私の家は戦時中、東京が空襲にあうようになったので埼玉に疎開。
戦後はそこに住み着き、祖父は仕事の為当時アメリカ領だった沖縄に出稼ぎに行く事に。
そこでかなり稼いだらしく、帰ってきてから子供の結婚(つまり私の親)もあって今の場所に土地買って家を建てました。
けっこう広い面積で庭も広く祖父の趣味であった植木もかなり植わっておりました。
なにしろ土地を売ったマッカサ-から土地貰った農家のおとうさんは当時としては大金が舞い込み、浪費に走り、愛人まで作って家追い出されたw。
家を建ててから隠居を決め込んで、アチコチ旅行へ行ったり(3ヶ月くらい帰ってこない。俺と似てるw)、孫の世話(つまり私、妹が生まれてからは妹が先天性の心臓病で病弱であったので両親はそっちが忙しく、私の面倒は祖父と祖母が見ていた)の毎日。
私が中学生になった頃は貯め込んだ金も底をついてきたようで自慢の庭園(池や滝まで作ってあったw)を削ってアパ-トを建てて家賃収入をもくろむ。
当時は結婚して親と同居する習慣が薄れてきたのでアパ-トや団地に子供夫婦が移り住むようになってきた時代。
アパ-トがブ-ムだったのである。
ダイニングキッチンと六畳の部屋があるだけの、今となっては貧弱な造りであるが当時としては良い方。
できてすぐ借り手が現れる。
すべて新婚の夫婦。
その中の一組は高等学校の先生。
これがとんでもない人だったのである。
来週に続く(多分その予定)