのお医者さんも「これが最善!」と思って治療介護していても
その方を見送ったあとに、
「もっと出来ることはなかったのだろうか」と思うそうです。
どうするかって、その尽くし足りなかったのでは?と言う気持ちを持ちつつ
また次の方のケアに最善を尽くそうと勤める。。。とお聞きしました。


そうだよなぁ、この気持ちをムリに消そうとしなくても、
持ち続けていてもいいよなぁ。
ヘンにサバサバ割り切っても何か違うだろうし。
感情的に落ち込んでもまた違うだろうし。
心が揺れることを知って、また他人様の心も知っていけると。
もともと親には冷たく、高い心で親に接していた自分が
やっとここまで人並みな事を思えるようになったと。


タイムリーに施設から写真と手紙が届く。
利用者さん職員さんと一緒に餃子を作って生き生きと餃子パーティしたこと
餅つきを撞いてみたいと積極的に参加したり、
他の利用者さんにも良く話しかけ、毎日落ち着いて笑顔が沢山見られ、
生活を楽しんで居られますとお手紙にありました。


私が居ないときでも笑顔があるのなら
本当によかった!!
それこそが私の心に引っかかっていることでした。
手紙と写真を見て、また泣いてしまいました。


ありがとうございます。
これでよかったんですね。
心が重たいのは母が心の中に宿ってくれているから。
そのことを大事にしつつ、
日々のことを丁寧にやっていこうと思います。