遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

上村詩「野がかすむころ」論(5回)

2010-10-15 | 富山昭和詩史の流れの中で
(4)
 この稿は、二〇〇三年におこしたものだが、上村萍さんの遺稿集を読み返すと過去の記憶がよみがえってくる。ここによく登場する「吉祥院」へ、一度吉浦さんと上村さんを偲んでたずねたことがあった。その寺院は、富山県朝日町山崎で飛騨山脈が日本海になだれ込んだ山の麓の草深くところにあった。上村さんが子供の頃によく行ったというお寺はひっそりとたたずんでいて、住職さんが快くむかえてくれて、そこで何を話たのか、いまはもう憶えていない。

  またも心の曲がった人の
  曲がった言葉の毒に曲がり
しきりにからだのなかで
カタバミの破裂するこのかなしみは
ごくつまらぬ日常の土瓶から
立ちのぼるかげろうにすぎないが
やがてふくれあがった人間の
滅亡のよろこびに出会ったときこそ
最高のかなしみとなるのだ
なぜ急ぐのか
家路を捨てよ
返るのをやめよ
石垣のあいだからカナヘビがのぞいている
あの冷たい目つきは
人間の臭気がわかる目つきだ
人間の行末など誰にもわからぬが
女が乳を失ったのはまぎれもなく
不吉な退化のしるしだ
山は町に近づき田園は荒野に返ろうとしている
向う岸からふしぎな呼び声が
えんえんときこえてくる
ロッキョムノカアカヨコオコトリニイラッセセエエエエ
(略) (「野がかすむころ・23」後半部分)

 やや長い引用になったが、遺稿集の最後に置かれた作品である。
今改めて読んでも、上村氏の言葉はすべて現実に根ざしている。ときどきはするどい文明批判であったり、高邁な夢をのべたりするのだが、決して知識だけではない観念の闇までも直視するその憂愁の眼差しに、あの草深い麓の風景が、詩人から日々遠ざかって云ったのだろう。薄紫に烟る夕暮れの帰路『野がかすむころ』の原風景にふれた思いである。
もううっかり「永遠」ということばを口にしてはいけない。「コオコトリニイラッセ……、」という幻の野の向こうのふしぎな呼び声にふり向いてはいけない。

 高島順吾氏は序で「上村萍君よ、君は古代と近代の人間の悲鳴を荒縄でしばって腰にぶら下げ、石仏のころがるかすむ野のかなたに、虹の消えるように聡明にきえていった」(「萍君よ、土はぬくいか冷たいか」)と結んでいる。まさに「幻の皮をめくってしまった」ために、虹のように聡明に消えていくさだめのひとであったのだろう。
さらに、野海青児氏はその解説で「いや『無いいものがある』の発想を得たとき萍さんの生まれ故郷を原風景として吉祥寺ガラス玉演技がくるくる廻る万華鏡となったのである。帰るべき故郷がもはやないゆえに帰るべき超自然の共和国がそこに想像されたといえる。」と惨事を惜しまない。
 若い頃のモダニストの詩から戦後は抒情の詩へと自らシフトを換えながら、なによりも生きぬくためのの自由の獲得に詩精神を燃焼したその結果「超自然の共和国」の創造主として迎えられたのだ。
 すべては上村萍の上村萍による上村萍のためのワールドをまえにして、さらに眼を閉じはいけてないと呟いている。遅れてきた私がいる。


(この稿了)


*今朝は雨です。
秋らしい日が余りありませんね。少し肌寒く感じます。
すかっとした秋晴れの日は体育の日以降、殆どなくて
このまま遠のくのでしょうか。