平成24年11月2日の夜・・我が家の2階・・長女の部屋から、いきなり ドンッ!何かの物が床に落ちる音がした。『何?』そう呟いた妻が2階に上がっていった途端『A香!!何してるの!?』大きな声で妻が叫んでいた”ドンッドンッ・・バタッ!”私も2階に駆け上がった。長女の部屋は床一面に衣類・・・そして鞄・・本棚も倒れ、ありと、あらゆる物が床の上に散らばっていた。『何をしてるの!!元に戻しなさいッ!!』妻が感情を露わにし叫ぶと『もう!ウチの居場所なんかない!!こんなもん!!』また何かを手に持ち床に叩きつけた。『物が壊れる!!床が・・』そう妻がいいかけると『ほーー?ウチより床が大事?そんなんやからウチの事なんか全然、わかってへんねん!!』そう言い部屋を急に出た長女はジャージ姿のまま外に出ていってしまった。もう辺りは暗く静かな住宅街・・そして警察からの電話・・・川に飛び込もうと叫んでいる娘は警官に保護され、そのままパトカーに乗せられました。『お父さん、お母さん、ひとまず署まで来てください。ご自宅から近いのですか?・・では後ほどで結構です。必ず来てください。』警官はそう言って、もう1台のパトカーに乗り込んだ。『お父さん!!』不安な表情で妻が言う・・『とにかく警察署に行こう』自宅に戻り次女も連れて警察署へ車を走らせた。誰も口を開こうとはせず妻も次女も、ただ窓の外を眺めているだけであった。警察署に着いて玄関に入るやいなや『離せーーーッ!!ウチに触るなっって言うてるやろーーーーー!!』娘の叫び声が署内に響きわたっていたのです。正面受付行くと娘の扱いに困っているという表情で婦人警官が『お父さんですか?お嬢さんは今、別室で保護してますが・・どうぞ、こちらへ』受付から少し入った廊下を歩くと部屋があり、オープンなドアの向こうに男性警官と婦人警官それぞれ2名が既に待機しているかのように座っていた。案内してくれた婦人警官が『こちらに入ってください。』私達3人は中に入り椅子に腰かけると、いきなり『お嬢さんですが・・先程から、あの調子です。』その表情は困り果て、すぐにでも連れて帰れと言わんばかりでしたが『あのような状況ですと・・また川に飛び込みかねません。』警官との、やり取りの最中でもドアの向こうから『ウチに触るなって言うてるやろーー離せーーーうりゃー!1もう!!』大きく叫ぶ娘の声が耳を突き刺すように入ってくるのです。『このまま署で預かることも出来ません・・かと言って御自宅に帰ると、また飛び出ることが予想されます。』婦人警官が言うので『では・・どうすれば?』静かに私が聞くと『このような場合・・誠に申し上げにくいのですが・・病院へ・・精神状態が普通ではありませんし・・』私達3人は何のことか一瞬、理解ができなかったのですが婦人警官は話を続け『K市に夜間でも受付してくれる精神病院があります。御両親が御承諾頂けるなら、こちらから病院へ・・』言葉をさえぎるように妻が『今からですか?ウチの子を・・それも精神病院やなんて・・嫌です。』少し間を置いて『しかし母さん・・この場は・・勿論、お連れし帰ってもらっても結構ですが、また飛び出て、こちらから出向くことになりかねませんし最悪、自殺・・も考えられます』私は(脅し?)そう思ってしまいました。
弁当カウセリング・・2回目も長女は一緒に来てくれました。長女は未だに、この当時の事は話そうとはしませんが・・たぶん・・長女本人も拒食症を治したいからと思っています。2回目の弁当カウセリング。カウンセラーが『A香さんは暫く待合で待っていてください。まずは御両親がお入りください。』カウセリング室に入り椅子に腰かけると『とにかく今日はA香さんに食べさせないと帰らない勢いで迫ってください。いいですか?とにかく、かまぼこ1つでも食べさせて帰ることを今日の目標にしてください。ではお嬢さんを部屋に入れますので。』私達は多少の不安ももちつつ席に座っていた。長女は鬱陶しいと言わんばかりの表情で部屋に入ってきた。今日もジャージにクロックス・・ガリガリの身体でジャージがぶかぶかに見えた。『それでは、お母さん、お弁当を・・』弁当カウセリングになってカウセリングの開始時間は18時になっている。妻が袋から幕の内弁当をテーブルに4つ並べた。『さ、では頂きましょう!!』カウンセラーの声が独り歩きするかのように部屋の中で響いた。私達夫婦も弁当の蓋をあけ箸を持つのですが長女は蓋もあけようとしません。黙ったままテーブルを見ないよう、ソッポを向いていました。『さ、お母さん!A香さんに食べるようすすめてください。』妻は少し戸惑いつつも『A香、食べようか・・・』なんとなくチカラの無い声に『要らン。こんなもの食べるわけないやろ!!』ふてぶてしく答える長女に私が『この昆布くらい食べられるんちゃうか?』そう言うも『要らんもんは要らん!!』その後、20分~30分、なんとか食べさせようとしましたが結局、この日も食べることはなく『A香さん、待合に行ってくれますか?』カウンセラーも全く変化の無い展開になり再度、私達との面談となりました。『反応が良くありません・・大抵、子供は途中でキレるか部屋を出ようとします・・その時に大きな波が来るのですがA香さんは予想以上に頑固で両親に対し覚めた感情を思いのほか出しています・・』この時、カウンセラーは何も言いませんでしたが、弁当は妻の手作りでなければならなかったと今なら思えるのです。当時、覆わなければならない感情でなくてはならないのです。長女が中学2年から進学塾に通い始め18時~22時まで塾での勉強・・妻はパートで帰宅する頃に長女は塾に出かけるため塾の日は、いつも”ほかほか弁当”を買い自宅で食べていたのです。なんとも空しく、一人寂しく食べていたのでしょう・・長女は妻の卵焼きとハンバーグが大好きな子でした。カウセリングの場でも弁当屋の弁当・・長女は、この時、何を心に思っていたのか・・今でも、わかりません。でも少しだけ、わかったのはカウセリングに卵焼きとハンバーグを作って持っていけば、この時、違った展開になったかも知れません。なんとなくですが、そう思えるのです。この弁当カウセリングは毎週1度 合計4回、行いましたが・・4回を終えた日『珍しいパターンです。普通は暴れたり親に文句を言ったり大声をはりあげるのですが・・全く無言になる子はこれまで、いませんでした・・』この言葉」を聞いた妻の目から涙が溢れていました。そして妻が『ありがとうございました。』そう言い4回目を終えた日の夜、自宅のリビングで『もう、Y心理療法に行かない・・私・・A香と・・』もう手の施しようがなく私達は途方にくれていました。そして・・このブログのプロローグへとなったのです。
長女を説得し大阪のカウンセラーへ一緒に行くこととなったが車の中では終始無言・・重い空気が漂ったままだった。いつもの風景を見つつ御堂筋地下鉄緑地公園駅駐車場に着いた。『確か・・あ!あった』交差点の向こうを妻が指さしながら叫んだ。”かもど屋”ほかほか弁当屋である。『え?弁当買うん?』それまで無言だった長女が、ぽつりと言い『なんで?ウチは要らンからッ!!』強い口調で言うが妻は聞いて聞かぬふり4個の幕の内弁当を買いカウンセラーのところへ行く。もう見慣れた風景を通りマンションのエントランスに着くと・・長女は初めてのせいか不安気な表情で『マンションなんや・・・』激ヤセのせいもあり不安な表情は貧相さが強調されていた。エレベーターに乗る長女の後ろ姿を見ると肩甲骨が浮き出て全体が棒のよう・・ふっくらしていた、お尻も影もなくジャージにクロックス・・ポケットからマスクを取り出し口に装着した。法令線?以前から歯並びの悪さにコンプレックスを持っていたが・・その、どちらかと勝手に思っていた。以前は洋服が大好きで当時の人気であった”オカリエちゃん”コト松岡リエさんが立ち上げたブランドが好きで可愛らしくコーディネイトしていた娘がジャージ&クロックス・・服装は心の表れなのかもしれない。浮き上がった肩甲骨が痛々しくカウンセラーのオフィスに入るると受付を済ませソファに3人で腰かけた。待つ間も終始無言の長女。妻と私も何も話さず置いてある雑誌に手を伸ばし読んでいる・・いや眺めているのが正直なところ。数分後『お待たせしました・・こちらがお嬢さんですね。さ、どうぞ。』カウンセラーに呼ばれ、いつもの部屋へ。妻が『すみません。私・・』といい駅前で買った幕の内弁当を出すと『いいですよ。とりあえず、お弁当を出してください。』妻が袋から幕の内弁当を4個テーブルに並べた。『では、頂きましょう!お嬢さんも食べてくださいね』拒食症の子に食べることを勧める言葉は禁句であるはず・・妻と顔を見合わせ、そしてカウンセラーに目をやると・・『えっと・・確かA香さんでしたね?A香さん食べてください。お父さん、お母さんからも言ってください』いきなり食べなさいと言われ戸惑う娘・・・『A香、さ食べて。』妻が言うと『何なん?食べさせるためだけに?わざわざ大阪迄ウチを連れてきたん?』私達夫婦も全く前振りがないので事の流れを理解しないままになっていました。すると『さ!A香さん・・食べましょう!!』長女の表情が徐々に険しくなり『食べるわけないやんッ』そう言うとムスッとし深く椅子に座りなおした。私達夫婦もカウンセラーの言われるまま長女に食べることを進めるも黙ったまま俯いている。私も段々と腹が立ち『黙ってんと食えッ!何か言えッ』頭ごなしに怒鳴ったのにカウンセラーは黙々と弁当を食べている。長女はふてぶてしい態度で『アホくさ・・食べへんし勝手に怒鳴ってれば?』顔を背け髪の毛で、その表情が見えなかったが、その表情は想像がついた。結局、この日は食べず一旦、長女を待合室に待たせカウセリング室でカウンセラーと面談した。『次回も弁当を持ってきてお嬢さんを連れてきてください。そして・・』カウンセラーの説明は続く。食を絶ってるのは親に対する反抗であり長女にとっても戦いだそうで心の奥にあるものを・・怒り・不満を感情と共に吐き出させることだそうです。大抵の子供は、それらを繰り返すことで変化が出始める・・そして何かの拍子で食べ始めるというのです。そして自己客観視をしはじめるようです。とにかく心にあるものを吐き出させるシチュエーションが必要とのこと。その時、つかみ合いの喧嘩になる親子もあるそうですが娘に掴まれた『力』に驚くのが大半だそうです。掴み合いぐらいが治療の早道・・『ご両親をののしり過去、娘さんが傷ついた出来事とか思いをぶつけてくるでしょう・・その時が山場です。今回の弁当は、そのキッカケに過ぎません。拒食症の心は薬では治りません。御両親の愛情で治すのです。』私と妻は顔を見合わせました。カウセリングは終了し待合で待っていた娘は変わらずふてぶてしくソファに腰かけていました。受付で『はい25000円ですね。5000円の御釣りと領収書です。』領収書を受け取った妻が『A香・・帰ろうか・・』小さな声で長女に声をかけると『お金・・使わせてごめんなさい・・』長女もまた小さな声で妻に返していました。
先日、癌で入院中の友へメール送信しました。『9月26日に行くけど・・』9月上旬に友より一旦、退院して9月下旬に再入院と連絡があったので私が見舞いに行く予定日を知らせたのです。私自身が公共交通機関を一人で利用できないので妻の予定に合わせないといけません。体力面もそうですが階段の上り下りなど健常者の人にとっては何気ない設備でも私にとっては結構、大変なのです。杖だけでは無理な場合、階段の手摺につかまらなければなりません。『俺、一人で行ってみようかな?』そう言ってみたのですが『Kさん伊丹の病院なんやろ?阪急に乗り換えやで?JR大阪駅通って・・もう!!心配!!あんな人混みで階段から落ちたらどうすんの?』確かに大阪駅は半端ではありません。そこから阪急電車乗り場へ行き神戸線に乗る・・最寄り駅からタクシーとなるので妻は心配なのでしょう・・左半身麻痺で杖をつきながらは確かに不安ですが私自身も妻に面倒をかけたくなかったのもありましたが『もし・・駅で倒れたらどうするん!!もう倒れられたら・・そやから私も絶対に行く!!』とっても恐い形相で押し切られ26日に予定したのです。昨日、友より返信メールがあり26日は入院してるので午後からならOKのようでした。抗がん剤治療の副作用が出たらしく『突然、毛が抜けてアルシンド状態になったので全部、剃った!!』とありました。アルシンド?あ、昔のサッカー選手で鹿島アントラーズに居た外人選手ですが頭のトップの部分の毛がなくて確かアデランス?アートネイチャー?のCMに出ていた人です。『アルシンド状態になったって・・』妻に言うと『アルシンド?あ~・・昔のJリーガー?知ってる人って、たいがいエエ年齢の人しか、おれへんでしょ?また古い・・』抗がん剤治療は負担が大きいと聞いてますし脱毛は絶対みたいですが、これまで他人事のように思っていたことが身近な人に降りかかってくると切実な思いになります。更に『身体の調子が良くなければええから。無理せんとってや。それ絶対やで』と追記されてました。自分自身が大変な時に私の身体のことまで気遣ってくれてるのです。とにかく良くなってもらいたい!!ただ」・・ただ・・それだけです。見舞いに行って、どう声をかけていいのかは・・わかりません。少しでも私の元気を分けられれば・・『行って昔話・・かなぁ。』独り言をつぶやくと、それを聞いていた妻が『そんでええのんちゃう?』しんみりとした空気がリビングに漂いました。『俺も脳出血して人生振り返ると反省ばっかりしてた。時々、過去に人の心を傷つけた言葉・行動・・親不幸・・いろんな事、振り返ったら自然と涙が出たよ・・つまらない事、些細なことで怒ったりしたけど恥ずかしくなった・・入院中、反省ばっかりしたら周囲の人への感謝する気持ち・・出てきた。当たり前なことやけど感謝できるねん。ありがとうって照れずに普通に言えるようになった。』私は、ふと思ったのです。K君も人生振り返ってるんちゃうかな?そして楽しかったことだけでなく後悔や反省・・多分、してると・・余命宣告を受けて、これからの人生を、どう有意義に過ごすか。勿論、家族とどう過ごすかが一番と思います。会いたい人・食べたいもの・行きたいとこ・・大切です。心をピュアにしていくこと・・これも大切なことかも知れません。家族・友人・・多くの人達への感謝の心を、たぶん・・怒涛のごとく心の中がいっぱいになるのではないかと思うのです。K君は、とても誠実で真面目。部下からも慕われ暖かい情のある人間です。人生、魂の修行であるのなら不謹慎かもしれませんが私よりピュアな心を持っているK君は他の人より修行期間が短い・・のかも知れません。私は半身麻痺を残し、まだ暫くの修行が必要な魂なのかも知れません。もちろんK君には長生きして欲しい。また一緒に飲めれば嬉しい限りですが神様がK君の修行期間を延長してくれるか否か・・とにかく祈るばかりです。
大阪のY心理療法センターへは月1度のペースで通っていた。一度も長女本人が同行することもなく・・。毎回レポートを持参。レポートとは長女と妻の会話を記録。カウンセラーが言うには『一番、張り合いをもってバイトしてるのを話のネタにし愚痴や文句をとにかく聞き、聞くだけでなく煽ってみたり共鳴したりしてあげてください。決して親の意見やアドバイスはしないこと。だんだん自分を客観視してきます。そこからが勝負です・・が、未だ客観視しませんねぇ・・』ということになりカウンセラーが『今度は、お嬢さんと一緒に来てくれませんか?』おもむろに言われ『本人ですか?かまいませんが・・果たしてくるでしょうか?』不安気に尋ねる妻に『初めてですから来るでしょう・・ご両親が来てることは知ってますよね?』確認するように眼鏡の向こうから見つめるカウンセラー。妻も私も声を揃え『はい。』と答えると『多分・・来るといいますよ。』自信ありげに言うカウンセラー・・この日は今後、起こりうることと体重管理に大阪の内科クリニックへの継続通院を行うよう言われ、ふと『お嬢さん本人が腹の底から声を出して怒りをぶちまけるようになれば・・そのキッカケを次回、作ってみましょう。』さて、どのような仕掛けを作るのか?私達夫婦には見当がつきません。『次回、お弁当を持参してください。4人分、お願いします。』ますます、わからなくなり『お弁当ですか?』妻が確認すると『はい。どんな、お弁当でも構いません。』頭の中は????でいっぱいでした。カウセリングが終わり駐車場へ向かう道々、『お弁当?作って持っていくのかな?仕事してるし、ほか弁でもいいのかな?』そう聞いてきた妻に対し『そうやな。仕事してるし・・今度、夕方6時やろ?朝、作って夕方は・・な。お腹壊したらアカンし、ほか弁でええんちゃう?』私が答えると『そうやんな。。日持ちせえへんかったら大変やし。それもそうやけどA香、一緒に来てくれるやろか?』ここが一番の問題でした。医大の精神科・神戸の心療内科・・内科に循環器・・病院を毛嫌いしている娘がきてくれるかどうか・・帰りの車の中で、あれこれ夫婦で相談していましたが結局、名案は出ず・・ストレートに誘うこととなりました。そして次回カウセリングの2~3日前、妻が口火を切りました。