寺社縁起研究会・関東支部

@近畿大学東京センター

第118回例会

2018年03月11日 | 例会履歴
2018.03.11 金沢大学東京事務所
 
【研究発表1】『御遺告七箇大事』の新出写本について  藤巻和宏
【要旨】後七日御修法・避蛇法・奥砂子平法…といった真言密教の秘法類と如意宝珠との関わりを説くものとして、『御遺告七箇大事』(三宝院流)と『御遺告七箇秘法』(勧修寺流)というテクストがある。後者は数本の伝本が知られているが、前者については、これまで智積院蔵・宝永五年(1708)写本の存在が知られるのみであった。このたび近畿大学中央図書館で収蔵することとなった宝暦五年(1755)写本は、智積院本と一部重なる書写奥書を有する新出伝本である。本書を紹介しつつ、智積院本のみからは見えてこなかった新情報について検討する。
 
【研究発表2】四天王寺を襲った守屋の亡霊と津波・補遺  松本真輔
【要旨】2013年2月に当研究会で「地震災害に関連した奉幣使告文――付・四天王寺を襲った守屋の亡霊と津波」という題目の報告を行ったが、今回はこの「付」についての補遺(続編)となる。四天王寺は創建当時大阪「玉造」の「岸」にあったとされていたが、この地域は徐々に陸地化していた。しかし中世においてもこの移転説は継承され、今度はその原因を津波と関わらせながら寺の破壊と移設再建という形で新たな説話として再生されていた。今回の報告では、津波の比喩としての鯨(鯨波)の問題とあわせて、この移転説の生成と展開について考えてみたい。
 
【研究発表3】薬勝寺大般若会と中世般若野荘  黒田 智
【要旨】天文十四年(1545)四月八日未明、越中国砺波郡般若野荘に下向していた右近衛大将徳大寺実通とその家人十数名が何者かによって殺害された。この殺害事件は、越後守護代長尾氏の侵攻の記憶とともに、長くこの地の人びとに語り継がれることとなった。やがて実通は後花園天皇の皇子淳良親王と名をかえ、親王塚とよばれる宝篋印塔としてまつられ、その忌日には薬勝寺において大般若会が修されることになった。薬勝寺縁起や同寺に残る大般若経、過去帳を手がかりに、親王塚伝承誕生の背景と中世般若野荘の在地秩序について考えてみることにしたい。
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