るんるんぴあの♪

ピアノレスナーERIKO。のつれづれ日記
大阪市都島区友渕町のピアノ教室です

七回忌に父を思う

2007-07-29 | 家族
父が亡くなってもう6年も経つのです。
寂しさもちょっとほとぼりが冷めてきたようで。。
でも「千の風になって」のように
自由に飛び回って私達の周りにいて、見守ってくれてるだろうから
そんなに存在が無いとも思われず。
一昨日のように視る人が視れば、後ろにいるそうだから、
その時々で語りかけながら、命をもらった者として生きていきたいと思う。

法事の後、父が初めて人前で弾いた「大人の発表会」のビデオを皆で見た。
その発表会では習いだして半年で「月の砂漠」を訥々と弾いていた。


父は68歳まではピアノを触ったことも無い人でした。
きっかけは父が定年で家で時間を持て余しているので、
「ピアノでも弾いたら?家にあるんだし」と私が楽譜を買ってきて
半ば強制的にレッスンを始めたことにある。
ところがやりだすとはまり方が激しく、朝起きるとピアノの前に目をこすりながらいって
いきなり弾きだすという、実に熱心な生徒に変貌した。
「朝7時からもうピアノを弾くのよ~~」と母はぼやき半分で呆れていたが、
悠悠自適で時間がある父にとっては恰好の趣味になった。

新たな事に挑戦する楽しみを覚え、自分の手から音楽が鳴る喜びを知り、
それから亡くなるまでの2年間、うちの生徒たちに混じって
発表会やクリスマス会に同じように参加、
「おじいちゃん、頑張って~」と子どもの生徒の声援を受けながら
にこにこしてピアノを弾いていた。
無遅刻無欠席で父なりにレッスンを楽しみにしていたようだ。

小さい時はよく怒るコワイ父だったけど、私が成人してからは
酒も酌み交わしてよく話もし、温厚な老紳士になっていた。
晩年のピアノを通じての2年間は、父と娘ではあるが。
先生と生徒とという新しい関係で、また別の濃い時間を持つ事が出来た。
あんなに密着して、毎週一緒に過ごすなんて今までには無かった事。
それもまた音楽がくれたプレゼントだったと思う。