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縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

それでも私は(★★★☆☆)

2025-07-20 15:54:59 | とある田舎のミニシアター
 哀しい映画である。同時に考えさせられる映画だった。
 加害者の家族は、その妻、子ども、あるいは両親は、肉親の犯罪にどれだけ責任があるのだろうか。どこまで責められないといけないのだろうか。

 この映画は、オウム真理教の教祖、麻原彰晃こと松本智津夫の三女、松本麗華(りか)の現在を描くドキュメンタリーである。
 平成以降に生まれた方にはオウム真理教といってもピンと来ないだろう。1995年、死者14人、負傷者6千人以上に及ぶ地下鉄サリン事件を起こした宗教団体である。不特定多数を狙った無差別テロ事件は日本中を恐怖に陥れた。事件当初からオウムが怪しいと見られていたものの証拠が見つからない。松本智津夫ら関係者が逮捕されるまでに1ヵ月半近く掛かった。その間、テレビのワイドショーはオウムの話題で持ちきり。松本麗華は当時まだ12歳であったものの“アーチャリー”の別名(ホーリーネーム)を持ち、マスコミからは教祖の後継者の一人と目されていた。

 12歳の子どもが事件に関与するはずもないが、世間は麗華をオウムの中枢の人間だと考えた。このため事件後彼女は通学拒否や転入反対運動に遭い、小学校にも中学校にも通えなかったという。通信制高校を経て大学を受験するも、身元が知れた途端、多くの大学で入学を拒否された。バイトを辞めさせられたこともある。また反社会的勢力の一員と見られ、銀行口座を作ることも出来ない。海外で入国を拒否されたこともある。
 今現在、麗華とオウムとの関係は切れているように見えるが、国はそうは考えていない。事なかれ主義というか、くさい物には蓋的な役人らしい対応である。もっとも麗華が袂を分かった母親と弟(次男)が、オウムの後継団体の1つであるアレフと密接な関係にあることが、国の麗華への対応を難しくしている面もあるのだろう。

 麗華の当時のオウムでの立ち位置、そして現在のオウムとの関係は、外部の人間にはよく解らない。それにサリンやその他のオウム関連事件の被害者やその家族の方の心情、苦難を忘れてはいけない。が、それにしても麗華が、ただ麻原彰晃の娘だからという理由だけで、ここまでの試練を負う必要があるのだろうか。彼女は自殺未遂を何度も起こし、今でも死にたいと思うときがあるという。PTSD、鬱である。彼女が幸せを、いや、ごく普通の生活を求めてはいけないのだろうか。それを誰にも止める権利はないと僕は思う。
 せめてもの救いは、麗華が今前を見て生きているということ。自らの経験を活かし(ここまで壮絶な経験をした人はいないと思うが)、生きづらさを感じている人へのカウンセリングを行い、講演活動も行っているという。手記も出されていた。
 多くの人がこの映画を観て、犯罪の加害者家族への対応はどうあるべきか、何が正しいのかを考えてくれると良い。

ルノワール(★★★☆☆)

2025-07-02 16:25:25 | とある田舎のミニシアター
 思春期の女の子フキが主人公。彼女は自由で好奇心旺盛、無邪気であるがときに意地悪。大人の哀しさや生きづらさ、それに怖さはまだよく解らないが、否応なしに触れることになる夏。彼女は少し大人になった。
 ハリウッド映画によくあるハッピーエンドや、映画にストーリーを求める人には向かない映画である。映画には、ただ小学5年生のフキの一夏の経験が綴られているのみ。さすがにありふれた日常とは言わないが、多かれ少なかれ誰もが似たような経験はあるだろう。
 映画を観て何を感じ、何を考えるかは映画を観た貴方に委ねられている。カンヌ映画祭に出品するためフランス映画を意識した作りなのかもしれない。

 舞台は1980年代終わりの地方都市。フキは両親との3人暮らし。父親は末期のガンで入院中。管理職に成り立ての母親は、仕事や家事・子育てに加え看病に追われる日々。2人とも日々必死で心に余裕がない。一方フキはというと、超能力に夢中になったり、自分の葬式やみなしごになったことを想像して作文を書くなど自由奔放。そう、まだ子供なのである。
 そんなフキが、同じマンションに住む若い女性の心の闇を聞き、裕福な友達の家庭の秘密を知り、母親の心の弱さを見る。本人も伝言ダイヤルで危険な目に遭ってしまう。そして父親が亡くなる。フキが物事をどこまで理解しているか、受け止めているのかは分からない。が、解らないなりに多くの経験をしたフキは、どこか吹っ切れたように見える。

 ところで、題名の“ルノワール”といえば印象派を代表する画家である。その“印象派”の特徴と言えば、まさしく印象、つまり、そのとき、その瞬間に感じたこと、思ったことを描くこと。例えば、緑の葉も光線の関係で黄色や赤に見えたり、あるいは輝いて金色に見える瞬間があるかもしれない。そうした一瞬の驚き、印象をそのまま描くのが印象派である。
 そう考えると、この映画はフキに起きた出来事(一部想像も)の、各々その瞬間を捉えた早川監督の印象なのかもしれない。話に脈絡がなかったり、ときにドキッとすることがあったりと。そこには善し悪しの判断も正解もない。

 先日、相米監督の『お引越し』を観た。早川監督が本作を作るにあたり影響を受けた映画の1つに挙げられている。主人公は同じ11歳の小学生の女の子。一夏の経験を経て成長するという展開も同じ。ただ『お引越し』には話に一本の筋があったが、本作はメインとなるストーリーはなく、複数の出来事や問題が提起される形。『お引越し』は30年以上前の作品だが、この間、世の中がより複雑になった、問題が増えたということだろうか。

おばあちゃんと僕の約束(★★★★☆)

2025-06-25 11:12:42 | とある田舎のミニシアター
 初めてのタイ映画。家族愛の物語である。おばあちゃんと子供3人に孫2人、一見問題ありげでひどい家族に見えるが、実は皆の心はあたたかい。離れて暮らしていても、ちゃんと繋がっている。地元タイでは号泣する観客が続出したらしい。さすがにすれた日本人(僕も?)は号泣こそしないが、ほっこりする良い映画だった。

 大学を中退しゲーム実況者を目指す主人公エム(“ビルキン”というタイで大人気のスターが演じている)。楽して金を稼ぎたい今時の若者である。そんな彼が、従妹のムイが祖父を介護したことで豪邸を相続したと知る。自分にはおばあちゃんメンジュがいる。あわよくば・・・。
 タイミング良く(?)メンジュがステージ4のガンに侵され余命1年と宣告されたことから、彼は家の相続を狙い、おばあちゃんとの同居生活を始める。

 メンジュの家は豪邸とはほど遠い下町の古い家。彼女はお粥を売って生計を立てている(因みにタイは自炊よりも外食が多く、様々な屋台がある)。エムは“おばちゃんの一番”になるため彼女の生活のお手伝いをする。何事も楽をしたいと考えているエムには、何事にも手を抜かないメンジュは驚きの的だ。そしてエムは次第におばあちゃんの子供達への深い愛情に気づき、また自分の母親のメンジュを思う気持ちを知り、少しずつ考えを変えて行く。が、肝心の家の相続は・・・。

 親の介護、相続を巡る争い、それにドラ息子、これは万国共通か。舞台を日本に替えても何ら違和感ない。おまけにタイと日本で似ているところがある。親族でお墓参りに行ったり(日本のお盆のよう)、家に仏壇みたいのがあったり、家の入口で靴を脱いだり、等々。タイには何度も行っているが、さすがに個人宅には行ったことがないので靴を脱ぐのは知らなかった(でも日本的な玄関はない)。

 タイトルから考えるに、エムがおばあちゃんと暮らしているときに何か約束するのだろうと観ていたら、なんと約束することなくおばあちゃんが亡くなってしまった。えっ “約束”はどこに行った? と思ったら最後の最後にどんでん返し。
 おばあちゃんはエムとの約束を守ってくれていたし、エムもおばちゃんとの約束を守った。おばあちゃんは自分のことよりも子供達の幸せを願っていた。それが叶うかどうかは分からないが、少なくとも子供達や孫達は仲良く暮らして行くだろう、おばあちゃんのおかげで。
 お伽噺のようでもあるが、ちょっといい話だった。

春をかさねて/あなたの瞳に話せたら(★★★☆☆)

2025-06-24 14:21:35 | とある田舎のミニシアター
 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市。この2本の映画は、児童74名、教職員10名が犠牲になった石巻市立大川小学校をめぐる物語である。監督の佐藤そのみさんは、大川小学校で2つ下の妹さん(小学6年生)を亡くされた。また大川小学校は監督の母校でもある。映画には監督の思いが込められている。
 映画は2019年に作られたが、その後のコロナ渦に加え、監督の地元の方の心の問題への配慮等もあり、映画が上映されることはなかったという。それが2022年以降全国各地で自主上映の形で上映されるようになり、次第に評判を呼び、今年に入って全国の劇場で公開されることになった。
 『春をかさねて』は被災後の人々を描いたフィクションであり、『あなたの瞳に話せたら』は犠牲になった方への3通の手紙を中心としたドキュメンタリーである。『春を~』では分からない大川地区の状況が、『あなたの~』を観ることでおぼろげに見えてくる。

 震災の極限状況の中、人は何を思い、どう行動したか。身内や親しかった人が数多く亡くなり、当たり前だった生活が一瞬にして手の届かないものとなる。やり場のない怒り、あきらめ。心の傷は目に見えないが、ずっと残っているに違いない。こればかりは経験した者でなければ分からない。当時中学生だった監督は、そのときの記憶を基にそれを我々に伝えてくれる。
 『春を~』では、女子中学生2人の心の揺らぎ、行き違いが描かれている。ともに妹を大川小学校で亡くしている。マスコミ的には「妹の分まで精一杯生きる」といった言葉を期待するが、そう言いたくても言えない人がいる。皆が皆強い人間ではない。ときには逃げ道も必要だ。
 『あなたの~』では、震災で家族や友人を亡くした人が、その後何を思って生きて来たかが描かれている。手紙を綴った3人が各々前に向かって進んでいるのが嬉しい。監督自身も妹さんへの手紙を書かれている。一方、学校側の避難に関する過失を訴える遺族の話があった。お金をもらったところで子供達は帰って来ないが、せめて何があったのかを明らかにしたいとの思いのようだ。

 震災から3年後、僕は被災にあった三陸の町をいくつか訪れた(三陸にて~がんばろう東北!、2014/7/26)。石巻にも1泊したが、その前に見た南三陸町や気仙沼の衝撃があまりに大きく、石巻の記憶は少ない。宿と物産館くらいしか行かなかったと思う。大川小学校はじめ石巻で何が起きていたかを僕は知らなかった。
 南三陸で“語り部”の話を聞いた。その中で「南三陸の神社は高台にある」という話だけはよく覚えている。昔から何度か大きな津波に襲われた南三陸、そのため神社は大津波を避けるため高台に建てられたのだという。よって、津波の際は神社に逃げるのが一番とのこと。
 この2本の映画も“語り部”である。



黒い瞳(4k修復ロングバージョン)(★★★☆☆)

2025-06-22 14:55:34 | とある田舎のミニシアター
 放蕩息子ならぬ 放蕩“夫” の、身勝手で、お気軽で、ときに滑稽で、そして哀しい物語である。
 1987年の作品であるが、原作のチェーホフ没後120年、主演マルチェロ・マストロヤンニ生誕100年ということで4K修復がなされ、25分のシーンが追加されたロングバージョンである。

 物語はチェーホフの『犬を連れた奥さん』など4つの短編を基に作られた。舞台は20世紀初めのイタリアとロシア。イタリアに向かう客船のレストランで偶然出会った二人の男。初老のイタリア人ロマーノが、中年ではあるが新婚旅行中というロシア人に、自らの半生を語る形で物語は進められる。
 ロマーノは貧乏な家に生まれたが、大学で大富豪の一人娘エリザと出会い結婚。おかげで彼は裕福になり、働きもせず遊んでばかり。しまいには既婚者でありながら多くの女性と遊ぶようになる。夫婦の仲は、子供を設けたものの、次第に冷めて行く。
 女性との関係はあくまで遊びと割り切っていたロマーノであるが、温泉保養地で知り合ったロシア人女性アンナと本当の恋に落ちてしまう。アンナは人妻であり(こちらも打算的な夫婦のよう)、子犬を連れ、一人で保養に来ていた。今風に言えばダブル不倫。ロマーノを愛しながらも自らの立場を考え、ロマーノに置き手紙を残しロシアに戻るアンナ。ロマーノはすべてを捨てる決心でロシアへ、アンナのもとへ向かうが・・・・。

 イタリアからロシアへ愛する人を探しに行くと言えば『ひまわり』を思い出す(マストロヤンニも出ていたが、一面に咲くひまわりとソフィア・ローレンの印象しかなく、彼のことは忘れていた)。『ひまわり』は戦争によるすれ違いが引き起こす悲劇、メロドラマである。
 一方、この『黒い瞳』は、どちらかというと喜劇。ロマーノは後先考えずに行動する。それが周囲にどんな影響を与えるかは考えない。子供のまま大人になったような感じ。どこか憎めないところがある。が、アンナを見ると、ロマーノのいい加減さ、身勝手さに振り回され、苦悩し絶望する悲劇である。
 そんな彼が、新婚の中年ロシア人と話す中で、今までの自分の人生は何だったのかと後悔する。ロマーノは口が達者だし、いい加減な人間なので、彼の回想もどこまで本当かは分からない。ただ、そのときアンナを愛していたことと、この後悔は真実の気がする。やったこと、やってしまったこと、そしてやらなかったこと、もう昔に戻ってやり直すことはできない。
 そして再会。そこから先は映画を観た貴方に任されている。