脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

魂・・幼少期~小学生低学年・・未熟な魂の誕生

2014年10月18日 12時51分26秒 | わが半生
脳出血をおこして『死』の意識をしたけど『死』が本当に来れば意識はなくなるそうです。でも『死』ぬかもしれない・・・そう思った瞬間でした。入院生活をし退院し・・日にちが経過すればするほど【死んだらどうなる】【あの世があるのか?】そんな疑問を持ち始めました。そうすると・・これまでの50数年の人生を振り返ることが多くなりなりました。振り返ると反省ばかり・・入院中、看護師の方々から優しさを貰い、心の底から感謝しました。仕事だから行うのですよ・・そう思う人もいるでしょう・・でも看護師という仕事を選び人へ奉仕することを何年も続けている人の少なくありません。その入院中の感謝の気持ちが私自身の反省に繋がっていったのです。ふと毎日のベッドの中で子供の頃を思い出しました。私の父は2人の姉との3人姉弟。田舎から大阪へ出てきて寿司職人の見習いとして働いてましたが、ある時期、東京にいたそうです。そこで母と知り合ったのですが母には既に教員として働いていた男性がおりましたが・・結局、父を選び結婚の末、大阪へ移り住みました。私が、もの心ついたときは大阪市城東区にあるアパートで四畳半一間の部屋。トイレは共同で勿論、お風呂もありません。母の実家は比較的、裕福だったそうで祖父は手広く事業をしていたそうです。当時、母に『おじいちゃんって、お仕事は何してたん?』と聞いたことがありましたが『いろいろしてたんだよ』としか答えなく母が亡くなった時、従姉から聞いた話だと確かにいろいろ事業をやって失敗もしたけど唯一、運送会社が軌道にのり、それなりに儲けたそうですが・・会社を売却したそうです。まだ幼い私は四畳半が普通の感覚でしたが母の実家に行くと幾つも部屋があり中庭もあったのですが別に羨ましいとか凄いなとか少しも思わず反対に落ち着かなかったことを覚えています。当時、母の楽しみといえば映画かパチンコで小さい私を連れては映画館やパチンコ店に行っていました・・子供の私にとって映画館ほどツマラナイところはなく映画が始まり10分もしないうちに館内をバタバタ走る、声は出す・・すると近くから””静かにしろ””と怒られ母はお菓子やアイスクリームを私に買い与え宥めようとするのですが、これに味をしめ(映画館に行けばお菓子にアイス買ってくれる)そう学習していました。映画館では退屈なりにも自分にもメリットがあって良かったのですがパチンコ屋は全く・・でした。
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