縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

いちばん短い夜に

2006-06-30 23:58:00 | 芸術をひとかけら
 先週の水曜日、6月21日は夏至だった。1年で一番昼の長い日、裏を返せば1年で一番夜の短い日である。この夏至の頃のことを英語で“midsummer”という。見たところ夏の真っ只中、8月の暑い盛り、という感じだが、これがまったく違う。
 勘違いするのも無理はないと思うが、やはり僕の前にもそう思った人がいた。おかげで誤った題名にされた戯曲がある。シェイクスピアの『真夏の夜の夢』だ。原題は“A Midsummer Night’s Dream”。訳せば、夏至の頃の一夜の夢、といったところだろうか。直にこの間違いは気付かれたようだが、既に『真夏の夜の夢』という題名が定着しているため変える訳に行かず、今では“真”を取って『夏の夜の夢』とされるケースが多い。
(注:“Midsummer day”は6月24日、聖ヨハネ祭の日を指すため、聖ヨハネ祭の夜の夢、が正しいのかもしれないが、詳しい所は僕にはわからない。)

 さて、初めて『真夏の夜の夢』を読んだとき、舞台はとても真夏とは思えない感じがしたが、日本の夏、太陽がじりじりと照り付ける蒸し暑い夏と違って、ヨーロッパは真夏でも快適なんだくらいに思い、さほど気にしなかった。そして、時期が真夏ではなく夏至の頃だと知ったときも、あまり気にはならなかった。
 しかし、この“夏至”というのには実は意味があった。不思議なことの起こる時期、どうだろう日本で言えば“お盆”に近い感じだろうか。ヨーロッパでは夏至の日、夜の時間が一番短い日には何か不思議な力が働き、魔力、魔法が効きやすいと考えられていたようだ。また、夏至の頃に恋人たちが花や薬草を摘みに森に行くといった風習もあったらしい。
 シェイクスピアはこれらを下敷きにして“A Midsummer Night’s Dream”を書いたのであろう。因みにムソルグスキーの『禿山の一夜』も同様に聖ヨハネ祭の前夜に霊たちが騒ぐという話がモチーフになっている。

 と、題名の話で盛り上がってしまったが、肝心の内容はどうだろう。簡単に言うと、妖精が取り持つ恋の話である。その間に行き違いがあったり、妖精のいたずらがあったり、劇中劇があったりと、良く言えば盛り沢山、悪く言うとドタバタした内容である。読んでおもしろいかと言うと・・・・。
 もっともメンデルスゾーンは『真夏の夜の夢』を読んで感銘を受け、『真夏の夜の夢序曲』を作曲したそうである。本当に、僕のような凡人には天才の感受性、好みがよくわからない。

 『真夏の夜の夢』は本で読むよりも劇を観る方が良いと思う。妖精のいたずらや勘違いによるおもしろさは、頭でイメージするよりも実際に目で見て楽しむのがいい。それにバックにメンデルスゾーンの音楽、結婚行進曲とかが流れていた方が絶対にいい。他のシェイクスピアの作品も大なり小なり当てはまると思うが、『真夏の夜の夢』は読むよりも舞台で観る作品といえる。
 別に読むのが面倒だから言っているのではない。シェイクスピアを読んでつまらないと思った貴方、一度舞台を観に行ってはどうだろうか。おそらくセリフも現代風にアレンジされていて、わかりやすいし、おもしろいと思う。それに、若く美しい俳優も見られる(かもしれない)。
 いずれにしろ、百聞、もとい百読は一見に如かず、である。