私は18歳で車の免許を取得した。
高校生の頃は家に車もないし、ロック好きなくせにバイクもまったく興味がなかったのである。、進学も決まり暇な時に、近所に住む同級生が車の免許を取る為に自動車教習所へ通い始めたのである。
こいつは父上が盗電東電のダム管理者。
仕事で山道を走る為に自家用車にラリ-用のサスペンションを組んでいた車好き。
なので車高の高い、ガチガチの足を組んだ車が自家用車と言う環境に育っていた。
こやつの高校生の頃の愛読書はプレイドライブとかオ-トテクニックなんていう自動車競技の専門書。
18歳になったので車の免許を取る為に教習所へ通っていたのだが、こいつのあきれた所は教習所へスカイラインGTを運転して行くのである。(笑)
で、教習所の帰り道とかに我が家へ寄っていく。
当時祖母は足が悪く、なかなか外出ができない。
よって我が家でも私に免許を取らせて車を買う計画が祖母によって進行。(笑)
しかたなく免許を取りに行く事に。
それまで車なんて全然興味がなかったんであるが、運転してみると面白い。
例の同級生は大学に入るとさっそく学校へろくに行かないでアルバイトを始めて金を稼ぎ、車をラリ-用に改造している。
車高が上がり、エンジン保護のアンダ-ガ-ド(未舗装の山岳路を走るので)、でっかいランプ(当時のラリ-は夜間行われる)、助手席には変なメ-タ-と時計が着々と取り付けられる。
最後には車内にロ-ルバ-(転倒したり崖から落ちても車内がつぶれないようにする)とか言うパイプが取り付けられて、シ-トベルトも4点式に変えられてしまう。
内装も鉄板むき出し。
こんな車では女は乗らない。(笑)
私は祖母や家族の運転手、彼女とドライブに行かなくてはならない。
こんな車にはできないし、真面目に学校へ行ってたんでバイトもできないから金もない。
でも19歳のときに父親は他界、すぐに祖父、祖母も他界。
20歳のときめでたく彼女ともお別れ(笑)
アッシ-君の仕事は終わり。(爆)
暇になったので例のラリ-狂につきあって山道を走ることに。
これがやってみると面白い。(崖っぷちを走るんで、かなりおっかないんであるが)
で、ラリ-競技に出てみることにした。
金もないので車の改造はできない。
普通の車で出られる大学の自動車部がやってる計算ラリ-(山道は走るが、たいしたスピ-ドは出さない、決められた時間通りにチェックポイントを通過する、そのために計算が忙しい、運転の腕はたいして問題にはならない)に数戦出場。
興味を持つと中途半端は嫌いなたち。
社会人になってからは本格的にやることにして競技ライセンスを取って、JAF公認のハイスピ-ドラリ-に出場を始めたのである。
PART 2 に続く。