遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

現代詩「家畜化の余地」

2010-10-29 | 現代詩作品
家畜化の余地



鳥獣人物戯画に描かれている
猿、兎、蛙、など
人間の遊び相手であっても
なぜか家畜として飼われることはなかった
むろんたしかめたこともないが
家畜化の歴史は古くて
メソポタミアで
紀元前八千年頃の牛(原牛)からが最初である
と、鵜呑みにしている


羊、山羊、豚が
最初という説もあって、
我が国では文武天皇の命による大宝律令(七〇二年)に
記録されている(厨倉律など)
《そう、傾注することです。》
牛が売られていくときに大粒の涙を流すという
隣のリヨ婆さんが
昨日、鶏が車に轢かれたとわめいていたが
ときどき裏の川で羽をむしる姿が甦ってくる


家畜化って人間だけが野生動物を
飼い慣らしたものと思っていたら、なんと
ダニを家畜化している
蟻がいると
(東南アジアで)聴いた
蟻の賢さは象を凌ぐだろうか
木村先生は
人間の家畜化(ヤプー人の物語は残酷だから)と
ゴジラのように口ごもりながら


瞞されてこそ面白い小説の世界で
瞞されてみることの家畜化が
読書の歓びならば
家畜も、奴隷も似たようなもの、
と云っちゃだめだよ
小説以外でも
哀切で美しい日本語の韻律が
名声を引き受けているのか、どうかは知らないが
《そう、傾注することです。》
猿や、兎や、蛙など
こぼれるほどに登場する
余地はまだまだ残されているようだ


木村先生の講義は
今日、突然打ち切られた
その理由がわからない
本当の理由は誰にもわからないのだ