遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

現代詩「挽歌・立山」

2010-10-22 | 現代詩作品
挽歌〈立山〉



山岳の遭難はまず自然災害、人工落石などの人為的な要因滑落・転
落など技術的問題、そして体力過信などの登山者自身によるもので
複数の要因が絡む。山を愛する心意気だけでは遭難は免れ得ない。


一九二三年一月に松倉勝宣が松尾峠で遭難し、立山ガイドの救援に
より急死に一生を得た。これが冬山遭難第一号であった。
一九三〇年一月には剣沢小屋がなだれのため倒壊し、一行六人が死
亡。いずれも華族の子弟が含まれていたことでもわかるように、当
時の登山はまだ特別の階級のものであった。


戦後は一九六五年の日本隊がマナスル初登頂や『氷壁』(井上靖著)
をきっかけとした登山ブームが起こり大学山岳部による遭難が多発
した記録がのこっている。


赤谷山富山大学生遭難。一九六〇年十二月末から一月にかけての遭
難事故で、第五次にわたる捜索隊を編成し捜索したが結果は、六人
の若者の遺体が発見された。猛吹雪の遭難事故であった。


薬師岳愛知大学生遭難。一九六三年一月「三八豪雪」の最中に起き
た大量遭難。十三人のパーティーが全員消息を絶ち絶望となる。遺
族によって折立峠に慰霊碑「十三重の塔」が建っている。


天狗平同志社大学生遭難。一九六九年十二月に雷鳥沢でテントを張
り下山する大谷付近で猛吹雪により消息を絶つ。延べ二百三十人の
捜索を投入も打ち切り、春に遺体で発見された。


剣岳周辺大量遭難。一九六八年の暮れから六九年の正月にかけて起
きた富山県山岳史上最大の遭難で、剣岳一帯の猛吹雪により十五パ
ーティー八十五人が猛吹雪きで孤立、三パーティー六人が死亡。四
パーティー十三人が行方不明。大阪府立大の四人と清水RCCの二
人が死亡。葛飾山岳会の八人の行方不明の全員が、雪解け後に遺体
で見つかった。(この遭難で弟が他界したことを記しておく。)


六十年代までの大きな遭難を列記しながら、もしかするとご遺族や
友人の方にとっては生涯触れられたくない悲惨な事故であるかも知
れないとおもいながらも若い命を散らした弟へ鎮魂としてここに抜
き書きしたことのほかになんの他意もない。


現在では若者よりは中高年の事故が年々増えている。立山が初冠雪
となった一九八九年十月、真砂岳付近で、京都府、滋賀県の税理士
等パーティーが遭難。八人が死亡した。初めての登山だったという。

          
               
(* 遭難事故については「富山県大百科事典」参照する。)